侠客シリーズ 清水次郎長伝 ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

日本史】清水次郎長とその後「青天を衝け」の時代 侠客から社会福祉活動家に転身した東海道の大親分山本長五郎の晩年 Shimizu no Jirocho Japan!

 

 

侠客シリーズ 清水次郎長伝 ②

 

 国師とは、国の師匠です。国師というものは現在では、三島由紀夫先生までです。それ以降はいません。三島由紀夫先生は国師です。有名な作家は、考えたのです。作家は、文章で考えるのです。

 この国は、おかしいのではないか。マッカーサーにより憲法を押し付けられたのです。主権は天皇から、国民に移ったのです。憲法は、主権者と治められる側がいるのですが、戦後は、それがわからなくなってしまい、「主権在民だ」と言うのです。

 「主権在民」とは、主権が国民にあるということです。国民に対抗して、治める者を君主といいます。戦前は、主権は天皇にありました。国民は主権者の下でおとなしく生活をしていたのです。

 GHQは、それをひっくり返して、「天皇には主権がないのだ。国民が主人公なのだ」という憲法をつくったのですが、国民が主権者のわけがありません。国民をまとめる人を「主人公」というのです。戦後の憲法は、まとめている人のことが、わからなくなってしまったのです。

 国民が主人公だというと、「自分が主人公なのだから、上にいる奴が邪魔だ。叩き出せ!」ということになってしまうのです。国民全員が、「Let It Be(ほっといてくれ!)」となってしまうから、国民がバラバラになってしまうのです。

 「主権者は、人間をまとめる」という仕事があるのです。いろんな人間が生活しているのですから、様々な揉め事があって、まとまりません。だから、主権者を置くのです。主権は、天皇に預けるのです。

 例えば、国民がもめた場合に、天皇がでてきて「これは、こうしなさい」と言われれば終わりです。タイもそうです。タイは、王様がいます。右のクーデターもあれば、左のクーデターもあり、軍人同士で喧嘩になるのです。

 そこに国王がでてくると、皆、「はっはー」と言うのです。タイは、今でもそうなのです。これが主権のある国のまとまり方です。主権のない国は、まとまりません。

 「俺の考えが正しいのだ」「違うよ、俺様の考え方のほうが正しいのだ」となってしまうので、まとまりません。最終的には、多数決です。「多数決は民主的だ」というのは、ウソなのです。ハッキリ言うと、多数は、バカなのです。

 国とは、国民を治めるものです。国民を治める方法があるのです。そのことを知っている人を君主といいます。国民は、そんなことを習っていません。「全体がまとまる方法を考えましょう」と言っても、まとまるわけがありません。国民は、自分の欲で動いているのです。

 だから、「国民からお金を取る」ということで、団結しているのです。争いが絶えないのが、今の政治です。

アメリカの失敗もそれです。アメリカ合衆国は、政府が絶対の権限を持たなければいけません。どんどん権限が奪われていくのが、「民主化」ということです。

 民衆はバカで、質が悪いから、国が崩壊するのです。これが今のアメリカです。不法難民を350万人も入れて、ホームレスが増加しています。とんでもないことになって、その国は崩壊するのです。

 君主をつくるということは、人間の智恵です。君主がいなければ、人間が大勢いるのですから、まとまりません。

 天皇の主権があやふやな時に行動をしたのが、三島由紀夫先生です。三島由紀夫先生は、「主権を明確にしろ!」と言ったのです。こんな憲法はありません。我が国の主権は、明確です。主権者は、天皇陛下です。

 天皇が主権を握っているから、大名も天皇を倒す争いはしなかったのです。大名は、天皇から守の位をもらったのです。それで、「越前の守」と名乗ったのです。勝海舟は、「安房の守」です。安房とは、千葉県です。天皇から「安房の守」という官職名をもらったのです。

 その官職名は、天皇からしかもらえません。「私は日本国の神であるけれども、貴方は安房の国を治める守になってください」ということです。日本には、守様がたくさんいます。それが日本の伝統です。

 清水次郎長は、文政3年(1820年)、駿河国有渡郡清水美濃輪町(現在の静岡県静岡市清水区美濃輪町)の船持ち船頭の高木三右衛門の次男に生まれました。実家は、船問屋だったのですが、母の弟である米屋山本次郎八の養子となったのです。山本長五郎が本名で次郎長は通称です。

幕末の偉人は、3人います。「幕末の三舟」と言われたのです。それは、勝海舟、髙橋泥舟、山岡鉄舟です。山岡鉄舟の伝記を読むと、ものすごい人です。子供の頃から、剣術の修行を始めて、20歳くらいまで剣術の修行をしたのです。

 とにかく、24時間、剣術の修行をした人です。もともとの家柄がよかったので、幕府に用いられて、将軍の補佐役になったのです。心といい、礼儀といい、全て立派です。そのような人が、清水次郎長に会うと、惚れてしまったのです。

 清水次郎長は、単なるヤクザです。「何故、清水次郎長に惚れたのか?」というと、次郎長は絶対にウソをつきません。いわゆる、裏表のない人だったのです。「あそこの親分さんは、表ではこう言うけれども、裏ではこう言っている」と言われたら、おしまいです。そのようなことは、全くありません。

 一旦、約束すると、雨が降っても、槍が降っても、絶対に守ったのです。山岡鉄舟は、次郎長に剣の稽古をしてあげたのですが、大親友になってしまったのです。そのウワサを聞いて勝海舟も清水次郎長に会ったのです。

 勝海舟、髙橋泥舟、山岡鉄舟の3人とも、幕府の要人で、偉い人だったのですが、3人ともに清水次郎長をベタ誉めです。清水次郎長には、人間的な魅力があったのです。次郎長は、絶対にウソはつきません。

 明治になり、新聞記者が「貴方のために死ぬ子分は、何人いますか?」と質問すると、「俺のために死ぬ子分はいない。しかし、俺は子分のために命を捨てる」と言ったのです。本当にすごい人です。男らしい人です。これこそ、日本男児です!

