キジの供養をお寺の住職に頼んだ人の話がニュースに出ていた。
土手の草焼きをして全体が焼け終わった後、雉の母鳥が羽根をいっぱいに広げて死んでいた。
ひっくり返すとその下で雛鳥が5羽元気な声で鳴いていた。
羽根で雛を守り、雛の身代わりとなった母鳥の実話だ。
その後、野焼きで犠牲になった雉の雛鳥は、母鳥の代わりに大きくなるまで育ててやろうとおじさんが家に持ち帰り、大きくなってから自然に返したという。
お野人にもこれと同じ体験がある。
同じと言うより・・・やや違う。
やや・・・と言うよりかなり違うかな。
ストーリーはそっくりなのだが、ハッピーエンドではなかったな。
野人の場合は野焼きではなく「草刈り」だった。
草がぼうぼうで巣に気付かなかった野人は、逃げることもせず卵を温めていたキジの親鳥を草刈り機で傷つけ死なせてしまった。
残された数個の卵を孵化させてあげるつもりで、ヤマハで雉を飼育していた元同僚に相談したが、難しくて困難とのこと。
そこで・・
野人が腹巻の中で温める提案をしたのだが・・
「無理」の一言で断念した。
孵化させた雛をむー農園のスタッフとして終身雇用まで考えていたのだが。
野焼きで雉を死なせたおじさんのように、お寺へ持ち込み供養もせず、ヒナも育てることも出来なかった。
ストーリーは似ているのだが・・
野焼きではなく草刈り、そこから先はまったく異なる。
言いたくはなかったが、ここまで話したら言うしかないな。
供養ではなく・・・食うよう・・
つまり供養として親鳥は美味しくいただいた。
卵の孵化、ヒナの飼育は無理とわかり
これも 食うよう・・
タマゴかけご飯にして美味しくいただいた。
南無阿弥陀キジ・・と何度も唱えながら。
どちらも悲しかったが、美味しかったことも間違いない。
また同じことが起きたとしても、同じことをするだろう。
小動物や鳥や虫は農園スタッフとして愛情をもって見守り、彼らが困れば出来るだけのことはする。
助けることが出来なければ、土に埋めることはせず食べてあげるのが一番だと思っている。
害獣として駆除され埋められる運命の猪や鹿も同じ。
野人の仕事は魚や肉や野菜など生き物の命を奪い、食べ物をお届けしてそれらが出来ない人の手助けをすることなのだから。
キジのニュースは、人も動物も鳥も「親が子を思う無条件の愛」は同じと締めくくられていた。
愛の歌より別れの歌が多い人間界も、男女間に「無条件の愛」が広まれば平和になり、別れも減り、憎しみが生まれることもないだろう。
互いに相手に対する願望、要求が多過ぎて無条件の愛とは程遠いような気がするのだが・・
親子の愛も恋人同士の愛も、生き物達に注ぐ慈愛も、愛に変わりないはず。
無条件と有条件の違いは我欲の有無ではないだろうか。
「キジの供養をしてほしい」命を捧げて野焼きからヒナを守った母鳥…「子に対する無条件の親の愛は人も動物も同じ」 (msn.com)
むー農園に巣を作ったキジの卵
お野人の キジの供養
キジさんが好きになった人 クリック