初めての長期休暇。
仕事も3カ月も休み、練習も週2、3回しか行かない。

全くツイてない人生だなと振り返る。
空手時代からのライバル、対戦した相手にすら先にチャンピオンになられている。
俺はやつらにも勝ってんのにな~
そんなことを思っても仕方がない。だが何度思ったことか。



なぜまた復帰することにしたのでしょう?
そのきっかけは。あまりよくわかりません。
ただ引退を告げた後に後輩、早坂の試合を見に行き、初めて安室奈美恵のコンサートに行き。
舞台に立つ者の凄さ、皆から注目された感じ。
そうゆうのもあったのか。


その時も
迷走中名古屋JKファクトリーのホワイトボードにはプロ石橋真幸の札はおろされることはなかった。



年末。
過去最大に酔っぱらってしまった。
歩けなくなった。
しかも初の名古屋JKファクトリーと名古屋JKフィットネスの合同忘年会。
そして幹事、石橋。
インストラクター、石橋。
にも関わらずだ。
人生の汚点とはこうゆうことを言うのだな。
と今なら笑って話せる。
酔っぱらったせいなのか、感情がむき出しになってしまった。
その節はどうもすいませんでしたm(_ _)m

ここで会長にもう一回やりたいと話した。
ただベロンベロンで申し訳なかったなと今でも思う。
そして送ってもらいました。会長に(笑)
ダァー○| ̄|_

後に札をおろさなかった理由を会長に聞くと。
練習に来てても目が死んでなかったからな。
復活すると思ってた。







佐藤さんの試合を観に行く。

同試合にkrush58㎏初代王者決定戦のトーナメントを開催していたな。

足を折る前は60㎏か55㎏の階級しかなかったのに。
俺が蹴れなくなる途端に出来やがる。


試合終わった後に。
隊長にも言われたさ。
やっと自分の階級が出来たね。

はい、嬉しいです。と応えた覚えがある。
ここで復帰することを隊長にも告げる。
あの時の隊長も。凄く嬉しそうだった。



まだ階段を降りるのも怖い、後楽園ホールをエレベーターで降り階段付近で佐藤さんを待っていた時、ひとりの女性に声をかけられた。
石橋君のファンなんです。
写真撮ってください。
これプレゼントです。

しっかしな。
東京で一度も勝ったことが無いのに。。。
と思いながら注文通り撮りました。
少し喋って。
実は引退しようと思ってたんです。
と伝えた。
凄く。あの廊下に響くくらい。え!引退!?
と叫ばれ焦ったのを覚えてます。


後にどうしても気になって聞いてみた。
自分一回も勝ったとこ見せたこと無いのに。
なんでですか?と。

気持ちが好きなんです。その負けない気持ちが。


・・・抱きしめてやろーかコイツ。


ウソウソ(笑)






ボルトを抜く。
手術三回目なのにこの恐怖心。
一回目二回目はもう早く手術してくれ。
それだけだったが。
健康な状態で手術しにいく。こんな嫌な事はない。
ちなみに嫁も手術で子供を産んだのだが。
やつもそんな気持ちだったのだろう。
笑えるくらい不安そうな顔してた(笑)




三回目の手術中に一番最初にかかっていた曲が。
ケツメイシのはじまりの合図。

なんだかドラマのようだぜ話しが。
この曲の通り始めれたこと。

はじまりの合図俺が鳴らせば。
暗い過去は捨てて無邪気な笑顔で。
皆幸せ。


だっけか

くせーな本当に。



そこから約一年。
足を曲げ伸ばし。
上半身、パンチのみで練習。
努力のかいあって、復帰戦が決まった。


相手は永山選手。その時RISEフェザー級3位。

蹴った蹴った蹴りまくったぜ。
また同じとこが折れるならこの試合で折りたいと思っていた。
中途半端に勝って、肝心なときにまた折れるくらいなら。

しかし折れて逆に頑丈になったぜ。
痛くも何ともないし、むしろスネの痛みでの怪我が無くなった。
折れて正解だったか。


試合は判定ではあるがなんとか勝つことが出来た。

Twitterで速報を流そうと思ったら。

既にメール、ラインには多数のお祝いメッセージがきていた。

Twitterを開いてもなんだか自分の名前が。

北海道にまで応援に来てくれた方が速報を流してくれていたんですね。
自分でも勝利報告をし、複数のコメントが返ってきていて全部返すことが出来なかったのを覚えている。
こんなに気にしてくれてる人がいたのか。

携帯を見て涙したのはこれが初めてである。



確かな。

女にメールで振られた時は確か泣かなかった(笑)







続く