日本男児伝 三島由紀夫 ① | 中杉 弘の徒然日記

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「例え命を賭してでも」三島由紀夫が訴えたかった事。

 

 

 

日本男児伝 三島由紀夫 ①

 

 今日の日本男児伝は、三島由紀夫先生です。あまり知られていない事実ですが、三島由紀夫には陸軍中野学校がからんでいたのです。

まず、一般的な話からしていくと、三島由紀夫先生は、『聖セバスチャンの殉教』というガブリエレ・ダンヌンツィオの翻訳をしています。

 どのような小説なのかというと、セバスチャンが磔になり、多くの矢が体中に刺さるのです。三島由紀夫は、「その時の表情が喜びに満ちている」というのです。その小説を読むと、三島由紀夫はマゾの傾向性あるとわかるのです。

 普通は、磔になり、弓矢で打たれたら「痛いだろうな、お可哀そう」と思います。磔になり弓矢が体中に刺さり、苦悩の表情をしているセバスチャンの表情を見て三島由紀夫は、「喜びの顔にかわった」と言っているのです。

三島由紀夫の最後の小説である、『豊饒の海』四部作でもそうなのです。『浜松中納言物語』を典拠とした、夢と転生の物語です。『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成ります。

「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇った」(第二巻 奔馬)と書いています。

2つの小説を読んでみると、マゾ的な体質が読み取れるのですが、三島由紀夫先生は、「マゾだ」とか、「サドだ」などと、決めつけられる先生ではありません。マゾ的な傾向もあったのですが、やはりそうではありません。

時代は戦後です。三島由紀夫は、何とも言えない屈辱に耐えられなかったのです。三島由紀夫先生は、「これは憲法のせいなのだ」ということを見抜いていたのです。

 当時の文士は髪の毛がボサボサで着物を着ていてヒョロヒョロの体格で、だらしがない生活を送っていたのです。太宰治にしても、そのような生活をしていたのです。

 三島由紀夫は、「私は文学を書いているけれども、そのような生活は嫌なのだ。だから、私は身体を鍛える」と思って、ボディービルで体を鍛えだしたのです。「痩せ衰えた体を脱却して、筋肉のある体をつくりたい。肉体を鍛えたい」と思ったのです。

 三島由紀夫は、ボディービルからやり始めて、剣道をやり、ボクシングをやり、空手も一応、やったのです。それで、たくましい身体ができてきたのです。文士の身体は筋肉がなく痩せ衰えた身体です。そのイメージは、脱却できたのです。それは表面的な話です。

 内面的な話をすると、三島由紀夫先生は非常に怒っていたのです。日本とアメリカは同盟国です。アメリカは日本に基地を52カ所ももっていたのですが、日本はアメリカに基地を持つことはできません。

 米軍は日本に基地を持つならば、日本もアメリカに基地を持たなければおかしいのです。すると、公平な同盟になりますが、実際はアメリカが一方的に日本に基地を52カ所も造っていたのです。三島由紀夫は、これが気に食わなかったのです。

 日本は昭和20年8月15日に終戦しました。憲法がつくられたのは、終戦した翌年の昭和21年11月3日です。「だれが日本の憲法をつくったのか?」というと、GHQが憲法をつくったのです。

 日本にも憲法学者が大勢いたのです。GHQからの「憲法を改正しろ」という命令です。日本人の憲法学者は、何回も改正案を提出したのですが、GHQは「ダメだ」と言ったのです。「改正案は何も変わっていないじゃないか!」と言われて、日本人が考えた改定案は、採用されなかったのです。

 数人のアメリカ人が憲法を1週間でつくって、日本に押し付けてきたのです。憲法は、占領軍がつくってはいけないのです。GHQは、「いかに合法でつくられた憲法であるのか」ということを強調したのです。

 占領軍が「日本の憲法を変えろ」というのは、国際法違法です。だから、日本人が自発的に憲法を改正したということにして、それをGHQが許可をしたという形式を取ったのです。こんなふざけた憲法はありません。共産党の野坂参三まで怒ったのです。

 「軍隊を持たない、交戦権がない」という憲法を持っていたら、日本は独立することなどできません。日本の憲法学者が考えたのは、「大日本帝国憲法と、日本国憲法は継続している。大日本帝国憲法の改正手続きに従って、日本国憲法はできたのだ」と言ったのです。だから「合法だ」と言ったのです。

 占領軍は、占領下の国に憲法を押し付けてはいけません。それを言わせないように、「大日本帝国憲法を改正手続きに従って、日本人が日本国憲法をつくったのだから、合法だ」と言ったのです。

