護身術の真髄5 立体思考 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

言葉では対極にある両極間には縦横高さがあり、それを3次元と考えてもらっても良い。

この空間の中のどの位置から目的地に向かって思考を始めるか、それが思考の起点だ。

人の思考や行動は性格で左右される要素が大きい。

文武両道、文理両道など表現はたくさんあるのだが、なかなかそのような人は少ない。

しかしこのバランスなくして正確な起点は定まらない。

思考は自由なものだからどうしても自分の思い、考え方から入ってしまうのだ。

そうなれば全人類の思考の起点がそれぞれに違ってもおかしくはないのだが、意外と揃うのは常識と言うものが存在するからだ。

常識とは自ら決めたものではなく、世間の誰かが最初に言って広がり定着したものだ。

「それが常識でしょ」「当たり前でしょ」とそれぞれがさらにそれぞれの解釈で口にする。

何とも判断しかねるものについては「だってそれしか考えられないでしょ」となる。

当然そこまで来れば誤差もあり人間同士のトラブルも絶えず裁判所は繁盛している。

数学物理がそうであるように「理」に個人差などなく、誰がやっても同じ答えが出る。

常識が世界の各地域で、あるいは時代と共に移り変わるのは歴史が証明している。

自然界の道理に当てはめて考えると、人間の常識はいつ壊れてもおかしくないような脆いものが氾濫しているのだ。

仕組みとは点や平面ではなく、障害物もある空間に存在すると考えれば良い。

それらをくぐり抜けて目的地を目指す行動は、海ならば航海、宇宙なら2011年宇宙の旅と考えればさらにわかりやすい。

思考の起点はそれらの空間が理解出来なければ決まらないかと言えばそうではない。

その存在、仕組みがわかれば考え方は大きく変わる。

これまでの「当たり前でしょ」と言う即断即決の前に未知の空間が広がるのだ。

わからないならわからないなりに意識して起点を決めるか、未知の世界の仕組みを調べようとするだろう。

その繰り返しが新たな思考回路を築き上げる。

思考回路とは性格とは無縁の道具、ツールのようなもので、日常使いこなしている買い物での単純な算数と何ら変わりはないものだ。

「こんなはずでは・・」と落胆するのは思考の手法よりも起点が狂っていたことのほうが圧倒的に多い。

それは未知の空間を知らなかったからであり、知れば予知出来るはず。

将棋の王将位や頂点に立つスポーツ選手などはその分野を立体的に捉えて空間を知り尽くしているとも言える。

裏技や反則のパターンの仕組みを知り尽くしているからこそ防げる、つまり護身術とも言えるものだ。


続く・・