Honey BunnyのAyaです
今日はわたくし事ですが、私の父のお話をさせて頂きます。
私の父が亡くなって今日5月19日で半年になります。
あっという間のような気がしますが、初めて身内を亡くした私にとって、いろんな思いが溢れた濃い半年でした。
今は母一人になった実家に頻繁に通って、父のものを片付けたり家の中の整理をしたり、母と食事に出かけたりしています。
父が生きていた頃は実家に帰る事はあっても泊まる事はなかったのに、皮肉なものですね。
今こんなに親と近いのにそこに父はいない。
親孝行もしてきたつもりだけどやっぱり後悔もたくさんあって、今、父がいればなあって思います。
父は93歳と高齢でしたが、頭はしっかりしていてヨロヨロだけど自分の足で歩いていました。
無類の本好きで、なんでも知っていてその知識の広さは尊敬に値するものでした。
こんなに頭がいいならもっといい仕事につけたでしょうに、若い頃は転職転職で母は家計の事ではだいぶ苦労したようです。
でもうちは裕福ではなかったけど、だからと言って両親に悲壮感がなかった(特に父)ので後でその頃の苦労話を聞いた時には驚いたほどです(兄の自転車が中古だったとか、、)
父は「骨髄異形成症候群」という病気でした。
検査のため入院して余命半年と告げられましたが
退院してから半年を待たず、1ヶ月で逝ってしまいました。
「骨髄異形成症候群」は正常な血が作られない病気なので治療法は輸血、若い人だったら骨髄移植とかするのかな。
だけど父は当時93歳。
退院してからは在宅の医療と看護を受けていましたが、延命は望まずなるべく痛みがなくただただ、穏やかに最後を迎えさせてほしいとお願いしていました。
退院して3週間、びっくりするくらい父は元気になり、根っからインテリ気質のジョークで毎日看護師さんたちを笑わせ、亡くなる2日前まで自分でご飯を食べていました。
その夜に熱が出て意識がなくなり、いよいよかと思ったら亡くなる日の朝、意識を取り戻しました。
なんという生命力。さすが昭和の男!
遠方から駆けつけた私の兄、私の息子たちも間に合い、その夜に家族に見守られながら眠るように亡くなりました。
それからしばらくは父の事を思い出しては涙が溢れ、何故か、決まって車を運転している時に思い出して号泣しながら運転するという(友達もそうだったと言ってました)
優しい穏やかな父でした。
できる事なら1日でいいから戻ってきてくれないかななんて思います。
父と話をしたい。
父ともっと話せば良かった。
今ならもっと話せるのに、と、、。
父が好きだった本とタバコとコーヒー。
今でも縁側で美味しそうにタバコの煙をくゆらせている父の姿が思い浮かびます。