 これは、東大の総長がそういったのです。最初は、「こんな憲法があるのか」と怒ったのですが、GHQの圧力に負けて「日本国憲法は合法です」と認めたのです。それを正当化する本を書いたのです。あとで「恥ずかしい」と思って、学生に命令して、自分の本を回収させたのです。

 「大日本帝国憲法を改正手続きに従って、日本国憲法はつくられたのだ」と言ったのです。東大の総長がそのように言えば、下の大学の憲法学者も従わざるを得ません。それを竹田恒泰さんも怒っていたのです。

明らかに憲法は占領下において、GHQがつくったのです。占領下の憲法は、変えてはいけません。国際法には、そのような規定があります。GHQは、国際法を無視して、日本の憲法を変えたのです。

 大日本帝国憲法から、日本国憲法になって何が変わったのでしょうか? それは、天皇の主権です。大日本帝国憲法では、主権は天皇にあったのです。日本国憲法では、主権者である天皇の地位をなくしてしまったのです。

 日本国憲法の主権者は国民です。天皇に主権はありません。「では、主権がない天皇とは何ですか?」というと、有名な言葉をつくったのです。それが、「象徴天皇」です。象徴とは、シンボルです。

 上皇陛下は、「象徴天皇」の在り方について、ずっと悩んできたのです。「象徴天皇とは何か?」ということを、ずっと悩んでこられたのです。主権があってこその天皇です。国民に主権を渡して、「天皇は象徴である」と言ったら、天皇はお飾りです。

 このような日本国憲法がどうして日本に根付いてきたのかというと、憲法学者はウソを言ったのです。「大日本帝国憲法から、日本国憲法に変わったのは、屋号の変更と同じです。名前だけが変わったのですが、中身は変わっていません」と言ったのです。

 憲法学者は、そのようなウソをついたのです。それが日本国憲法になってしまったのです。

 そのようなことを見てきた三島由紀夫先生は、「こんな憲法を持っていて、他国に侵略されたらどうするのか?」と疑問をもったのです。三島由紀夫先生は、体を鍛えたのです。身体を鍛えた目的は、スポーツをするために鍛えたのではありません。

 「こんな憲法を持っていたら、外国の奴隷になってヘナヘナの日本人になってしまう」と思って、体を鍛えだしたのです。

 その結果、剣道五段、ボディービル、ボクシングなどで体を鍛えたのです。三島由紀夫先生は、自衛隊に入隊して戦闘機にも乗っていたのです。特別に自衛隊に入隊して、40歳を過ぎているのに、自衛隊諸君と共に荒野を駆けまわったのです。自衛隊では、軍事ということを学んだのです。

 自衛隊の中には、陸軍中野学校の出身者がいたのです。それが諜報部員などをやっていて、三島由紀夫先生と仲が良かったのです。陸軍中野学校の出身者が陸上自衛隊に残って教育をやってきたのです。

 三島由紀夫先生は、その人達と仲が良かったのです。「どうやって日本を守ったらよいのか?」ということを考えて、「楯の会」をつくったのです。中野学校の出身者と話し合った結果、「楯の会」をつくったのです。

 楯の会は、民間の軍事組織です。「軍隊だから、短剣をつろう」と言うと、「それはやめてください」と言われて、短剣はつれなくなってしまったのです。短剣の代わりに警棒を持つことが許されたのです。警棒をもった「楯の会」ができてきたのです。

 三島由紀夫先生が狙ったことは、武力革命です。そのことは、誰も言っていません。アメリカに占領された状態で、日本は陸海空軍を持つことはできません。交戦権もありません。このような状態で、自衛隊を変えられるわけがありません。暴力革命を狙ったのです。

 三島由紀夫は、「武力を否定しない」と言ったのです。東大全共闘で東大生と対話をするときには、短剣をもっていったのです。「はずかしめを受けたならば、俺は死ぬ」と決意していたのです。その場合は、何人か道連れにするということです。恐ろしい先生です。

 三島由紀夫先生は、陸軍中野学校の出身の人と打ち合わせをして「戦いを起こそう」と思っていたのです。その中に鶴田浩二もいたのです。当時、鶴田浩二は任侠の映画をやっていたのですから、「自衛隊と楯の会と共に立とう」と声をかけたのです。

ところが鶴田浩二は楯の会には加わらなかったのです。やはり、映画俳優として任侠をやっていただけだったのです。(②に続く)

 

 

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