今、日本では「シティ・ポップ」が流行してるのだそうです。なので、今日は久しぶりにちゃんとブログを書きつつ、今のシティ・ポップを私なりの全くの私見ですが、検証してみたいと思います。

 

シティ・ポップといえば、ざくっと1970年代〜80年代の日本において、はっぴいえんど、シュガーベイブなどの流れから、大瀧詠一、山下達郎などのシンガーソングライターで、当時の「フォーク」と呼ばれた音楽よりももっと都会的なポップス〜ロックをこう呼んだんですね。そして80年代の、稲垣潤一や角松敏生など、日本のAOR的な音楽もそう呼びました。

 

90年代には「渋谷系」と呼ばれる音楽、例えばピチカートファイヴや、フリッパーズギター、オリジナルラブなんかも、当時はシティ・ポップとは呼ばなかったけれど、都会的な洗練されたポップスという意味では、「シティ・ポップ」だったと思います。

 

そこでこの2010年代も後半になって、最近またシティ・ポップと呼ばれる音楽が流行しているというのです。

(すみません、私それ、恥ずかしながら最近知りました。)

そこで、最近少し色々と私なりに調べたり聴いたりしてみました。最近はYouTubeがあるから便利ですね。

 

このブームを牽引しているのは、どうやらSuchmosということのようです。

 

 

私も今年、Apple Musicで一番聴いたアルバムが彼らの「The Kids」と「The Bay」でした。そして、ようやく最近ちゃんとアルバム「The Kids」の方を手に入れました。今年のレコード大賞の「最優秀アルバム賞」を受賞したそうですよ。

 

他にNulbarich、cero、Awesome City Club、Lucky Tapes、bonobos、D.A.N.、never young beach、Yogee New Waves等々、今日本で「シティ・ポップ」として話題になっている彼らの音楽を聴いてみました。

 

ここで、気がついたのですが、大体この「シティ・ポップ」なんていうカテゴリーは、結局売り出すための音楽業界のメディアが言い出しただけに過ぎないということ。

確かに彼らの音楽はとても洗練されて都会的だけれど、上にあげた彼らも、アシッドジャズ的な音から、ヒップホップ的な音、渋谷系的なのもあれば、70年代っぽいのもあったりと、それぞれに個性的でかつ実力もある。

それらを一括りに「シティ・ポップ」と言ってしまうのは、ちょっと強引かなという気もするのです。

 

売り出す時には都合のいいカテゴリーかもしれない。これだけSuchmosが売れたから、「Suchmos風の音が好きならばこんなのもどう?」という意味合いでの「シティ・ポップ」。

だけど、都合よく誰でも今のバンドを「シティ・ポップ」で括りすぎると、この消費スピードの速い時代において、一過性の流行という形ですぐに飽きられてしまう危険性もはらんでいる。

 

そしてさらに言えば、特に音楽業界人に多いと思うのだけど、自分たちはもっと先に進んでるような顔をして、「あぁ、あの流行りのシティ・ポップね」と、鼻であしらってしまう悪い癖(苦笑)

それって、結局自分たち音楽業界が売るためのカテゴリー分けを勝手に作って、勝手に飽きちゃってるみたいな、本当にバカなことやってると思うんです。

そんなことをしていて、いい音楽が多くの人に届き、また残るわけがない。

 

ここで思い出して欲しいのが、昔からカテゴリー分けというのは周りが勝手にやっているだけで、ミュージシャンの本人たちは全く思っていないということ。山下達郎さんが「シティ・ポップの山下達郎です」なんて自己紹介するの聞いたことがありますか?

「オルタナティヴ・ロックをやっているレディオヘッドのトム・ヨークです」とか自分で言いませんもんね。

もしも、「最近流行りのシティ・ポップのバンドの〇〇です」なんて自分で言うヤツがいたら、それこそ上っ面だけのヤツでダメだと思いますね。

 

カテゴリーは、結局は後付けなんです。色々と便利がいいのです。

しかしミュージシャン本人たちは、皆一生懸命自分たちの音楽を突き進めているだけにちがいない。

もしもそこに、ある共通点が見られたら、と言うか感じられたとしたら、そこにある「気分」を私たち聴く側は敏感に察知しているのだと思うのです。その「気分」こそが、その時代にしか生まれ得ない音楽に宿るのではないでしょうか。

 

どの時代においても、温故知新をちゃんとやっている、つまり上っ面だけ舐めているような音楽じゃなくて、ちゃんと自分が夢中になった音楽をよく味わって味わい尽くして噛み砕いて消化して、そしてその中から結晶のようにして出てきた音を大切にしているミュージシャンやバンドの音に、同時代性と共に普遍性が宿るんだと思うのです。

 

そういう音をちゃんと聴き分けられる耳を持っているか?