 清水次郎長の言葉に僕は、感動したのです。政治家も、こうでなければいけません! 「みんな、俺のために子分になって働け!」などと、人を奴隷にする精神ではいけません。政治家は、そんなセコイことを考えているのです。

 人は裏切ってはいけません。人間はちょっと成功すると、調子に乗って簡単に人を裏切るのです。それは、もっと成功したいからです。一度、男が約束したら、約束を破ってはいけません。

 清水次郎長は、よい男です。「俺は子分のために死ぬが、子分は俺のためには一人も死なない」と言ったのです。このような心掛けを学んでもらいたいと思うのです。

 自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件で、政治資金規正法違反の罪で略式命令を受けた、二階俊博元幹事長の梅沢修一秘書(56)の有罪が26日までに確定した。

(ヤフーニュース、2月26日)

それを受けて、二階俊博議員は「次回は出馬しない」と表明したのです。それは、「自分は政治家を辞めるので、許してください」ということです。自分が助かるためには、秘書を犠牲にしたのです。

 清水次郎長のような心がないと、海道一の大親分にはなれません。政治家は、次郎長の言葉を肝に銘じてもらいたいと思います。

 政治家は、子分のために死ぬのではなく、国民のために死ぬのです。それでこそ、偉大な政治家です。政治家は、「国民のために死ぬのだ」ということを決意しなければいけません。高額の給料が目当てで、政治家になっても、何の意味もありません。

 政治家の場合は、子分ではなく、国民のために命を捧げるのです。或いは、区政、市政のために命を捧げるという政治家よ、出てきなさい!

 これが僕の言っている「人間をつくる」ということです。組織の勢力拡大だけでは、人間はできません。共産主義でもよいのです。共産主義でも西郷隆盛がやれば、みんな上手くいくのです。

 それは、決意が違うからです。西郷隆盛は、西南戦争で立ったのです。何と言って立ったのでしょうか? 「俺の命をくれてやる」と言って、立ったのです。最初から、違うのです。

西郷さんは、最初から指揮をとらなかったのです。約3万人の兵隊がいて、「このように攻める」ということは、一切言いません。西郷さんは、命をくれてやったのです。「お前ら、スキにやれ」ということです。すごい人です。

 そのような人がいれば、政治家も国民も一つになれるのです。それは、名人芸です。西郷さんの死ぬときもすごいのです。

 官軍に追われて城山に入り、少しでも生き延びようなどとは思っていません。西郷さんは、「もうこれまで」と悟った時に、「晋どん、ここらでよか」と言ったのです。別府晋介に「俺の首を斬れ」と言ったのです。西郷さんは、潔い人です。

 それを知っているから、明治政府の連中は、「惜しい人を亡くした」と思ったのです。西郷さんにいてもらいたかったのです。

 今の政治家には、そのような決意は全くありません。征韓論の話も、そうです。韓国はわけのわからないことをやっていたのです。我が国のためにはなりません。西からは中国が狙い、北からはロシアが狙っていたのです。

 韓国は、中国とロシアに二股をかけていたのです。韓国は昔からそうなのです。あちこちに、おべんちゃらを言って、「相手が弱い」と思ったら、脅かすのです。西郷さんは、「俺が行って治めてくる」と言うのです。

 「どうやるのですか?」と聞くと、「朝鮮半島へ行くと俺を殺されるだろう。俺を殺したら、その理由をもって攻めろ!」と言ったのです。西郷さんは、常に自分が犠牲になるのです。

 西郷さんの心と、清水次郎長の心は似ているのです。

1868年(明治元年)九月十八日は、幕府方より脱走した咸臨丸が清水湊へ漂着すると、新政府軍の総攻撃を受けて死者多数を出していたのです。清水次郎長は、幕府軍の死者を義侠心で収容して、清水の向島に死者を弔ったのです。この事実を知った山岡鉄舟と榎本武揚らは感激したのです。

幕府軍の死体を片づけると、逆賊になってしまうので、嫌がって誰も片づけなかったのです。それを聞いた清水次郎長は、「死んだ仏様に逆賊もない。弔ってやるのだ」と言って、幕府軍の死体を埋葬して、弔ってあげたのです。そのような心意気をもったヤクザの親分さんは、今でもいると思います。

これから、侠客シリーズを続けていきたいと思って、今回はこのような文章を書きました。

 

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

※今年から、『中杉 弘の徒然日記』は、月曜日から、金曜日まで掲載します。

土曜日(0:00)は、正理会チャンネルをご覧ください。

 

■新番組「中杉弘の毒舌!人生相談」

https://www.youtube.com/@remon8859/videos

 

第19回、3月16日(土曜日)0:00公開!
是非、ご覧ください!
      ↓

 

 

 

 ■『正理会ちゃんねる』は、土曜日に掲載しています。

https://www.youtube.com/@harushouri1138/videos

 

 

 

■『中杉弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137   

 

 

■『中杉弘の人間の探求』にて、「法華経入門講義」を連載しています!

こちらもご覧ください。

    ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi2020