誰も語らない沖縄の真実 ~平成25年度予算成立を機に考える~ | 武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba

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国家主権、国家の尊厳と誇りを取り戻す挑戦!品格と優しさ、初志貫徹の気概を持って(滋賀四区衆議院議員武藤貴也のブログ)

 もうじき参議院の審議を経て平成25年度予算が決定する。厳密に言うと参議院では否決される見通しで、衆議院優越の憲法の規定により、衆議院の議決をもって予算が成立することになる。もちろん私は与党自民党の一員であり予算に反対するものではないが、今回の予算で非常に違和感を覚える編成が行われた部分がある。それは沖縄に対する特別な地域振興予算である。

 元々沖縄に関する特別予算は他府県と比べて群を抜いて大きかった。しかし本年度予算は、民主党政権において鳩山元首相の「最低でも県外」発言によって起こった混乱を収拾するため増額された額よりも、更に大きくなった。

 例えば内閣府所管の一括交付金は、他の都道府県では廃止されたにもかかわらず、沖縄だけはそのまま存続され、更に増額された。内訳は、ソフト事業(沖縄振興特別推進交付金)が803億円、ハード事業(沖縄振興公共投資交付金)が810億円、合計1613億円にまで膨れ上がった。

 沖縄の特別な予算はもちろんこれだけではない。総務省所管の「特別交付税」も日本で一番多額であり、もちろん基地に関連した「基地交付金」、「調整交付金」といった米軍基地に関連した巨額交付金も存在している。それに加えて、防衛省所管の「特定防衛施設周辺整備調整交付金」という名目の交付金もある。このように沖縄に交付される様々な予算は、おそらく役所も全体像を殆ど把握できていないのではないかと思うほど多岐にわたり存在している。

 さて、ではなぜ沖縄にこれだけ巨額な予算が毎年毎年投入されることになったのか。その根底には役所の中で絶対的な前提とされる「四つの特殊事情」と呼ばれるものがある。それは①沖縄が26年余りにわたり我が国の施政権の外にあった「歴史的事情」、②広大な海域に多数の離島が存在し本土から遠隔地にある「地理的事情」、③我が国でも稀な亜熱帯地域にあること等の「自然的事情」、④米軍施設・区域が集中しているなどの「社会的事情」、以上四つである。

 私が問題だと思うのは、この四条件が疑うことなく当たり前のこととされ、そしてこれに基づき多額の予算が沖縄だけに投入され続けてきたことである。

 今、私の手元一冊の本がある。沖縄県出身のジャーナリストで、現在拓殖大学で客員教授をされている恵隆之介氏が書いた『誰も語れなかった沖縄の真実』という本である。この本の中には、政府が常識としてきたことを覆すような驚くべき事実が沢山書かれている。まず、沖縄が米軍の統治を受けることになった裏には、日本の天皇陛下の御意向があったというものである。天皇陛下は終戦当時、ソ連と中国が沖縄に侵攻してくることを危惧し、それを防ぐため、沖縄を守るために、日本国に沖縄の主権を残したままで長期の米軍の軍事占領を要望したというのである。しかしこれが今や捻じ曲げられてしまって、「日本政府は沖縄を切り捨てた」として、主権回復記念日の制定に沖縄県は断固として反対を唱えるまでに至っている。

 更に、その後の米軍統治下の沖縄の状況についても、これまで沖縄県民は多大な苦しみを味わってきたと語られてきたが、事実は大きく異なっていたと書かれている。例えば、戦前の沖縄は感染症のデパートとも言える状況であったのが、米軍統治時代、米国が沖縄の医療・看護の技術を革新的に発達させ、感染症を撲滅したという事実。また、子どもたちの教育の普及のため学校などのインフラ整備を行っていたという事実。そしてなによりアメリカの財政移転等により、戦前と比較し沖縄の経済が20%も成長したという事実である。本土復帰の際、実は沖縄の財界が現状維持を望み反対した事実も恵氏は指摘している。

 つまり、沖縄に多額の補助金を投入し続ける最大の前提となっていた「約26年間の米軍統治」が、その後日本政府が補償をしなければならないような「塗炭の苦しみ」ではなかったという事である。

