77Mは、プニプニ帝国の重駆逐戦車(自走砲)である。



[開発]

万出歴111年、プニプニ軍は来るべき戦争に備え、新型重戦車45Mタスクワの開発を開始した。45M重戦車は砲撃で穴だらけになった戦場を難なく前進できる走破性と遭遇しうるあらゆる対戦車火砲に耐える装甲を備え、さらに歩兵の掃討、対戦車戦、陣地の破壊を一挙にこなす武装を備える万能重戦車として開発が進められていた。しかし、全ての要求を完全に満たすことは困難であった。検討の結果、対陣地攻撃力については妥協する代わりに、45Mを火力支援する陣地攻撃用の自走砲を併せて開発することとなった。この自走砲には当初45M-11の名前がつけられたが、後に77Mに改名された。

45M タスクワ重戦車

プニプニ軍の万能型重戦車を目指して開発された。


開発当初77Mの主武装として、仮想敵国であるレゴランド民主主義連邦


の標準的なベトン陣地を貫通しうる最低限の火力として12cmカノン砲が選ばれた。しかし、火力に関する要求は次第に肥大化し、最終的に民主連邦が持ちうるあらゆるトーチカを一発で貫通する火力が求められるに至った。この要求に応える為、12cmカノン砲よりもはるかに破壊力のある17cmカノン砲が搭載されることになった。

77M自走砲は45M重戦車の車体を流用する形で開発が進められた。当初は45M重戦車の車体中央にある砲塔を撤去して固定戦闘室に変更し、それ以外は大きな変更を行わない予定だった。しかし、搭載予定の砲が大型化し、さらに直射に加えて曲射能力も求められるなど要求の肥大化が相次いだ為、重心や操砲スペースに問題が生じ、大胆な設計の変更を行う必要に迫られた。戦闘室は車体中央部から後部へ移され、後部にあったエンジンと変速機は前部へと移された。これは走行装置を盾にすることで前方からの攻撃から乗員を防護する意図もあった。前部にあった操縦席は車体左側のフェンダー直上に移された。この変更に伴い履帯の上部支持輪は廃止されている。


正面防御についてはタスクワ重戦車の100mm垂直装甲と比べてやや劣る程度の80mm垂直装甲もしくはそれと同等の傾斜装甲で十分とされた。これは民主連邦の7.5cmカノン砲に対する防御を想定したものだった。しかし、民主連邦が12cm級の戦車砲を備え、かつ300mm超の装甲を持つ新型重戦車を開発しているという情報が入った(これはコローニア重戦車


のことだったとされているが、プニプニ側はこの車両の性能を過大評価していた)。これに対抗する為の車両として、コローニア重戦車を唯一撃破しうる火力を持つ予定だった開発中の77M自走砲に白羽の矢が立った。77Mを対12cmカノン砲防御を有する重装甲の対戦車自走砲とすることになったのである。当初垂直装甲にして80mmだったはずの装甲は垂直部分が200mmにまで増厚され、さらに車体と戦闘室前面の装甲は避弾経始を考慮し、100mmの装甲を45°程度傾斜したものになった。傾斜部分は200mmの垂直装甲と同等の防御力を持つとされた。

正面以外の装甲は重量の増大を抑える為、正面と比較して非常に薄かった。側面は40mm、後部は僅か15mmで、小口径の対戦車砲はおろか対戦車銃でも貫通される可能性があった。


正面以外の防御力を犠牲にした軽量化の為の努力にも関わらず、度重なる要求の増大の結果、重量は当初の予定だった50tから80tにまで増大した。これは機動力や信頼性に深刻な悪影響を与えた。発動機にはマンデス社製の700馬力エンジンが搭載された。これは開発時のプニプニ軍で最も強力な戦車用エンジンだったが、それでも本車を満足に動かすには不十分な出力しか持たなかった。

正面から
車体左側側面に申し分程度に付けられた機関銃が見える。



[運用]

完成した77Mは機動力が低く実用的ではないと判断された為、試作車両を含めて4両が製造されたに留まった。しかし折しもヌプケ戦争が開戦し、4両はカムラー要塞包囲戦に投入されることになった。

投入された本車は開発中に指摘されていた弱点が露呈した。穴だらけの戦場では満足に動くことができなかった。さらに左右の射角が狭く、狙いを定める為に重い車体を頻繁に旋回させた結果、足回りの故障が頻発した。

1号車は前線に着く前に故障した為に引き返した。2号車は穴に砲弾によって出来た穴にはまって抜け出せなくなり、回収が困難を極めた為爆破処分された。3号車は野砲に車体側面を貫かれ撃破された。唯一生き残った4号車は現在、予備役として保管されている。運用した前線部隊からは、「今後このような重駆逐戦車を運用すべきではない」と酷評されており、完全な失敗作と見做されている。

しかし、民主連邦側からは77Mは極めて大きな脅威として映った。包囲戦時、民主連邦軍に配備されていたあらゆる野砲を以ってしても77Mの正面装甲を貫通することは出来ず、逆に民主連邦のトーチカや戦車は本車の遠距離からの砲撃で木っ端微塵に破壊された。中には77Mを見ただけで陣地を放棄し逃げ出す者もいた。


なお、予備役の4号車はその強そうな外見を買われ、国家のプロパガンダに度々利用されているという。

側面から


後方から

小型自走砲と77M重駆逐戦車。本車の大きさがよく分かる一枚である。 

車体内部。操砲の為に広い戦闘室が確保されている。なお、弾薬は分離装薬式である。


[後書き]

久々のブログ更新になります。ソビエト軍のSU-14-2を参考に作りました。こちらの車両、フェンダー上のスポンソンにあたる部分に操縦席があるのですが、なかなか珍しい構造をしてて好きです。あと少しフェルディナント重駆逐戦車も参考にしたりしてます。特に足回りとか。

それから今回から陸軍車両の命名規則を、数字+式から数字+Mという形に変更しました。これはWW2時のハンガリー軍車両をイメージしてます。あと車体になった重戦車の方と、比較用写真の小さい自走砲の記事もいつか書きたいですね。