こんばんは!村上麻衣子です。

今回の夏期休暇。実は、予定していた計画を白紙にし、夫婦2人大阪の実家に戻っていました。

実は、人生で1番辛い時間を過ごしてました。


先週9月2日。
8月末からの京都&大阪出張を終えて、東京へ戻ってきました。

最終日は大阪は大雨で、休みだった父親が車で駅まで送ってくれたんですね。


そして、その2日後。

忘れもしない、午後のコーチングの休憩時間。
母親と主人からの不在電話があり、電話をかけ直したんですね。

いつもと変わらない、母親の声。

いつもと変わらない、口調、声の大きさ。

そんなトーンで普通に、母親が言ったんです。

「お父さんがな、入院すんねん。これから手術で」

「はっ?」

「だからな、お父さんがなんばの病院で手術でな。仕事やったかな?と思ったから留守番電話入れへんかってんけどな」

「はっ??だから何いってんの?」


心臓が止まりそうになった瞬間。

それから、母が色々言ってたけど、全然耳に入ってこない。

通勤中に駅から、電話がきてん。
なんか、手も足もおかしいねんって。
だからな、すぐに、病院いかなあかんねんってゆってん。
それでな・・・・

・・・命はな、大丈夫って先生ゆっててんけど。
それでな・・・


冷静に母が話せば話すほど、何言ってるから全然入ってこない。
わかんない。何ゆってるか、わかんない。

二子玉川で不安を自信に変える女性起業家専門コーチ

「だって、2日前、笑顔で駅まで送ってくれたやん!」

「だって、休み中に、温泉旅行いったやん。
コウノトリ見に行ったやん。

だって、焼酎ボトル1本あけて、お母さんと大笑いして酔っぱらいまくってたやん」


今だって、写真いっぱい残ってるんですよ。
動画も、残ってるんですよ。

結局、手術が無事に終わったと連絡がきても、その日の面会時間内に、父が麻酔から覚めることはありませんでした。

母の最後の電話から、次の日の母の報告までの時間。

耐えられない時間でした。

このまま、覚めなかったらどうしよう。
どうなってしまうんだろう。

今思えば、母がいつも通りの普通の声だったのが、唯一の救いだったんだと思います。


身内にしか打ち明けられずに、仕事をこなしながら。
精一杯、元気でいようとしていて。

集中治療室にいる父の様態が、気にながら、分からん事ばかり。

脳卒中で入院した父。
一週間前は病状を知りたくて「脳内出血」「脳卒中」と検索しながらも、怖過ぎてそれ以上の記事を見る事ができなかった。


それから、目が覚めたと連絡が入り、同時に。
右半身が動かない、うまく言葉がしゃべれないとも分かった。

それでも、命が戻って、それだけで涙が止まらなかった。


偶然にも、担当の看護婦さんの名前が、私と同じ「麻衣子」さんなんですって。

父が、指差して「同じ」って言ってね、ニターって笑うんですって。。。

家から病院までは1時間以上かかって。
腰痛を抱える母をねぎらって、倒れたその日から看病にきてくれた、おばちゃん。


そのおばちゃんが、電話で私に言ったんです。

「麻衣ちゃん、おとうさん、大丈夫や。お母さんついてるもん。
お母さん、すごいで。
おばちゃんはもうアカンわ。泣いてしまって。
 
せやのに、お母さん、いつも通りのパァーってした明っるい笑顔やねん。ほんますごいと思う。でな、お父さんも笑顔やねん。

だからな、まいちゃん大丈夫や。
来れるタイミングで来てあげたら、それで喜ぶから」

二子玉川で不安を自信に変える女性起業家専門コーチ

これまでガマンしてた涙がもう止まらなくて、家への帰り道。うずくまって号泣しました。

それで、本当にタイミングを合わせたかのように、事前に今週、夏休み期間があり。
予定を白紙にさせて頂き、夜のクライアントさんと分かれた後、夜行バスで大阪の病院に直行でした。


音楽を聞きながら、時間を過ごし。
ついに訪れた、面会の時間。。。


ほんまにすごいです。

目の前には、右半身不随になって、言葉がうまくでない。それなのに、いつもと変わらない笑顔の父親がいます。

手術を終えた次の日から、リハビリが始まって!
1週間かからずに、集中治療室から一般病棟へ。

利き手と逆の左手で、ヨレヨレの字か記号か分からない文字で、私とコミュニケーション取ろうとするんです。

始めは全然わからなくって、そのうち父も疲れてきます。もどかしいやろうし、イライラもしてると思います。

それなのに、ゼッタイに諦めない。

主人と一緒に、大阪滞在中、毎日病院に通いました。

毎日、脚のリハビリ、手のリハビリ、言葉のリハビリをがんばっています。

初めて見た父のリハビリ。全く動かない右腕を動かせるようにがんばるリハビリ。
やっぱり、感覚はあるけれども、自分の意志で動かせないんです。

2日目。
1日目と全く同じ動作にチャレンジした瞬間、スーッと右腕が下に動いた!!!!

「わぁーーーーー!!!!!」

驚き!!で主人とリハビリの先生と思わず声をあげました。

私は、涙をこらえるのに必死でした。

今回は、感動と嬉しい涙です。


父と過ごした4日間。
1日、1日。父は進化していくんです。

左手でガッツポーズして「リハビリがんばる!!!!!」って言うんですよ。

最後の日。
父が突然、必死に訴えてきました。
何とか分かったメッセージ。「看護婦さんに、自分と麻衣子とじゅんくん3人の写真撮ってもらうお願いして」

ほんまに、父らしいです(笑)

元々カメラマン志望の父。私の子供時代から、イベントごとにビデオを編集してタイトルをつけては、小学校の先生たちに配ってました。

それからイベントでは必ず、父のカメラ席を設けられました。

家電量販店に勤め、プライベートでは新しい趣味の大型バスツアーをほぼ毎月企画してました。

自分で企画、チラシを作り、集客。バスを運転、車内で流す音楽を編集し、カメラを撮り、アルバムを作る。
毎月リピーターさんが20人以上集うんです。

全国どこに行っても、誰と会ってても、「相手想い」からの行動が変わらない。

私が独立してから、時間がたてばたつほど、父は目標の人に変わってきました。


今、私には「ゼッタイに諦めない理由」が1つ増えました。

それは、「父親が、また、大好きなバスツアーを開催できるようになることを応援し続けること。そのモチベーションになるように、笑顔でいっぱい嬉しい報告ができる仕事をすること」



初めて、本当に、突然何が起こるかわからない。

そう思っています。

父がゼッタイに諦めずに、毎日、毎日、チャレンジし続けてるんです。

今日よりも明日。明日よりも明後日。
1つ1つでいい。1つでも前に進められること。

絶対に何もしてない今より、1歩2歩前進しているから。


父の顔を見れて、一番の気持ちは「ほっ」としたんです。
やっと、こうして報告することが出来て、また、「ほっ」としています。

父は、ゼッタイにリハビリをがんばって回復すると信じて、がんばっています。私は父以上に、信じて応援し続け、自分もがんばり続けます。

私自身、父に胸をはれるよう。
ゼッタイに諦めずに、チャレンジし続ける起業家であり続けます。

長文を読んでいただき、本当にありがとうございます。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
全ての不安を成功に変える!不安ゼロ起業の村上麻衣子でした。

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