To Make a Portrait of a Lion(1) | Fuminori Nakatsuboのブログ

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保育・幼児教育の理論と実践に関する記事を投稿します。

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VIDEO
To Make a Portrait of a Lion
ライオンの肖像画をつくる
Reggio Children
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以下は、上記のビデオにおける英語ナレーションを日本語で解説したものである。
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 この短いストーリーは,幼児達の教室に,突然にシマウマが侵入したことから開始されます.どうして突然にシマウマが幼児達の学校に入りこむことになったのでしょう.実際には,シマウマの侵入をきっかけにして,ライオンのプロジェクトが誘発されることになりました.何人かの幼児達が,(レッジョ・エミリア市の街の中央にある)ライオン(の石像)と友達になることを希望したのです.

 幼児達は,ライオンの石像と約束を交わすことにしました.年を取った,ちょっと不恰好ではありますが,でもとても力強いライオンです.じっと動かずに,教会の階段のところで,何年も市場の広場を見渡しています.

 幼児達の目的は,ライオンの肖像画を描くことです.幼児達にとって,ライオンの肖像画を描くという試みは,自分自身の興味に対する挑戦であり,そこには多くの困難があるものの,百獣の王と友達になるという魅惑的活動でもあります.そしてライオンにとっては,石の拘束から逃れでて,幼児達とコミュニケーションをとることのできる絶好の機会となるのです.

 ライオンの肖像画を描くためには,色々なことをしなければなりません.幼児達はもう一度,彼(ライオン)に会いに行きます.後でこうだったと言えるように,たくさんの事柄を覚えこみます.彼を注意深く眺めます.彼の背中に登ってみたり,恐怖と寛容さを想像してみたり,触ってみたり,大きさを測ってみたり,口に手を突っ込んでみたり,毛をなでつけてみたり,名前を呼んでみたり・・・臭いをかぎ,話し掛け,質問をし,真剣に石のライオンと会話を交わすのです.

 幼児達のライオンに対する興味は,学校にもちこまれ,そして長い間,子どもたちと一緒にいることになります.ライオンと幼児達が,お互いにもっとよく知り合うためです.幼児達は,味覚で,ゲームで,様々な心や感覚や想像力を使って,パン生地で,粘土で,紙で,フィクションで,影絵劇で,ダンスで,絵筆で,ブラシで,様々な「言葉」を使ってライオンを描き,そして演じます.多様な媒体のそれぞれが,様々なライオンの強さを表現するのです.

 幼児達の活動は長く続きますが,幼児達は飽きる気配もありません.幼児達は見事に,そして生産的に一緒に作業しています.誰もが何かの一部を分担しています.幼児達の心の中のイメージを手の技術がフォローします.豊かなアイディアとフォームからは,主観性と客観牲との間の,これ以上に厳密かつ創造的な関係を,想定することはできないでしょう.

 幼児達の冒険は終わりました.もう一度眺めてみましょう.それぞれのイメージは,同類と,考察と,選択と,知性と,そして幼児達の創造性のサインです.何人かの幼児達は,ライオンの中に人間的な表情を見出しています.大人達の中には,こうした幼児達の擬人化(ライオンの中に人間的な表情を見出すこと)を好まない人もいます.それは不充分な認識の現れだというのです.しかし,幼児達は擬人化が好きですし,私も好きです.心理発生的なレベルでいえば,よりよい段階ということになるのでしょうが,しかしまたそれは,知識の長いプロセスで,言葉との関係の中で,失われてはならない瞬間でもあります.幼児達とライオンとの間にあるのは,一体どのような関係なのでしょうか.そのような交換自体,彼らの一部なのです.それは,幼児達の非常にすぐれた資源なのです.