護身術の真髄6 攻防の一体 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

護身術とは防御だけの術ではない。

防御の反語、対極にあるのは攻撃だ、だから攻防と言う言葉がある。

つまり攻撃を使いこなせずして完全な防御は成り立たない。

反則の道理がわからなければ実戦では反則も防げないことになる。

護身術は何の為に学ぶか、スポーツではなく実生活で身を守る為だ。

そこにはスポーツのようなルールもジャンルもないから役には立たず、生兵法は怪我の元、その瞬間はしのげても火に油を注ぐことになりかねない。

撃破にせよ逃避にせよ完全に安全を確保する術があってこそ護身術なのだ。

詐欺とは人の思考の裏をかくものであり、詐欺の手口を知り尽くさなければ完全な防御は不可能と言うことにもなる。

武術や武器の目的がそうであるように、護身術とは本来相手を倒す為のものであり攻撃だ。

攻撃されずに攻撃するには嫌でも防御が必要になりそれらは一対とも言える。

攻撃は最大の防御なりと言う言葉はその道理から生まれた。

東西の冷戦が大事に至らなかったのは、核と言う攻撃の脅威が抑止力になったからだ。

ここまで緊張がエスカレートしたのも人類の愚かさだろう。

文明と狂気は常に紙一重であり、諸刃の剣、そうなってから初めて気付くのが人間だ。

公害の結末は熟知しているにもかかわらず世界で同じことが繰り返される。

世界の戦国の歴史も同じ、武力で覇権を握ったものは必ず武力で倒されるか自滅している。

現代においても武力による独裁は必ずいつかは終わるだろう。

世界的に著名な空手家も言った、防御一辺倒では必ずいつかは倒されると。

まあ当たり前の道理と言えばそうだろう。

つまり、道理から言えば上は知っているが下は知らないと言うのと同じで、防御だけの護身術は目的を達せられない。

護身術に限らず仕組みのあるこれらは「一対」のものなのだ。

ついでに言うが、有機やオーガニックは知っているが無機はよく知らないと言うのも同じで、仕組みを度外視して言葉で覚えたと言うことになる。

土を作り野菜を作ると言う発想は土壌と植物の仕組みがわかれば出て来るはずがない。

いくら言葉を並べても、無機有機を問わずその手法は大地の破壊と汚染であることに変りはなく、環境健康に優しいなどと言うことなどあるはずもない。

基本的な道理が完全に抜けているのだ。

それではオーガニックの聖域は守れないし、野人に簡単に定義の矛盾を指摘、両断されたのはそれが理由だ。

野人はブログで堂々とその理を言ってのけたが、そうでないのなら汚染ではないことを一行の言葉ではなく道理で世間に示せばよい。

オーガニックの理念まで否定しているのではない、根底から再構築、理に適ったやり方をしなさいと言っている。

今のオーガニックの手法は森羅万象の道理と正反対にあり、環境や生き物に害を成すだけだ。

その程度のことは理論でも実践でもすぐに証明して見せよう。

植物は有機物を必要とするが、それを今のやり方で人が与えてはならない。

食用野菜ではなく道理を踏まえて他の事に活用すれば問題はない。


先に書いたように使いこなせずともその仕組みを知ることで防御の幅が増すことには違いない。

例を挙げればキリがないくらいこの理論に当てはまることは日常にいくらでも存在している。

むしろそのほうが多いはずだ、人が言葉を使い、行動する限り。


続く・・