孤独や痛みや罪、愛、そのすべて ~浜崎あゆみについて | 詩的な光

孤独や痛みや罪、愛、そのすべて ~浜崎あゆみについて

ayuの記念すべき50th Single「L」が発売されましたねニコちゃん



L(ジャケットA)/浜崎あゆみ


L(ジャケットB)/浜崎あゆみ


L(ジャケットC)/浜崎あゆみ


L(ジャケットD)/浜崎あゆみ




「L」はなんと「&」以来7年ぶりとなる3A面マキシシングルだそうで


その3曲の中でぼくが愛することになった曲が「Virgin Road」ですLOVE


とりあえず「Virgin Road」だから結婚式の歌だってことは何かと想像が付いてしまって


「ありふれた歌出されたらイヤやなー」とか「小室作曲やから安室ちゃんのあの曲と同じような曲出しちゃうんかなー」とか不安もあったんですが


見事にいい意味でayuは期待を裏切ってくれましたラブ


なんと彼女は「Virgin Road」で、結婚相手に対してではなく、今まで育ててくれた親に対しての詞を書いたんですニコ


“ayu”の“親”と聞いてayuについてよく知る人がすぐに思い浮かべるのはきっとayuの母親である“マミー”の存在でしょうにゃ


ayuの両親は彼女が幼い頃に離婚して、それ以来彼女は彼女自身が“マミー”と呼ぶ母親によって育てられました


マミーは彼女にとってたった一人の家族だと言うことができます


マミーについてayuは、彼女の1stアルバム「A Song for XX」の発売に合わせて放送された特別ラジオ番組「浜崎あゆみのオールナイトニッポン」で多くを語っています











ナレーション『目を閉じると、ラベルのはげ落ちた黄色いカセットテープが見えた。少し芝居がかった女性の語りと、森の動物たちの楽しげな会話。多分、何かの童話だったように思う。そして、物語が終盤にさしかかったころ、一緒に聞いていたはずの母親の姿が見えない。庭先で響いたクラクションに、窓の外をのぞくと、そこにはボストンバッグをかかえ、玄関を出ていく男の背中を見送る母親の姿があった。これが、彼女の中にある、最も古い記憶だ。

1978年10月2日。福岡で生まれた、浜崎あゆみ。小さい頃から人見知りが激しく、他人とコミュニケーションを取るのが、苦手な子供だったという。彼女を理解するには、彼女にとってたった一人の家族だと言える、彼女の母親について話しておくべきだろう。彼女の母親は、母親である事よりも、一人の自分として生きている女性だった。保育園に娘を迎えに来るのは、どの母親よりも遅いくせに、若さと派手さにかけては、どの母親よりも上。ある意味で、それは自分勝手な母親と言えるのかもしれない。

しかし、娘である浜崎あゆみにとって、彼女は、最初から、母親でも家族でもなく、『マミー』という、まったくオリジナルの存在だった。手料理を食べたこともない。一緒に眠ったこともない。ましてや、寝物語に童話を読み聞かせるなどという、どこの子供にもあるような当たり前の風景も、浜崎あゆみとマミーの間にはない。浜崎は言う。『マミーはいつも泣いていた。でも、どうして泣いているかを尋ねたことは、一度もない』という。お互いに、たった一人の家族でありながら、そういう絆を、どちらからともなく拒否してきた浜崎あゆみとマミー。常に一定の距離を保っての生活の中で、彼女は学んだ。「一人きりで生きていく。」ということを。「知らない方がいいこともある、知っちゃいけないこともある。」ということを...。

