M116ロケットは、プニプニ・マンデ帝国が開発した弾道ミサイルである。


[開発]

マンデ歴100年代初期、プニプニ・マンデ帝国は次世代の長距離攻撃手段として、空軍が中心となり重爆撃機の開発を進めていた。しかし、陸軍は長射程兵器が空軍に独占されかねないこの動きを良しとせず、独自の長距離攻撃兵器の開発を決定した。

当初、通常型の火砲の延長線上にある超巨大砲が検討されていた。しかし、この方法では最大射程はせいぜい100km程度と見積もられ、発展目覚ましい航空機の行動範囲と比べると大きく見劣りした。また巨大で重すぎるため移動させるのが困難で、攻撃兵器として不適切であると考えられた。そんな中、注目されたのがロケットであった。ロケットは新世代兵器の動力源として各国で研究が進められており、通常火砲と比べて威力や射程の割に軽量に出来るという利点が認識されつつあった。プニプニ陸軍はこのロケット動力に目をつけ、開発の方向性を通常からロケット推進式の巨大砲弾へと切り替えた。このロケットには「A19419」の名前が与えられた。

開発に当たって、目標への誘導、姿勢制御、燃料の取り扱い、信管の誤作動防止、強度の確保など、課題は山積みであった。しかし、近隣諸国との緊張が高まり、開戦が差し迫る中で開発は次第に加速していった。A19419ロケット開発のため、帝国内の様々な機械・化学メーカーや大学・研究所などが総動員され、「国内の科学者の110弱%が参加した」とも言われた。発射実験は514回に渡り、膨大な金と資源、そして労力が費やされながらも、ロケットは一歩づつ実用化へと進んでいった。

マンデ歴114年、関係が悪化していた南の大国、民主連邦との間でついに戦争が勃発した。プニプニは緒戦で華々しい勝利を収めたが、民主連邦を屈服させるには至らず、戦争は長期化の様相を呈していた。そんな中、敵の戦意を喪失させる為、民主連邦の諸都市へ空襲が実行された。しかし、民主連邦側の激しい抵抗により爆撃隊は出撃の度に大きな損害を被っていた。そういった戦況下、陸軍は爆撃機に替わるより優れた長距離攻撃手段を速やかに用意する必要があるとして、開発中のA19419を直ちに戦力化することを命令した。開発側は完成度をより高める必要があるとして早期の戦力化に反対したが、実戦で運用しつつ改良を進めるべしとして結局陸軍側に押し切られ、程なくしてM116ロケットとして制式採用された。


M116ロケットは鉄道での運搬、発車を前提として開発されており、鉄道貨車を改造した起立発射台、燃料となる液体酸素と水エタノール混液を同時に詰めるタンク車、人員や設備を輸送する貨車などから成る鉄道ロケット発射部隊が編成されて直ちに戦線へと送り込まれた。そして間もなく、民主連邦諸都市へのロケット攻撃が開始された。

 

専用のタンク車。二種類の推進剤を1両で同時に運ぶことができる。


[実戦]

民主連邦に最初のロケット弾が落下した時、民主連邦人はそれを航空爆弾の一種だと考えていた。しかし、航空機が侵入した痕跡が全く無いことや、着弾時に全く音がしないこと、そして爆弾の破片を分析した結果から、この兵器が未知のロケット爆弾であることを突き止めた。最初のロケットが落ちてきてから連日連夜、音速を超えて飛翔し、迎撃不可能で前触れなく着弾するロケット弾は民主連邦市民を恐怖のどん底に陥れた。民主連邦側は偵察機を使い、この忌々しい無差別破壊兵器の発射設備を血眼になって探し回ったが、なかなか発見することは出来なかった。それもそのはず、M116ロケットの最大射程は364km程度あり、発射台は戦線のはるか後方にあった上、鉄道網を駆使して動き回り、さらにはトンネルなどに身を隠すことが出来たのである。

しかし、この兵器に恐怖したのは民主連邦側だけではなかった。発射後、空中で故障するならまだ良い方で、発射前や発射した瞬間に機材や人員を巻き込んで爆発する事故が度々発生しており、安全性は著しく低かった。発射部隊の損害の多くはロケットの自爆によるものだった。無事ロケットが発射されても、故障せず目標都市へ到達できたものは半分に満たなかった。

危険に身を晒していたのは運用部隊だけではなかった。捕虜や事実上強制的に集められた労働者がろくに教育されないまま製造に投入され、杜撰な体制の下で大量生産が強行された。その結果、製造現場では爆発などを含む重大事故が多発した。しかし、根本的な原因究明は二の次で更なる増産が急がれた為、多くの危険を抱えたまま生産と運用が続けられ、事故もまた起こり続けた。一説では、攻撃で失われた命よりも、製造から発射に至る過程で失われた命の方が多いとされている。

また、M116ロケットは帝国にさらなる波紋を引き起こした。M116ロケットは燃料として大量のエタノールを必要とした為、増産に伴ってエタノールに不足をきたすようになった。そこで、帝国内のあらゆる酒造設備を燃料用エタノールの製造に回すよう通達が出された。実際のところ、酒造設備をそのまま燃料用のエタノール製造に回せるわけではなく、燃料確保に託けた事実上の禁酒法を出し、国内の引き締めを図ったと言われている。しかし、これが帝国国民の猛反発を招いた。各地で反禁酒暴動が多発し、帝国国内の反戦運動や諸民族の独立運動を後押しした。敵国民の戦意喪失を狙った兵器で、逆に自国民の戦意を喪失させる結果となったのは何とも皮肉なことであった。
 
先端は赤、それ以外は黒と白の市松模様という派手な塗装がなされている。これには、実戦で運用しつつデータを収集するのに、ロケットの姿勢が確認しやすい塗装が都合が良いという事情があった。一方で、敵に捕捉されるはずがないという慢心もまたどこかにあったのかもしれない。

なお、あまり多くはないものの、M116発射部隊が民主連邦側に発見され攻撃を受けた例が幾つか確認されている。ある例では攻撃機にトンネル内に隠れている所を発見され、航空ロケット弾を撃ち込まれた結果、弾頭や燃料がトンネル内で大爆発を起こし、山全体が大きく崩れたという。
燃料を注入する様子

ロケットの発射準備は昼頃から始められ、4時間程度の準備の後、夕方に発射されることが多かった。発射後すぐに発射部隊が夕闇に紛れて姿を隠すことができる為であった。民主連邦側からは、定時の午後5時頃に着弾することが多かったことから「終業チャイム」の渾名が付けられた。
 
 

 

 

起立態勢

 

 

上に登り発射準備を行う兵士

 

横から

 

 

 

あとがき
ロケット本体と発射台はV2ロケットをモデルに製作しました。鉄道発射式ミサイルという発想はソ連のものを参考にしています。
戦争は・・・やめようね!