ケン・バーンズ監督によるMLBドキュメンタリー映像“Baseball tenth inning”
ケン・バーンズ監督
“Baseball tenth inning”は、1994年に放映されエミー賞を受賞した“Baseball”の続編で、1992年から昨年2009年までの野球界について選手や監督、スポーツライターなどへのインタビューや試合の映像などを交え、ステロイド問題、レッドソックスのワールドシリーズ優勝、ラテンアメリカやアジア出身選手の増加など、MLBの光と影、両部分を4時間に亘って描いたものだそうです。
先月末にアメリカではテレビ放送されたようですが、DVDになって発売されるそう!
DVDの表紙にはなんとマリナーズのユニフォームを纏ったグリフィー選手の姿!!!!たまりません!
後編ではイチロー選手をピックアップし、インタビューを交えながらイチロー選手がメジャーリーグにもたらした影響を特集しています。
その一部の動画がありましたのでご紹介します。
【Ichiro Tenth Inning.avi】
訳)
51「野球というものは僕にとって、僕自身をつくりあげていくもの。狼の子供っていうのは初めて見たものを、人を、自分の親だと思うらしいですね。そんな感覚かもしれないですね。僕の中では。」
ナレーション
鈴木一朗は日本の愛知県にて生まれました。
工場長として働いていた父親は、人生において大切な4つの哲学の持ち主でした。それは、『Harmony(一致、連結、和)』、『patience(忍耐)』、『effort(努力)』、そして『fighting spirit(敢闘精神)』でした。
父親は人生において成功するための手段は『苦しみをもって耐えることだ』と言っていました。
イチローが9歳のときから父親はバッティング、フィールディングと、訓練をしました。一日最低でも2、3時間の練習を毎日です。凍えるような寒い日で指がかじかんでいてもバットを振らせたそうです。
イチローは生まれながら右利きでしたが、左で打つことを学びました。そのことでイチローは1塁へ2歩早く着く技術を得たのです。父親の指導によってイチローは人とは違った独特のバッティングスタイルをつくり出し、全てのスイングに全体重をのせて打てるようになったのです。
51「“君のスイングは基本とは違うからこうしなさい”って直されることがあったんですけれども、コーチが色々と教えてくれるんですけれども、“でも誰よりもねぇ、打っているじゃない”って言うと彼は黙っていてくれるので。形を覚えたのではなくて身体で作り上げてきた。」
ナレーション
18歳の時、イチローは日本のプロリーグであるオリックス・ブルーウェーブでデビューします。
その後7シーズン連続で首位打者を獲得し、日本で最も高い年棒の選手となりました。
日本の球界で頂点に立ち続けたイチローは、アメリカのメジャーリーグで自分が通用するのか試したくなります。ベースボールの聖地で。当初スカウトのほとんどがイチローの実力を疑い、細身の身体、独特のバッティングスタイルが、メジャーのピッチングに通用するのか疑問に思っていました。その頃既に日本からは10人投手がメジャーリーグ入りをしていましたが、それまで打者(野手)では日本人が一人もメジャーリーグにはいなかったのです。
そして2001年、シアトルマリナーズが日本人野手獲得に名乗りを上げます。イチローが北西部に住むアジア系のアメリカ人の人々を球場に呼び込んでくれることを望んで。
その頃はホームランバッターが全盛期の時代であり、その中でイチローの存在はまさに“revolution(革命)”となりました。どんな方向にでも打球を運んでヒットにし、足の速さを生かして内野安打を稼ぎ、塁から塁へ飛び回ったのです。
彼のプレイは21世紀に"ベースボール"の持つ栄光、素晴らしさを再び呼び戻し、往年のスター達であるウィリー・キーラーやジョージ・シスラーやタイ・カップ、そして足が速くて頭の回転も速いニグロ・リーグといった名選手らのようで、アメリカのベースボールファンの人々にとってイチローの存在が嬉しかったのです。
Bob Costas
「イチローが象徴していたものとは当時の野球というものと正反対のものでした。ステロイド全盛期だった中、小柄で細身の男が突然現れヒットを量産し知的なプレーをみせる。それはその当時の野球とは全く違う存在だったのです。だからイチローを見るのがおもしろかったのです。」
Pedro Martínez
「イチローを打取るには完璧な球を投げないとアウトにできない。しかもたくさん球数を投げさせる。ピッチャーにとって嫌なバッターだ。詰まらせて打ち取ったと思っても、足がとても速くてアウトを取れるか分からない。既にベース上にいるんだ。イチローというのはそういう存在さ。」
ナレーション
シアトルの記者が今のサードへの(レザービームと呼ばれた)返球を観てこう書きました。“額に入れてルーブル美術館に飾るべきだ”。“モナリザの隣に”と。
日本の新聞記者をはじめ、テレビのレポーターなど多くのメディアをアメリカに送り、イチローのすべての行動を報道し、その勇姿を国民に届けました。
イチローは1年目のシーズンを終え、アメリカンリーグの打席数・安打数・打率・盗塁数でタイトルを獲得。ゴールデングラブ賞・新人王・MVPを受賞。これらは彼の10年連続200本安打という偉業の幕開けの年でもありました。
塗り替えた記録(8年連続200安打記録)は1世紀も前1901年ウィリー・キーラーが達成したものでした。
他の球団も“次のイチロー”を見つけようとします。
Gary Hoenig
「まさにイチローは“Globalization(国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象)”の素晴らしさそのもの。アメリカの人々が作った球技が他国に渡ってそこで再解釈される。そんな選手がアメリカに来てくれることによって、きっと野球本来の魅力が戻ってくるのかもしれない。それは美しいことだと思う。」
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まだまだ続きがあるようですがアップされていたのはこれだけ。続きが観たい。。DVD欲しいけど英語版とスペイン語版しか発売されないし・・・。悩む・・・。
どうか日本のテレビ局で放映権を買って字幕に編集していただいて放送される事を祈ります!