じぶんの心臓にふれながら、決意をもって、ひとに話しかけたことがある。でも、重く話しかけるかんじになるといやなので、かるいふうに話しかけたとおもう。あんただれ? とかいわれたら、立ち直れなかっただろうから。かるいふうに、でも心臓にタッチしながら、そのときわたしは話しかけた。この日このときのこのわたしの心臓ってこんなかんじかあ、と感心しながら。てでじかにさわりながら。しなないようにわたしの全部ががんばりながら。
スヌーピーじみたことをするのはもうやめろ! ってとつぜん怒られたことがあって、すごい怒り方するひとだなあ、でもなんかそんな怒られ方するなんてちょっとうれしいことだよなともおもってしまい、いかんいかんそういうスヌーピーにかかわっていくところをこのひとは怒っているわけだよな、とも思ったけれど、でもなんかこんなしかたないメルヘンみたいなにんげんが、明日からジョージ・ワシントンみたいになれるんかどうかとも思い、そのひとをちらっとみると、わたしをすごい目で見てる。これが目というもの。