うろうろしながら怪奇里紗さんのぬっぺっぽうもかってしまう。べとべとさんもぬっぺっぽうも昔からすきだが、うろうろするタイプの妖怪がすきなんだとおもう。果てがなく、希望も絶望もなく、意志もなく、しあわせとふしあわせの彼岸にいて、きがつけばいつもちがう野原をあるいている。そんな妖怪。
じぶんの心臓にふれながら、決意をもって、ひとに話しかけたことがある。でも、重く話しかけるかんじになるといやなので、かるいふうに話しかけたとおもう。あんただれ? とかいわれたら、立ち直れなかっただろうから。かるいふうに、でも心臓にタッチしながら、そのときわたしは話しかけた。この日このときのこのわたしの心臓ってこんなかんじかあ、と感心しながら。てでじかにさわりながら。しなないようにわたしの全部ががんばりながら。


いつまでも眠る冬すみれひらく日/笠井亞子「いつまでも」『はがきハイク』23号、2022年1月


さいきんひとめぼれしてかってしまったマルアン商会の「三寸ばかりなる鬼」。もうおもちゃはかわない、と誓って、まんだらけをうろうろしていたが、だんだん中腰になり、だんだんウインドーのまえにしゃがみこみ、離れず、ちつちやな鬼のあかちやんなんてすてきすぎる、ともう、昔ありけりのモードに入つてゐた。むかしをににもあかちやんがゐた。


スヌーピーじみたことをするのはもうやめろ! ってとつぜん怒られたことがあって、すごい怒り方するひとだなあ、でもなんかそんな怒られ方するなんてちょっとうれしいことだよなともおもってしまい、いかんいかんそういうスヌーピーにかかわっていくところをこのひとは怒っているわけだよな、とも思ったけれど、でもなんかこんなしかたないメルヘンみたいなにんげんが、明日からジョージ・ワシントンみたいになれるんかどうかとも思い、そのひとをちらっとみると、わたしをすごい目で見てる。これが目というもの。