二月七日
【北方領土の日】
昭和56年1月の閣議了解により、毎年「2月7日」を「北方領土の日」とすることが決められました。
これは、日本とロシアの間で、最初に国境の取り決めが行われた「日露和親条約」が、1855年の2月7日だったからです。
ロシア(ソ連)が、我が国から北方領土を奪ったのは、昭和20年8月、大東亜戦争末期の動乱期に乗じて、火事場泥棒の如く奪い取っていったのです。
今、北方領土とは
:歯舞群島
(はぼまいぐんとう)
:色丹島
(しこたんとう)
:国後島
(くなしりとう)
:択捉島
(えとろふとう)
の4つを指しますが、
歴史的に鑑みれば、本来の日本の領土は、北千島を含む千島列島全体なのです。
昭和20年8月9日、日本に2発目の原爆が長崎に投下された日、ソ連は日本との日ソ中立条約(相互不可侵を謳った声明書から成る)を破り、突然侵略して来ました。
条約を結んでいるソ連を信用し、日米の終戦交渉の仲介役を頼んでいた日本に対し、大きな裏切り行為で応えたのでした。
そして、日本がポツダム宣言を受諾し、我が皇軍が武装解除した後の8月18 日、ソ連軍は日本領土の占守島へ上陸し、
そこから北海道まで占領する勢いで南下しますが、それはアメリカが許さなかったのです。
そこでアメリカ軍が駐屯しない北方4島に兵力を集中させ、
歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の4島を占領しました。
さらに9月2日ソ連はサンフランシスコ平和条約に参加せず、
千島列島、北方4島はソ連の領土であると勝手に宣言をし、
約17,000以上の日本人が家を失ったのです。
戦後ソ連に占領された、満州、朝鮮、樺太、千島には、軍人、民間人を合わせて、
約2,726,000人の日本人がいましたが、
強制労働に耐えられそうな健康な男子
約1,070,000人がシベリアやソ連各地に送られ酷使され、
約347,000人以上が、死亡したと見られるとの事です。
(アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著『検証-シベリア抑留』)
ソ連軍は、既に武装解除し、無抵抗な日本男児を強制労働に送り込み、婦女子を暴行し、財産を強奪する、暴虐の限りを尽くしたのです。
ソ連が卑劣に奪ったものは、北方領土だけではなく、こんなに沢山の日本人の生命や、人生、家族、友人、財産、人としての尊厳です。
愛する妻、姉妹、娘、母を暴行されながら、一発の銃弾も撃ち返せず拘束された将兵、
その口惜しさ、怒りと悲しみを考えると本当に断腸の思いです。
領土には、私達日本人の先輩達が流した汗と涙、思いと血が染み込んでいるのです。
今に生かされている私達は、先人達の苦労や思いに報う努力をしなければなりません。
取り戻しましょう!
奪われた領土を、
奪われた尊厳を!
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/day/index.html
北方領土の日 外務省
http://blogs.yahoo.co.jp/wood72046/30349239.html
ソ連軍による虐殺を許すな
以下に、とても悪質な左翼サイトを紹介します。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Yasashii.htm