護身術の真髄4 陰陽 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

余計なこと必要なことについてはあくまで例だが、知りたければ子供に理科の教科書を借りて人類の歴史を何万年も遡れば起点がわかる、簡単なことだ。

人類の知恵は火を考案、さらに農業からすべての産業や学問などの文明を築き上げたが、人体の本質を知るなら最も長く暮らした期間のライフスタイルが起点であり単純な算数だ。

君の思考の起点、何万年もズレてはいなかったかな?

動物である人間は他の動植物と協力し合わず虫を無視、本来の食性植物とは言い難い自ら作った野菜や穀物を最も頼りにしていることがわかる。

野菜や穀物が肥料や農薬を頼りにするように、人もまた医者や薬やビタミンなどのサプリを必要とするようになっただけのことで、それが世界共通の先進国の常識になっている。

本来の主食だった野生の肉もまた同じような道をたどり同じことが言える。

今は世界中植物である穀物が主食で副食の肉は不可欠、野人の気持ちは複雑だが思考の起点から余計なものを削除して行けば、必要なものとは本来の肉と魚介と植物しかない。

植物とは主に野生の木の実と少々の薬菜のことだ。

真面目に考えようにも・・それ以外は・・・太古の時代にはなかったのだ。

あとは・・それ・・の仕組みから本質を割り出せば肉と植物のどちらも異物と言う答えが出た。


簡単なようでなかなか気付かない思考の起点を見極めるには必要条件がある。

万物にはすべて陰陽があり、それを知ることが最も大切。

人の言葉で平たく言うなら相反する言葉の意味を念頭に置くとわかりやすい。

上下、天地、左右、強弱、静動、白黒、無機有機、美汚、男女、善悪など無数にある言葉だ。

これらは言葉ではなく仕組みの判別の便宜上そのように呼んだだけで一体、一対のものなのだ。

片方がなければ片方の言葉は生まれないしその必要もない。

原始の暮らしを営む人々に「自然」と言う言葉が通じないのはそれが理由だ。

本来は立体的に考えるべきものとも言える。

一対である以上相反する両極までの距離から中間点を割り出し、仕組みから高さ奥行きを出さなければ立体にはならず、思考の起点も決まらない。

立体の組み立て方次第で起点も答えも変るのだ。

これは「勉強」ではなく「勉強の仕方」とも言える。

護身術の話が何やら仰々しくなってしまい、お勉強の仕方にまで進化してしまった。

自然と言う言葉ではなく仕組みを知って使いこなしたいのなら原始に思考の起点を置き、そこから動植物が協力し合って進化してきた仕組みを学べばよい。

それでわからなければ原始の海へ潜って調べればわかる。


続く・・