(むすこのNICU時代の記事です。
といっても今回は私の話ですが……
前回の記事はコチラ。
妊娠中のあれこれは、
テーマ 1回目の入院、及び、
2回目の入院~出産、をたどって
いただけたらと思います。)
出産当日の夜は、まだ麻酔の影響もあり、
痛みもなく元気でした。
エコノミークラス症候群予防のため
足は、
弾性ストッキング
+
圧をかける機械
が取り付けられ、
プシューップシューッと音をたてながら
私の足を締め付けていました。
余談ですが、弾性ストッキング……
安静入院中からお世話になりましたが、
1足、5000円超!
高っ!(^_^;)
夫が地元の病院で看護師さんに言われ
病院の売店で買ってきましたが、
看護師さん曰くもっと安いのも
売っていたと思う……
と言われ、けちな私は
マジかー!(;´д`)もったいない……
と思っていましたが、
高いだけあって締め付け力は抜群!
約3ヶ月、緩むこともなく、
私の血栓症を予防してくれたと思えば……
モトが取れたわよね!←ケチ……
本題に戻りまして……
産科で働いていた私は自分が、
妊産褥婦
長期の安静臥床
帝王切開術後
の、
エコノミークラス症候群(=肺塞栓)の
ハイリスク状態であることを
自覚していましたから、
今まで散々頑張ってきたのに、
術後の最初の一歩で死にたくない!
(大袈裟に聞こえるかもしれないけど、
本当にありえます……)
むすこに会うんだ!
と、
動き出した足先を不必要に
曲げたり伸ばしたりしていたと
記憶しています。
それでもいつの間に入眠……
夜中3時頃目覚めました……
……?
トイレに行きたい……(^_^;)
あ、お小水は管が入っているので、そちらではない方です(^_^;)
しばらく様子を見ましたが、
気になり出したら止まらない……
のでナースコールを押しました。
正直切羽詰まったってほどでは
なかったのですが、
少しでも早く歩きたいという
焦りもあったかなと思います。
最初の一歩が大丈夫なら、
安心できる……っていう気持ちも。
肺塞栓がそんなにも怖かった(^_^;)
手術はお昼過ぎだったので、
半日以上経ってるし、
とりあえず車イスで行こうかと
言うことになりました。
トイレはカーテン挟んですぐ隣。
(むすこの出生病院では、
帝王切開術後は全例MFICU管理。
私の場合は、MFICU内で
ベッド移動をしたかたち……)
隣だから行けるかなってのもありました。
でも甘かった……(^_^;)
ギャッジアップして、痛みは……
あるけど大丈夫……でも動悸がバクバク……
足を下ろしてみる……
夜中、消灯されて暗いはずの部屋が
なんだか白くなってくる……
キーンキーンと耳鳴り……
変な冷や汗……
車イスには乗ったのかな……
……ハイ、記憶がありませーん
次に気付いた時には、
ベッドに横たわってました。
完全に意識が飛んだらしい……
脳貧血ですね(^_^;)
後から
ビックリしたわよー
とMFICUの助産師さんに言われましたが
意識不明の術後で点滴やらついた私を
ベッドに寝かせたり血圧測ったり……
た、大変だっただろうな……(^_^;)
夜中にバタバタさせたんだろうな……(^_^;)
面倒くさい患者だっただろうな……(^_^;)
と反省。
でも全く記憶がないから、
どんだけお世話になったかも
全くわからない……。
暴言とか、はかなかったかな……←
早めに歩くはずが、
初回歩行で意識が飛んだ要注意人物に
なってしまいました。
もともと脳貧血体質だったのにね……。
身のほどを知りました。
結局、定時の初回歩行の時間でも
歩けなかったんじゃなかったかな……。
昼過ぎによろよろと歩いたと思います。
その辺りの記憶は2年近く経ち、
もうあやふや……。
でも歩いたら……、そう、
むすこに会いに行ける!
すべてはそのためでした。
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