 更に、恵氏は本の中で米軍施設が沖縄に集中しているという客観的事実にも異論を唱えている。マスコミは全て「在日米軍基地の75%が沖縄に集中」としているが、実はこれは分母を「米軍専用施設」に限定しており、日本の自衛隊との「共有施設」を分母に含めれば、なんと沖縄の米軍施設は全国の22.6%に過ぎないのである。例えば青森県三沢の米軍基地は、自衛隊の使用部分が全体の僅か3%だが、自衛隊との「共有施設」のため分母から省かれている。また日本で一番大きい横須賀の基地や、沖縄市や宜野湾市の米軍基地よりも大きな基地を抱える岩国も自衛隊との「共用施設」ということで分母から省かれている。

 このように、沖縄が米軍統治下で苦しい思いをしたという「歴史的条件」や、米軍基地の殆どが沖縄に集中しているという「社会的条件」は、現在は疑う余地のない事実とされているが、おおよそ実態と異なっている可能性があるのだ。また、「自然的条件」と「地理的条件」についても離島振興法等によって別の分野で予算化され対策がなされている。従って、「歴史的条件」「社会的条件」が実態と異なっていたというのであれば、当然現在に至るまで沖縄に多額な補償や補助金を出してきた政府の方針は変えなければならない。

 一方で、確かに戦争中に北方領土と同様、沖縄でも悲惨な「陸上戦」があり、沢山の人々が亡くなったことは事実だろう。それに対して後世の私たちが何らかの感謝の意、あるいは補償や保障をすることも大切ではある。しかし、まず沖縄で亡くなった人の多くは本土から出兵した他府県出身者が含まれており、私の祖父の兄も沖縄戦で戦死している。また、仮に沖縄の人々が多大な苦しみを経験したとして、その補償が必要だとしても、戦後日本政府は沖縄に対しては既に14兆円とも言われる莫大な予算を投入してきた事実があり、そもそも感謝の意についてはお金よりも教育等により気持ちでなされるべきものである。

 加えて私たちが考えなければならない重要なことは、戦後沖縄に莫大な補助金を投入してきたことがかえって沖縄の「自立」を阻害してきたという事実である。国の手厚すぎる補助金のせいで、沖縄県内の産業は育たず、国への依存度は次第に高まっていった。役所は「一定程度インフラ整備は進んだ」と主張するが、予算を投入すればハード事業はある程度進むに決まっているし、それ以前に大切なことは、いかにして沖縄県を「自立」させ「成長」させるかという視点である。

 にもかかわらずその「自立」や「成長」といった視点を議論せずに、ただただ莫大な予算を投入し続けたせいで、沖縄県の「財政力指数」は未だ全国平均の6割程度しかなく、「完全失業率」に至っては昭和47年の本土復帰以降、常に全都道府県の中で最悪の47位に位置している。これでは安倍総理が「自らの生活は自らによって支える自助・自立を基本とし、これをお互いが助け合う共助によって補完し、それでも対応できない者に対しては公助によって支えるという順序によって図られるべきです」と主張した「自助・共助・公助」の基本精神に反することになる。

 既述の恵氏はこれまでの政府の沖縄振興の在り方を見て、「沖縄を生活保護県にするな」と言い、「本土人は沖縄県民にたかりを教えた」とまで語っている。また軍事ジャーナリスト井上和彦氏は「沖縄の問題は全てカネに集約される」と述べていた。

 ここでは詳しくは書かないが、沖縄の普天間基地の建設経緯や辺野古移設問題の経緯を見れば、基地誘致は、沖縄が望み、沖縄が反対する、という奇妙な構図が見えてくる。一見矛盾するが、沖縄県民は補助金をもらうため基地誘致を望み、補助金をもらうために基地建設に反対しているのである。今回の与那国島の町長が自衛隊の基地建設を切望し、いざ誘致が決定すると、防衛省の補償提示額以上を望み反対に回るのと同様の構図である。

 私は沖縄の未来を考えるからこそ、いつまでも「補助金漬け」にし続ける沖縄振興対策のあり方を大きく転換していかなければならないと考える。そして「米軍による26年間の統治」がどういうものであったか、再度検証作業が必要であろう。今後安全保障委員会や外務委員会でこの問題を取り上げていきたいと思う。