スイミン愚物語 男女総合優勝 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

プールのない中学の水泳部の過酷な練習は続いた。

冬場はひたすら山道を走り、後は腹筋と腕立て伏せを死ぬほどやらされたが、やらなくても皆人並み以上に腕力は強い。

秋のマラソン大会では、陸上部、野球部を抑えて上位10人中7人までが水泳部だった。先生が暴力で集めた1年生20人は過酷なしごきに耐え切れず、また一人また一人と脱落し半分になってしまった。

先生がカナヅチで技術指導も何もなく「根性ドバ!」としか言わないものだから各自が自分に合った泳ぎを身につけた。

自由形4人の泳ぎはそれぞれまったく違っていた。

100mの野人は県内でも一番と言うほどのスローピッチで、1500mの男の半分のピッチだった。

後の二人は200、400、と丁度良く分かれた。

二年生になると全員が決勝で入賞し始めた。

温泉プールで年中練習出来る連中と対等に渡り合えれば、後は体力とセンスの勝負だ。

市内で総合優勝、3年生でついに大分県で男女総合優勝を果たした。

全国大会へは5人が標準タイムも突破して優勝、出場する事になった。

800mリレーの4人と、背泳の選手だ。

津久見市としては初めてのことで、しかも5人。駅の広場で壮行会が行われた。ブラスバンドが派手に演奏、市長の挨拶もあり、市長から餞別までもらった。

全国大会はNHKのテレビ放映がある。

会場についた日は、他の中学は宿舎でミーティングだがこちらはフリータイムだった。

先生いわく「どうせお前らは予選落ちじゃい!適当にやっとけ」そう言ってパチンコとストリップへ出かけたが、県大会でもいつものことだった。

夕食の時間に男二人が揃わず先生が「アホー!何処行ったんじゃ」と怒り出した。

二人は屋上で、双眼鏡で遠くのビルの「女子寮」を観察していたのだ。

正直に報告すると先生は怒って屋上に向かったが、やはり・・帰って来ない。

想像はつくが仕方なく3人で屋上へ行くと、見苦しくも双眼鏡の奪い合いが行われていた。「先生・・交代じゃあ!」「うるせえ、ガキにゃまだ早い!」。結局その中に皆入り、屋上の手すりから頭6つ並べて・・・

試合は、やはり決勝へは進めなかったが13位と健闘した。

先生は「案外・・頑張ったのう・・」と言ったきりだった。

試合当日も先生は大人しくしていなかった。

二階の観客席最前列で双眼鏡でレースを見る格好だけはしていたが、対岸の何を見ていたかは想像にまかせる。

サカリのついたオスにはとにかく早急に「嫁」が必要だった。

学校で一番綺麗な体育の教師がいたが先生はフラれた。

おそらくムードもなく露骨に迫ったのだろう。

その女教師が結婚して、後任に来た教師と先生は結婚した。

先生の自宅で「どこが気に入った?」と聞くと、「そりゃ~このバッ!と張ったケツに決まっとる」と言った瞬間に奥さんに頭をバカ!っと思い切り張られていた。

先生より背が高くデカくて逞しいし色も黒い。

先生は、試験前の一週間は部員の自宅を回り、勉強せずに寝ていようものなら二階まで上がってきて布団を剥ぎ取るのだ。そして親の前でもいつものように殴る。

こんな先生でも水泳部の男女全員に愛されていた。

とにかく県大会の男女の優勝旗を持ち帰り最後の夏は終わった。

強烈なしごきに体も成長が止まっていた。

その証拠に翌年の4月の体重は、半年間で50キロが70キロに増えていた。

筋肉だけでなくやっと骨格全体も大きくなれたのだ。

高校では水泳部には入らなかったが、その夏泳ぐと50m自由形のタイムが一気に2秒も縮まっていた。

その年に母校の中学に立派なプールが完成した。

県の優勝校にプールがないのは市としてもあまりにも格好が悪すぎる。

結婚してから先生の「腰」も少しは落ち着いたようだ。

あの理不尽で強烈なシゴキのおかげで今の野人があると心から感謝している。