ところで、彼女は父親の顔を知らない。もちろん、母親に、家にいない父親についての何かを尋ねたことなど、一度もない。でも、浜崎あゆみは知っている。彼女の中にある、一番古い記憶。あの日、黄色いカセットテープを聞きながら、窓の外に見た風景こそ、両親が離婚する瞬間だったのだということを。マミーが黙って見送った男性こそ、自分の父親なのだということを。そのことに気付いてから、彼女は来る日も来る日も無機質な子供部屋で、一人、あの黄色いカセットテープの中の物語を、繰り返し聞いたという。少し芝居がかった女性の語りと、森の動物たちの、楽しげな会話。しかし、あれほど聞いたはずなのに、今では、あの物語がどういうものだったのか、まったく思い出せない。浜崎あゆみが、その小さな手で、何度も何度もラジカセのスイッチを押しながら、繰り返し、聞いていたものは、一体、何だったのだろう。もしかすると、彼女はその答えを探し続けながら、今日も一人きりで歌い続けているのかも知れない』



ayu 「えー、今、聞いていただいたのはですね、あゆの子供の頃のことなんだけど、みんな、どう思ったかなぁー?と思うんですけど。別に、あのー、ドラマチックにしようと思ってとかね、そういうのは全然なくて。あの、正直に、こっちのスタッフの方に、お話しして、みなさんが作っていただいたテープなんですけれどね。まぁよくあるバラ珍みたいなトーンだよね。そういうドキュメンタリーのような感じって言われるんだけど、あゆにとっては、別に、これが、すごく普通で、お父さんがいないっていうこととか、うちの両親が離婚したっていうことは、特別な事だとは思ってなくて、すごく普通なことだと受け止めてきてて。

で、うちの母親の歳もね、あゆは知らなくて。マミーに、『今、いくつなの?』って聞いたこともないし、多分、聞いても、彼女は、『えー、あたし、25』とか、多分、そんな感じで返してくると思ってるから、聞いたことないんだけど。格好もすごく派手でねぇ、みんなによく『お姉さんですか?』って言われるような外見の人で。すごく、自分勝手に生きてて、良く言えば、すごく自由に生きてる。あゆっていう娘がいることを、忘れてるのか、気にしないようにしているのかわかんないけど、すごく自由に、一人の女性として生きてるって感じがして。あゆにとってはね、この20年間、「お母さん」っていう風に感じたことはなくて、いつも、「マミー、マミー」って呼んでて。それは、名前が、「まゆこ」っていうからっていう理由からでもあるんだけど、「マミー」って呼んでたのね。で、マミーをね、すごく、あの、あゆの面倒とかを見たり、自分の親の面倒を見たりとかする人じゃなかったんだけど、その代わり、あゆが、すごく悪いことをしたり、すごくいいことをしたりした時に、怒らないし、ほめない。ほんとに何も言わなかった。だから、あ、あゆも、「自由にやっていいんだな」って、だから、あの人はあの人で、「自由に生きてるんだなぁ」と思ってたし、そう解釈してたのね。

で、中学の時にね、あゆがあんま学校に行ってなかったのね。で、普通に言えば、まぁ何だろうな?学校にあんまり来ない子。ヤンキーだったり不良だったりするのかな?別にそこまでいってたつもりはないんだけど、先生から家に電話があって。ちょっと浜崎さんね、最近学校来ないんで、なんとかしないといけないってんで、うちの親が呼び出しかかったんだけど、うちの親はね、『じゃわかりました。すぐ行きます』って言って、電話切ったのね。しばらくすると、あゆが職員室で待ってるじゃない。そうすると、うちの担任の電話が鳴るのよ。

そしたら、うちの親がね、『すいません、私、おなか痛くなっちゃって行けないの。ごめんね』って言って、電話切っちゃったんだって(笑)。そんで、『お前のお母さんはね、どうなってるのかわかんないけど、お前もかわいそうだな、大変だな』って言うのよ、うちの担任が。それが何か、妙にくやしくてね、『あんたうちの母親の事知らないくせに、なんなのよ』と思って、くやしかったんだけど、まぁ別に、そんなマミーをあゆは、腹が立つとも思った事はなくて。確かに、周りの人はすごく色んな事言った。うちの隣に住んでたおばさんとかね、おなじマンションの人とかは、ほんとに、あそこのね、子供とは付き合うのやめなさいとか、すごく言われて、転校させられそうになった事も、何度もあったの。『友達になるのやめなさい』って言われて。それを、あゆは悲しいと思った事もないし、そう言われて友達でいるのをやめようと思う人がいるなら、それでいいと思ったし。それを悲しいと思った事はなかったけど、あゆは、何だろう……マミーが、そういうね、マミーがそういう態度を取っている事によって、あの人はあの人なりに、一生懸命、きっとそういう孤独な愛情の中で育ってきた人なんだと思ったし、あゆに対しても、私は、あゆのことは何も干渉しないよって、私は自由に生きていくし、その代わりあなたも自由に生きていきなさいって、あなたが何かをした時は、あなた自身が責任を取りなさいって言われてるような気がしたから、すごくあの人の生き方に納得ができてて。最近、もう、まっ全然会わないし、話したりもしないんだけど。

