野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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農法とは何か、誰が作ったのか。

農法を考える前に、実践する前に必要な事とは何か。

植物の物理的な仕組みの理解なくして表土と植物を相手にする農業はやれない。

この最も重要なことが欠けているから農業は衰退した。

 

表土とは何か。

地球は溶岩の塊であり、海が誕生してやがて陸も出来たが、岩が風化すれば砂になる。

「表土」の名の通り、表面の土とは何か、どのようにして出来たのか。

土は砂に有機物が加わったものであり、植物族と動物族が力を合わせて築き上げたものだ。

その草や虫を排除する理由は、自然界ではなく人間の道理ではないのか。

 

雨のない地域で表土破壊を続ければ表土は復元出来ず、土に含まれる有機質は蒸発、元の砂に戻り砂漠化が加速するだけ、近代農法はまったく通用しない。

表土の仕組みが理解出来ていればやる前からわかるはずなのだ。

 

農業は土作りから始まる。

肥えた土、豊かな土を求めて人は堆肥や多様な土壌改良資材を作った。

自然界の土壌は生命の誕生と消滅の循環を担う生命の聖域とも言えるが、人が求めたのは人間にとって理想的な「混合土」に過ぎず、当然だが乾燥地帯では不可能。

だから先進国の農業支援は役に立たず荒廃が加速した。

 

土壌を作ろうとした時から農業は誤った道を進み始め、それによって余計な労力と費用を背負い込むようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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生命エネルギーと言う言葉はブログ開始と同時に使って来た。

ブログを開始したのは2008年の3月7日、その1週間後からだ。 ブログ内検索すれば500以上の記事で使われている。

 

最初に使ったのが昨日の記事「葉野菜の美味しい食べ方」であり、16年経って修正もなく原文のまま紹介した。

内容は今も講習会でそのまま使っている。

 

野菜は植物だが、野菜と同じような食べ方が出来る植物は自然界には存在しない。 つまり野菜と同じものを食べた歴史はない

消化も出来ず食べた歴史もないのだから、野菜を求める本能もなく子供は野菜を嫌う。(テーマ子供が野菜を嫌う理由27編)

本来、野菜を食べることは必要ではなく、健康とも関係がないと言う理論だ。

 

自然界には人間が生で食べられる植物はほとんどなく、塩茹でや天ぷらで新芽、それ以外大半はアクや毒で食べられない。

新芽は植物の生長点であり種に次いで最も生命エネルギーが強い。

 

今は人知で、大きな葉でも生で食べられる植物が流通するようになった。 本来は必要なくとも、容易に食べられれば消化吸収は不可能でも生命エネルギーは活用出来る

 

生命エネルギー理論と言う言葉は2011年から使い始め、2015年の6月に理論として中核が完成、まとめて紹介したがさらに進化している。 生命エネルギー論も同じ意味で、検索すれば200近い記事が出る。

 

協生理論は協生生命体の仕組みであり、生命エネルギー理論は生命エネルギーの仕組み。

微妙に異なり場合によって使い分けるが同じものと扱って構わない。

人体・動植物の仕組みは生命エネルギー理論で示され、協生理論でもある。

「協生農法と名称変更」と同時期の2010年の1月から使い始め、検索すれば500近い記事に使われている。

 

生命力、生命エネルギー、生命エネルギー理論、協生理論、これらは共にブログ開始当初から使われ、協生農法、心体維持復元法の基盤理論」としてブレていない。

 

協生農法・心体維持復元法は現学問・常識と異なり、成分、養分とは関係がなく、PHなどの土壌知識や土作りとも関係がない。

生物学、農学、健康学、栄養学、環境学、生態学の道理は持ち込めない。

 

理論は理解し難いが、協生農法で覚える内容は単純な4項目、5分で済む内容。

難しくもなく習い覚えて実践するのは世界一簡単な農法。

農法実践において余計な知識、作業が入っていたら認識を見直した方がいいだろう。

 

認識・理解が間違っているかどうかは講習会で質問していただければお答えするが、必要なことはすべて書いているのだから、ブログ検索して出て来なければ関係性がないと判断すれば良い。

それらを持ち込み他の知識と混同すれば余計なことであり異物、大半は協生農法にはならない

 

植物・動物の成分・土壌の成分・養分を基準に組み立てた現学問と、エネルギーを基準に構築した物理論はまったく異質のものであり、この理論に足し算も引き算も出来ない。

 

生命エネルギー理論は生物学の基盤を変える為に構築。

これから世界がどうなるのか、推移を見届けていただきたい。

 

 

 

