先週に続いて、ニック・ドレイクについてのコラムの後編が昨日のTAP the POPに掲載されました。
夭折のシンガーソングライター、ニック・ドレイクの謎に包まれた生涯(後編)〜孤独と絶望の果てに
今回は、サード・アルバムで遺作となった『ピンク・ムーン』について。
そして、没後に編集されてリリースされたレア・トラック集『タイム・オヴ・ノー・リプライ』からも少しだけご紹介しています。
パトリック・ハンフリーズの著書『ニック・ドレイク〜悲しみのバイオグラフィ』では、いろんな人の証言からニック・ドレイクという人間のいろんな像が浮かび上がってきました。
コラムの前編でも著したように、学生時代の友人はニックについて少々内気だけど陽気ないいヤツだったと語っていて、学生時代の友人も多かったのです。陸上部の短距離でもかなりいい記録を出していたような、そんな普通の青年だったそうです。当時から音楽の才能だけは周りの友人を圧倒していたそうですが。
でも、夢に敗れて挫折を味わって、上流階級の生まれということで、こう言っては何ですがプライドもあっただろうし、他人にその悩みを打ち明けることもできなければ、がむしゃらにのし上がっていこうなんていう動き方もできなかったんだろうと思います。
また、みんな彼の才能をとても評価し、持ち上げておきながら、実際は売れないという現実に、悩み苦しんだわけです。
まさにそういうことを歌った「ハンギング・オン・ア・スター」という曲が、アルバム『タイム・オヴ・ノー・リプライ』にも収録されています。
それは、心の病に苦しみながらも次のアルバムのために録音した4曲の中の1曲です。
そして、酒を飲んでヤジを飛ばすような場所でのライヴは、繊細な彼には耐えられなかった。
まだレコーディング・ミュージシャンでは、食べていけなかった時代だったのです。
当時の精神科医の処方については、現代の見地からは疑問も上がるようなところもあったでしょう。
おそらく自殺というよりは、眠れなかったのでいつもより多めに、それも半ばヤケな感じでトリプチリンを飲んだのでしょう。それが致死量に達してしまった。
悲劇ですね。
生前のニック・ドレイクはフォーク・シンガーと言われることに違和感を感じていたのだそうですが、私もコラムの後編で書いたように、彼の中にはずっとブルースがあったと思うのです。
アルバム『ピンク・ムーン』は、その孤独と絶望を歌った、まさにブルースのアルバムなのではないかと思いました。
学生時代の友人が、ニックが亡くなって彼のブルースが聞けなくなるのがとても残念だと言った証言もありました。
リンダ・トンプソンが、リチャード・トンプソンと結婚する前に、ジョー・ボイドともニック・ドレイクとも付き合っていたことがあって、彼女の証言も興味深かったです。
3人とも無口な男だったようですよ。
生きていたら渋いシンガー&ギタリストになっていたんじゃないかと思うと残念ですね。
このブログでは、そのレア・トラック集のアルバムからタイトル曲「タイム・オヴ・ノー・リプライ」を。
この曲は、ファーストアルバム『ファイヴ・リーヴス・レフト』に残念ながら収録されなかったけれど、学生時代から友人の家やライヴなどで披露していて人気のあった曲だったようです。
いい楽曲です♪
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余談になりますが、昨年11月のTAP the POPのコラムには、前編と後編の2回にわたって、テリー・キャリアーについて書きました。
テリー・キャリアーもデビュー後3枚の素晴らしいアルバムを出したけれど売れず、しばらくは家族を養うために音楽から離れ、別の仕事をしていました。しかし、しばらくしてイギリスのレア・グルーヴ・ムーヴメントで彼の音楽が発掘されて光が当たり、20年ぶりに復活を果たしたアーティストでした。
偶然にも同じ11月に、後になって評価されたアーティストを取り上げたんですね。
まだまだ再評価に値する素晴らしい音楽が埋もれているかもしれませんし、そういう音楽に出会いたいです。