宇佐氏・・・ 八幡大神の正体を明かす!! | 天空の鷹 (URIEL)

天空の鷹 (URIEL)

天と地の和合を祈り、陰と陽の調和を願う・・・。
 
天地に、きゆらかすは、さゆらかす
  神我がも、神こそは、きねきこゆ、きゆらかす
神の御息吹、天のみあらし、地のまくしき、
  きゆらかす・・・

【古代豪族-宇佐氏考(含 辛島氏・宇佐大神氏)】 より抜粋。


八幡さんの原点である宇佐八幡宮に直接関係する古代豪族「宇佐氏」について述べたい。
現在も八幡神社は全国津々浦々にある。その数は2万社とも4万社ともいわれており、稲荷神社(お稲荷さん)に次いで2番目に多い日本を代表する神社である。

ちなみに3番目は天満宮(天神さん)である。いつ頃からこんなに人気のある神社になったのかは定かではないが、明治以降の軍国主義の台頭とも関係していることも間違いないであろう。その理由は八幡神社の祭神である応神天皇・神功皇后が軍神として崇められたからだとされている。

ところで八幡神社と古代豪族宇佐氏がどう関係し、何故宇佐八幡宮が全国にある八幡神社の総元締めなのか、そもそも八幡神とはどんないわれがあるのか等については現在の我々には殆ど分からないことである。これ程身近にあり生活に密着してきた神様のことを我々日本人は知らないのである。ましてや「宇佐氏」なんて九州の人ならある程度はお分かりかも知れないが、それ以外の所では知名度は限りなく零に近い名前である。
本稿ではこの天皇家に匹敵する古い歴史を有すると言われている宇佐氏にスポットをあてて、日本の古代史を考えてみたい。併せて八幡神社誕生に関し非常に強く関与したとされる辛島(からしま)氏・大神(おおが)氏についても述べてみたい。
 
◎宇佐氏人物列伝
宇佐氏系図は非常に沢山ある。説明の関係上宇佐家系図に基づいて筆者創作系図を参考にして親子関係と思われる人物中心に人物列伝を作成した。
 
高皇産霊尊(別名:高魂尊
(・天活玉)
 
天三降(あめのみくだり)
①父:母:
②子供:菟狭津彦
③旧事紀・天神本紀:宇佐国造祖。
④天孫日向に天降ります時、供奉。勅に依りて菟狭川上に住み宇佐明神を斎き奉る。
⑤日本書紀神代:即ち日神の生まれまする三の女神を以ては、葦原中国の宇佐嶋*に降り
居さしむ。今海の北の道の中に存す。号けて道主貴と白す。(宗像三女神のこと)
*豊前国宇佐郷にある御許(おもと)山(647m)であるとされている。異説もある。宇佐氏の墳墓の地であり、宇佐明神、比売大神を祀ってあるとされる。頂上には3柱の巨石の磐座があり禁足地とされている。
 
参考)宗像三女神
 
2-1)菟狭津彦
①父:天三降、伊吹戸主命(異説多し)母:市杵島姫(異説あり)
②妻:菟狭津姫(異説あり)妹:菟狭津姫(異説あり)子供:常津彦・菟狭津姫(異説有)
③古事記:神武天皇東征伝:神武が日向より筑紫に出発して豊前の宇佐に着いた。この時
その土の人、名は宇沙都比古・宇沙都比売の二人が一足謄宮(あしひとつあがりのみや)を造って御饗(みやえ)を献じた。
④日本書紀:神武が甲寅年10月東征に出発。はじめ、早吸之門(はやすいのと)に到り一人の漁夫にあった。珍彦(うずひこ)という国神であると名乗り、天皇を導かんことを申し出た。天皇は彼に椎根津彦の名を賜れた。倭直部らの祖である。その後、筑紫国の菟狭に着いた。菟狭国造祖である菟狭津彦・菟狭津媛が、菟狭の川上に一柱謄宮(あしひとつあがりのみや)を造り饗を奉った。天皇はこれを喜び、菟狭津媛を侍臣の天種子命に賜妻した。この天種子命は中臣氏の祖である。
⑤国造本紀:宇佐国造。神武朝、高魂尊の孫宇佐都彦命を国造と定め賜う。
⑥川部高森古墳群(風土記の丘):3末-6世紀中頃までの前方後円墳が6基ある(銅鏡も出土)。九州最古の前方後円墳である赤塚古墳(58m)などは発掘調査の結果この地方の首長墓と考えられ宇佐国造一族のものと推定されている。これ以降大型古墳が無い。宇佐氏の衰退と関係か。
⑦老上丘古墳群
 
・菟狭津媛
①父:天三降、伊吹戸主命(異説多し)・菟狭津彦 母:市杵島姫(異説あり)
②夫:菟狭津彦(異説あり)神武天皇(宇佐口伝)天種子命(記紀)
子供:宇佐都臣命・宇佐稚屋(口伝)・御諸別命(口伝)
③記紀:上記菟狭津彦と同じ。
④宇佐氏口伝(宇佐公康著):神武東征の時夫菟狭津彦が神武に自分の妻である菟狭津媛を妃として差し出した。この間に産まれたのが宇佐都臣命である。神武はその後媛を連れて安芸国の厳島に行き、ここで御諸別命が産まれた。媛も神武も厳島で没した。
墓所は厳島の弥山である。
 
2-2)常津彦耳
①父:菟狭津彦 神武天皇(口伝)母:不明
②子供:稚屋 妻:阿蘇津媛(阿蘇氏女)   別名:常津彦
③宇佐氏口伝:実は神武天皇が日向時代に生んだ子供で神武に随行してきて宇佐に留まり
菟狭津彦の一種の養子となり宇佐国造を嗣いだ。
 
2-3)稚屋
①父:常津彦耳 神武天皇(口伝)母:菟狭津媛(口伝)
②子供:押人 別名:宇佐都臣命(口伝)
妻:越智宿禰女常世織姫(口伝)
③宇佐氏口伝:記紀では中臣氏祖の天種子命の子供とされている宇佐都臣命が宇佐系図の稚屋と同一人物である。越智氏の娘を略奪して妻とした。その子供押人が後の真の応神天皇である。
仲哀天皇と神功皇后の間に産まれた誉田別皇子は応神天皇であるといわれているがこの皇子は4才で亡くなっている。しかもこの皇子は仲哀天皇の子供ではなく、武内宿禰と神功皇后の間に産まれた不義の子供であったというのが真相である。


天空の鷹 (三人ノ木)-022