協生農法」に「協生農園」、農産物に表示する「協生」などは登録商標であり、自家消費は問題ないが、農園名称の使用や催事集客や農産物販売などの公開事業には荒廃農地再生機構の認可が必要。 登録されたそれらの名称は、これから協生農法を生業にしようとする人達のものだからだ。

 

有機農産物同様に、認定された農産物しか協生野菜・果物として流通出来ない。 有機栽培も、認定出来ない農地がある。

認定した全国の協生農園名・販売所はすべて公開される。

産物ロゴマークも統一、協生農産物販売組合・・だな。

 

協生農法自体は庭でも何処でも、誰でも自由に実践出来るが、協生農産物が出来るとは限らない。

協生農産物の定義は異物が含まれないことが条件であり、農地の選定と理論の理解が重要。 審査後に認定。

農業、あるいは健康目的で協生農法をやるには、始める前に伊勢での講習会を受ける必要あり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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消費者は野菜のイメージを無意識に決めてしまい、当たり前のように「鮮度悪そうだ」とか「貧相だ・・」とか一般的な常識を購入の判断にしている。

 

一様に綺麗な野菜がどれほど不自然か、野菜、植物の本質まで勉強して買い物をする消費者は少なく、自分の感性、特に美的感覚が判断の基準になっている。

そして、ホウレンソウもレタスも大根も、長い時間をかけて野菜のサイズや色のイメージが出来上がってしまった。

果たして本当にそれが美味しい野菜なのだろうか。

 

山菜の季節・・山菜はどんな状態を食べるだろう。

山菜は若芽を食べるのが当然と言うことは誰もが知っている。

大きくなると硬くなり苦くて動物も食べない。

木の実や果実は完熟しないと鳥も食べない、これも当たり前だ。

 

葉は若いほど美味しく、実は熟すほど美味しい。

それなのに同じ植物の野菜だけ、何故大きくて立派な葉っぱを食べるのだろうか。

 

鹿などの動物も鳥も皆新芽を食べる。

人類に近い猿も新芽しか食べない。

新芽は美味しくて食べやすいだけでなく生命エネルギーが溢れている。

食料と考えれば目方があるほうが得には違いない。

 

果物は流通の仕組みから、完熟前の実を出荷せざるを得ないのは理解出来るが、野菜はまったくその必要がないはずだ。

食糧難を乗り越え、健康と味を重視する時代になっても、何故そんな生命力溢れる本来のみずみずしい「野菜」が出回らないのだろうか。

 

魚も、イワシを例に取ってもわかるように、シラス、煮干、イワシと、人はそれぞれの良さを昔から暮らしに取り入れている。

大きくなって食べる魚と違い、野菜はそれが本来の「食」の姿ではないだろうか。

 

農家にしてみれば、消費者の嗜好がそちらへ向かったらどれだけ助かるか。

大きくするための労力、経費、除草、虫退治を考えたら何倍も楽だ。

種をまくだけで、立派にする為の肥料も必要なく、草に負ける前に収穫も出来る。

そうして出来た若い野菜は驚くほど甘くて美味しい。

余計なことをしないだけ地球環境にも良いはずだ。

高齢化した農家も随分助かる。

 

今は昔と違ってサイズまで揃えている。

規格外の野菜はどうなるのだろうか、食糧難の国から見ればもったいない話だ。

大きくても美味しく食べられる野菜を生み出したのは人類の知恵で、食糧不足を補った偉業であることには違いない。

安くて大きな野菜は大家族の家計を助けている。

 

ただ一人暮らしにとって、あの大根や白菜はデカ過ぎる。

重たいし水っぽい、大根おろしにすると半分は水だ。

特に若い女性にとって、あのハミ出るような大根を電車で持ち帰るのは恥ずかしいことだろう。

いつも冷蔵庫で腐らせてしまい野菜に申し訳ないと思っていた。

 

みかんは、農家でも一番小さなサイズを買って食べている。

一つの枝の養分の供給はそれほど変わらない、だから味は小さいほうが濃厚だ。

消費者はもっと農作物の一番美味しい時期を知り、そんな野菜を農家に要求して欲しいと思っている。

 

季節外れの野菜が手に入るようになったことは悪くはない。

立派な野菜、色艶の綺麗な野菜、美味しい野菜、素朴で健康な野菜、どれも大切で、目的に合わせて選べるようになれば今よりは間違いなく環境は良くなる。

それが個人にも出来る些細なことではないだろうか。

それに、スーパーに毎日同じものばかりが並んでいるのはあまりにも季節感もセンスもなくて無粋だ。

 

 

野菜とは植物。

新芽や若葉ならともかく、成長した葉で人間が容易に食べられる植物は野山にはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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