でも、すごく、いろーんな意味で、今になってみれば、この年になってやっとね、私はあの人から学んだ事が、すごく多いし、浜崎まりこという、一人の女性として、私は20年間、あの人を見て生きてきて、あたしはこんな風な人間になりたくないと思ったし、あたしはこの人と同じような間違いはおかしたくないと思ったし、そういう意味で、母親から学んだ事はすごく多くて。ごめんね、鼻声で。好きな所も、嫌いな所も、はっきり言って、ひとつもなくて、それは多分、あの人を一人の人間として見たこともないからだと思うんだけど。

えーっとですね、これは、ファーストアルバムのタイトルにもなっている、"A Song for XX"、バツバツということなんですけど、このバツバツのところは、みんなの好きな言葉を入れてくれってことなんだけどね。まっ聞く人は、分かる人には分かると思うんだけど、今、話した本人のことをね、あゆなりに、「詞」にしてみましたので聞いて下さい。浜崎あゆみで、"A Song for XX"」


(浜崎あゆみのオールナイトニッポンより)










歌というものは、その発売という時点を越えたところでもはや創造者のものではない


歌は、創造者の手を離れて世の中に出されることによって、それを聞く人の数だけその意味を増殖させる


聞く人の数だけ、その歌は存在しうるのだ


であるからして、彼女の名曲「A Song for XX」にも多くの解釈がこの世に存在するだろう


それは彼女自身の願いでもあり、その願い故、前置詞forの後ろにはXXという任意を意味する記号が設けられたのだと推量できる


しかし、この歌の創造者である彼女にとっての「A Song for XX」の「XX」は紛れもない「マミー」のことであり


彼女にとってこの歌は「A Song for Mami」であることを彼女はこのラジオ番組で語ったのだった





















昔からayuが好きでこの番組を聞いてた人が、親という存在に向けてayuが詞を書いた「Virgin Road」を聞いて感じる心の動きは、きっと極めて大きいものだったと思います、ぼくもそうであったように…


ayuは自身のTwitterで、この「Virgin Road」は「A Song for XXのEpisodeⅡ」であることを明かしました










そんな背景もあるけど、ぼくが「Virgin Road」を愛した最も大きな理由はその最初の歌詞にあります


“ねぇ 今までの孤独や痛みや罪 愛 そのすべてに心からありがとう”


この最初の歌詞にちょー感動したんですよねー!!!


なんかさー記念すべきシングルで普通だったら(何がフツウかなんて言えないんだけどね)


“AやBやCやDに心からありがとう”


っていう歌詞を書こうとすると


A、B、C、D4つの名詞を入れるんだから


4つっていうのは偶数だし、そのうちの2つはプラスなことでその他2つはマイナスなもの入れそうな気がしませんか?w


例えば“孤独や愛情、幸せや不幸に心からありがとう”とかにしそうじゃないです?(あくまでも例示ですよ、センスないねw


でもayuは3つのマイナスなもの(孤独や痛みや罪)と、1つのプラスのもの(愛)を持ってきたんだよね


なんかそれに感動したの!プラマイ0じゃなくてマイナス項目が2個多いところが!!


この歌詞、合わせたら-2なんですよね!


なんかそれが、人が生きるって言うことに対してキレイゴトなんか言ってない気がしたし


まぁ愛っていうのがどんなマイナスにも打ち勝つ力があるっていうことを表したのかもしれないけど


とにかくマイナスの方が多いこの一行の歌詞に


すごく感動したんだよねー





















“ねぇ 今までの孤独や痛みや罪 愛 そのすべてに心からありがとう”