自然を保護する意義 2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

国土の7割を森林が占める日本は、先進国の中ではフィンランドに次ぐ世界第二位の森林国であり、自然林はその半分しかない。

 

自然林は自然界が生み出した最高の森なのかと考えればそうでもない。

植物は育つ場所を選べず、弱肉強食の生存競争の結果そうなったのであり、植物にとっても動物にとっても最適・快適と言えない森が大半だ。

 

植物の立場になって森を見ればよくわかるが、窮屈そうで仕方なく生きているケースが多い。

特に海岸線の斜面や同じ常緑樹がひしめき合う森を見れば感じるはず。

 

十分に枝を伸ばせなければ競って上に進むしかなく、正常な樹形を保てない。

陽は地面に届かず表土は剥き出し、草も生えることが出来ない。

花も実も十分とは言えず、エサがなければ動物も昆虫も住めない。

さらにつる性植物が絡めば状況は悲惨で通行もままならなくなる。

 

野人は30年以上山林の植生を調べ続けた。

植物の分布だけでなく、生態系を踏まえた視点で森を見続けて来た。

植物がバランスよく配置されていれば植物にとっても快適なだけでなく、動物にも快適。

当然エサも豊富で多くの生き物が集まって来る。

 

しかしそのよう場所はほとんどなく大半は暗い森。

落葉樹が多ければ冬場は明るい森になるが、植生は単調になる。

驚愕するほど生命溢れる素晴らしい森には巡り合えていない。

 

海から陸へ進出して以来、植物族は動物族と共に繫栄して来た。

裸子植物から被子植物へと進化出来たのも昆虫や鳥や動物がいたからであり、彼らに住処と食を与えることで協生して来たからだ。

 

共に栄える理想的な環境を築きたくとも上手く行かないと言うのが植物族の本音だろうな。

自然界の森は計画的ではなく偶然の産物であり、日々移り変わり変貌する。

 

動物にとって最高の森が最悪になることはあっても、最悪の森が最高になることはない。

長年森を見続ければわかるだろう。

密生したジャングルは人間だけでなく野生動物にとっても通り辛い。

 

この動植物共に困った状況を何とか出来るのは人間しかいない。

里山を懐かしむ人は多いが、人が少し手を入れることで快適さが保てるようになる。

何故里山が消失してしまったのか、農業林業が成り立たなくなり後継者が育たなくなったからであり、薪や炭も必要とされなくなったからだ。

 

業として成り立たせるには森を成り立つように変えればよい。

果樹、野菜などの生産性のある生態系豊かな森に変え、周年花や果実が溢れる森にすれば人間だけでなく虫や鳥や動物達も喜ぶ。

原人が唱える「拡張型生態系」の構築だな。

 

砂漠同様に、自然荒廃林も放置された植林もそのように再生すればよい。

農業林業畜産業だけでなく、自然公園、遊歩道、アートの森、幾らでも道は開ける。

自然放置すれば理想的な森も変貌、保護するには手もかかる。

同じ手をかけるならそのほうがいいだろう。

 

人は自然界から理を学び、学問、産業共に発展させたが、人間だけの為ではなく、その叡智を多くの生き物の為に使うべきだろう。

散々迷惑をおかけして来たのだから。

動物の為だけでなく植物の為にも。

 

それが育ててくれた地球への恩返し、お野人はそう思っている。

 

 

 

野人エッセイす

 

 

 
 

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