海門に通ずる開聞岳 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

 

開聞岳   別名 薩摩富士

小雨の中 こちらにやって来た

子猫・・・ どちらも中学生くらいか・・

目・・ 見えんのか    お目目 なでなで・・

いつまでも 仲良くな・・・   また来るから

 

 

開墾農地の近くには指宿のシンボルで、薩摩半島で最も高い山「開聞岳」がある。

 

薩摩半島と大隅半島に囲まれる錦江湾の入り口「海門」にあたることから「かいもんだけ」と呼ばれ、山麓の半分は海に面し、半分は陸に面している。。

日本百名山であり国立公園、標高は924mと低いが、海抜0m付近からの登山は標高差900m以上ある。

 

開聞岳は公海上の重要な目印であり、20代の野人とまむし頭は随分お世話になった。

トカラ列島から枕崎港へ帰る時、白く砕けた大波の向こうに開聞岳が見えるとホッとするのだ。

 

レーダーで進路を間違えることはないのだが、行けども行けども海ばかり、やはり陸地のシンボルが見えると気分は格別だった。

レーダーがない時代、開聞岳は船乗りにとって神の山に見えただろうな。

 

北西強風の大波で一直線には到底進めず、風と開聞岳に向かってジグザグ航行、長い時間をかけて枕崎に帰港したこともある。 長い時で1カ月以上利用していた船員保健寮も今はない。

 

すぐ近くの知覧の飛行場、今は知覧特攻平和会館になっているが、そこから飛び立った特別攻撃隊機はまず開聞岳へと進路をとり、富士に似た開聞岳に故郷、家族への思いを抱き、別れを告げて東シナ海へ向かった。

 

九州は特攻の最前線基地となり約6400人が戦死した。 出撃基地は海軍陸軍合わせて、福岡、大分、熊本、宮崎、鹿児島の22飛行場。 戦没者数は、海軍では鹿児島・鹿屋基地が449機・833人、陸軍では知覧の405機・406人が最も多い。

 

全国各地から集まった十代、20代の青年たち。

世界的にも旧日本兵ほど遺書を書き残したケースは例がないと言う。 生き残るためではなく、最初から死を覚悟していたからだ。

 

20代の野人の戦場・・と言うより職場は、空ではなく海だった。

死の意識など微塵もなく生き残ることしか考えなかったが、万が一の時の為にこの地で遺書を書いた。

遺書はむー母に届くことはなかったが、遺書を書く気持ちがほんの少しはわかる。

 

悲壮感もないことはないが、迷いがないのだ。

迷いがあれば遺書など書かない。

野人の遺書との違いは、届くことが間違いない遺書。

彼らの遺書・・平和の為には後世に必要なものだな。

 

野人がこの地を拠点に選び、この地から南西諸島の復興を目指すのは彼らと深く関わりがあるからだ。

前回も、今回も、近くを通りながら知覧の特攻記念館には行かなかった。

いつかまた行ける日が来るだろう。

 

 

 

 

大和に一番近い島

https://ameblo.jp/muu8/entry-11892864430.html


 

 

東シナ海 新たな旅立ち

https://ameblo.jp/muu8/entry-11883915889.html

 

 

にほんブログ村 健康ブログ 食育・食生活へ
にほんブログ村

          かいもん岳 行きたい人ポチラブラブ

にほんブログ村 健康ブログ 健康法へ
にほんブログ村