国民を守るはずの「憲法9条」が国民救出を阻んでいる? | 武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba

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国家主権、国家の尊厳と誇りを取り戻す挑戦!品格と優しさ、初志貫徹の気概を持って(滋賀四区衆議院議員武藤貴也のブログ)

「極めて不十分な安全保障法整備」
 昨年7月1日、集団的自衛権行使容認を含め、安全保障政策全般にわたり見直しを行う旨記した文書が閣議決定された。そしてそれを踏まえて、昨年末自民党内で安全保障法整備推進本部が設立され、現在に至るまで法整備に関する会議が行われてきた。しかし、せっかく国民的な議論を盛り上げ、安全保障法を大きく変える良いタイミングであったにもかかわらず、そこで決定された内容は極めて不十分と断じざるを得ない。
 そもそも大きく変化する国際社会の中で、我が国の平和と安全を維持し、国際的な義務と責任を果たすと謳い策定された昨年7月1日の「閣議決定」では、「切れ目の無い対応を可能とする国内法制を整備する」、「自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにする」という文言が記されていた。
 しかし、実際様々な議論を経た後まとめられたものは、我が国の防衛について「切れ目」が存在し、国際平和協力活動に関しても「幅は狭く」、「十分」とは到底言えない。


「切れ目のある離島防衛」
 まずは尖閣諸島周辺に関する防衛についてである。中国による「領海侵犯」は月3回から5回、公船によって定期的になされている。接続水域に対する侵入は月20回から50回に及ぶ。中国の意図は、既成事実を積み上げ、尖閣諸島周辺は日本の実効支配が及んでいないことを法的に証明することであり、領海侵犯そのものが目的と言っても過言ではない。実効支配が揺らげば、当然「日米安全保障条約第5条」の対象からも外れる。
 確かに、国際法では国連海洋法条約において「無害通航権」が認められているが、中国が行っている通行は、これには当たらない。加えて、同条約の25条では「沿岸国は、無害でない通航を防止するため、自国の領海内において必要な措置を取ることができる」とされている。公船に対しても、比例性は担保しつつも、必要な措置を取ることはできる。つまり日本は中国公船の領海侵犯に対し、法的には「それを防ぐために必要な措置をとることができる」のである。しかし現在の日本は、外国公船が上陸を標榜して進んでくる場合に、それを防ぐ必要な措置をとる法整備がしっかりなされていない。これは武力行使に至らない侵害、いわゆる「グレーゾーン事態」とか「マイナー自衛権」として議論されているが、今回の法整備でもしっかりとした結論が出されておらず、「切れ目」となっている。


「幅は狭く、不十分な国際協力」
 今回の政府与党が決定した安保法制は、肝心な時に自衛隊が活動できないように縛るものだ。例えば、自衛隊が非戦闘地域で「日本や国際社会の平和のために活動する他国軍」に後方支援を行っていたところ、支援していた軍に対しどこかの国または国に準ずる組織が攻撃を加えた場合、日本の自衛隊は後方支援を中止し撤退しなければならない。つまりまさにこれから給油等の支援が必要な時に、日本の自衛隊は協力できなくなることになる。これで果たして「幅広い支援活動」で「十分に役割を果たす」と言えるだろうか。
 また、集団的自衛権発動に関しても他国では見られない「存立危機事態」の認定という基準が設けられた。例えば「9・11同時多発テロ」をきっかけに、米国はアルカイーダをかくまうアフガニスタンに自衛権の行使を行った。これに対し当時NATOは集団的自衛権を発動し、日本は「非戦闘地域」において「後方支援」を行った。今回の法整備では、日本もNATO同様に集団的自衛権を発動できるようになることが期待されたが、集団的自衛権発動には「存立危機事態」の認定が必要とされることとなった。そしてアフガン攻撃はそれに当たらないことが確認された。これも国際社会や同盟国からは「不十分」と思われるだろう。
 私は米国のアフガン攻撃のような事態が起こった場合、集団的自衛権を発動するかどうかは時の政府の判断であり、発動しないという判断をすることもあると思うが、法整備は十分に行っておくべきだと考える。


「拉致被害者の救出を阻む憲法9条」
 そしてもう一つ大きな問題は、「邦人救出」についてである。先般行われた拉致議連の会場でも問題点を指摘したが、昨年の閣議決定や自民党が取りまとめた方針でも、「邦人救出」には「当該領域国の受け入れ同意がある場合」という限定が付け加えられている。つまり日本政府は北朝鮮による拉致被害者を物理的に救出することはしないと断言したに等しい。北朝鮮が邦人救出に同意するはずないからだ。
内閣府や外務省によれば、「受け入れ国の同意が必要」という限定を加えた理由は「憲法9条」による制約だという。
 拉致問題は、被害者家族も高齢になり、時間的制約がある。家族会も救う会も、文字通り今年が拉致問題の「最終決戦の年」としている。政府はこのことをきちんと認識して誠意をもって全力を尽くすことができているだろうか。今回の「邦人救出」に関する法整備に、「受け入れ国の同意がある場合」という限定がついていることは非常に残念でならない。実際に特殊部隊を作って救出作戦をするかどうかは能力的にも課題があり難しいとしても、日本人を救出するためには「受け入れ国の同意がない場合」もできるように法整備しておくことは、北朝鮮に対する圧力にもなり、必要なことだと私は考える。


「9条が原因なのか、それとも覚悟が無いことが原因なのか」
 これまで挙げてきた問題点の原因は、全て「憲法9条の制約」だと政府役人は答弁している。しかし本当にそうだろうか。「憲法9条」のどこを読んでも拉致された被害者を救出できないとは書いていない。国際法上も自国民救出については、「憲法9条」の禁じていない「自衛権」で説明されることが多い。まして日本人拉致事件のように、国家が首謀し、組織的に大量に日本人を拉致し監禁し、工作員として教育し、国際的なテロ事件を起こすような場合、邦人救出を行っても、当然、最小限度の「自衛権の行使」で説明できる。もっと言えば、先に述べた集団的自衛権行使も国際平和協力活動も、すべて憲法解釈の変更を行うだけで十分説明できる。にもかかわらず憲法解釈の変更、更にはそれにかかる法整備をしないのは「覚悟」が無いとしか言いようがない。つまりすべては恣意的に行使できないように、憲法を言い訳に使っているのである。
 先日、ある米国出身の弁護士が「憲法9条は、米国に刃向かった日本に対する制裁措置・ペナルティだ」と語っていた。日本国憲法をつくったGHQは、まさに「制裁」として「憲法9条」を入れたのだろう。しかし日本人は、その「制裁」としての憲法9条を、あろうことか逆に非常に高く評価し、守ってきた。アメリカ人から見ると、不可解あるいは滑稽に見えるだろう。
そして今、その「憲法9条」が邦人救出を阻み、日本の国際協力を阻止している。政府が言うように、拉致被害者救出に全力を尽くすというのなら、「そんな憲法は改正すべきだ」と叫ぶのが政府の仕事であろう。
 もっとも私は現行憲法でもすべて十分対応できる解釈が可能だと思っている。つまり全ては政府、ひいては国民の「覚悟」の問題なのだと思う。