 

これ、腐った音楽業界人よりもきっとこの時代を一生懸命に生きて、音楽を楽しんでいる人の方がちゃんと聴き分けられると思うのですよ。

それぞれに好みはあるとしてね。

 

Suchmosを単にオシャレな音楽としか語れないのは、なんて寂しいギョーカイ人よ。。Suchmosを始めとするシティ・ポップもちょっと飽きてきちゃったね、なんて風に書いている記事も目にしました。。

 

Suchmosがどうしてこれだけ多くの人に支持されているのか?単に、街中で流れてきたらオシャレというだけで、これだけ多くの人の心に響くだろうか?

 

ここからは私見ですが、私が彼らの音に心を惹かれたのは、単にオシャレだからじゃないのです。彼ら6人の実力と感性とバランスの良さが音に現れているから。アシッドジャズを思わせるクールなドラミングとベースラインに、レア・グルーヴ〜フュージョンを感じさせる浮遊感のあるエレピ、時にファンク系のカッティングをするかと思えばノイジーで歪んだロック・ギターの音を絡め、そこに絶妙なスクラッチが入るなんともミクスチャーな音がバランスよく配置されて、そこにソフトだけどソウルフルなヴォーカルが乗るという、これは本当に彼ら6人でしか出せない音なのだと思うのです。そして、今にしかない音で、かつ普遍性も持っている、なぜなら私のような50代以上のリスナーの心も掴んでいる、それは、彼らがちゃんと温故知新をやっているからなのです。一つ一つの彼らのプレイがこれ見よがしでないところが、洗練に繋がっているのだけれど、一つ一つの音の技量の高さは、もっと評価されてもいいんじゃないかと思いますね。

最新の曲「WIPER」ではさらに分厚さを増していて、私は彼らはロックだと感じずには入られません。

 

 

 

と、まぁ私見ですが、今の彼らと同世代のミュージシャンの中ではやはり群を抜いていると思います。

 

 

そして、私がもう一組、最近注目しているバンドがあります。

先にも述べたnever young beach。

彼らの音はまたSuchmosとは全く違う分野と言っていいでしょう。なので、シティ・ポップの一括りには限界を感じずにはいられません。彼らのトリプル・ギターが醸し出すなんとも言えない楽園感、今時珍しいと感じられる低音の太いヴォーカルが魅力です。わかりやすい詞とメロディー。初めて聴いた時はもろに細野晴臣やはっぴいえんどの流れを組んでいるかなと思ったけれど、アップテンポの曲ではガレージ・ロックの勢いある感じもあって、かなりいい。

 

「あまり行かない喫茶店で」

 

 

 

この年の瀬に、大掃除も年賀状にも手をつけず、こうやってブログを書いているのは、この週末に開催されるFM802主催の日本のロック・フェッス「Radio Crazy」の2日目に行くことになったからです。

実際に生でSuchmosの演奏を見てみたいと単純に思って、抽選に応募したら当選しました。聞くところによると人気のフェスなのでチケットも争奪戦なのだそうですね。

これは、今年二つの季節バイトを掛け持ちながら、主婦業もこなし、そして月二本のコラム執筆も休まず続けてきた私自身へのご褒美なのですよ。

 

当選したからには、他のバンドも調べてみようと思ったのがきっかけで、こんなブログを書くことになりました。

いやぁ、日本のバンド勢いありますよ。

他にもOKAMOTO'sや、スピッツ、ハナレグミとフジファブリックのコラボのハナレフジも気になるところ。

 

私のようなオバさんでも体力がついていけるのか心配ですが、お一人様参戦なので、無理せず楽しめたらとも思っています。

年末なので、年内のブログにライブレポートが書けるかどうかはわかりません。

更新が開きがちなブログでしたが、訪ねてくださり、応援してくださって今年もありがとうございました。

 

皆様、よいお年をお迎えくださいませ。

 

 

 

 

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