祝)DeNA Games Tokyo 設立!社長の全てを明かします | DNA of DeNA

祝)DeNA Games Tokyo 設立!社長の全てを明かします

DeNA Games Tokyo 開設@Akiba。
社長は社内有名人T川。
久しぶりのエントリーでT川の全てを明かそうと思う。

ビッグマウスと言えばこのオトコ。とにかく話が無駄にでかい。

2008年新卒入社。入社1年後に「日本中の同期の中で一番成長した」と豪語していたのは記憶に新しい。

何になりたいの?

「ぼくは社長になりたいです。Global impact ナンバーワンのときの社長。それからオリンピックで金メダルとります。
守安さん(DeNA社長)がオリンピックのメダル持ってたらカッコいいですよね。スティーブジョブズがオリンピックのメダル持ってたら、もっと多くの子供たちが起業家になりたいと思いますよね」

幕の内弁当にダルビッシュのサインボールがついてたらもっといいのにみたいな話だ。

オリンピックに出るっていったい何の種目?と一応尋ねてみると、ぐっと乗り出して、カヌーです、と答える。

しゅ、種目決めてるんだ、すごいね。
——
そもそも競泳で北島に負け、、、(事実註:種目も順位も遠く異なる)、大学では物理学専攻で電子顕微鏡の電子ビームを拡大させずに、小さいモノをなるべく大きく語る、じゃない、見る研究をしていたという。
就活で経済評論家の波頭亮さんのセミナーで最初に手をあげ、「NTT研究所もマッキンゼーももの足りない。俺にあてはまる会社がない」と質問をすると、波頭さんは「おまえが社会に当てはまらないだけだろ」と真実を諭したりはしなかった。「とことんやりたいならDeNAに行ってみろ」

素直に見に来てDeNAが気に入った。どこが気に入ったかって、面接官が皆バラバラなことを言うのが良かったという。Execution excellenceについて熱く語る先輩がいたかと思えば、「横文字とかわかんねーし。そもそもオレ(execution excellenceとか)もともと持ってるから」と「語る意味ナシ」と全否定する先輩もいた。てんでバラバラ。まっとうだと思った。それだけらしい。

2008年に入社するとすぐに法人営業に配属になった。

「えーっと、月次の獲得件数ですか?
5、10、13、13、10、14、15、22
結構覚えているもんですね。」

伝説の先輩を超えたいと頑張ったが、結局新しい伝説を築くことは出来なかった。それでも同期ではダントツトップ。
なにがポイントだった?
「深追いしない」「クレーム受けたときは本気だす。全力で聞く」
初めてまともなことを言った。

目立ったT川はその後、ECの新規事業を任される。大手企業との提携をまとめあげるが、DeNAの経営会議で最後に否決されて見送り。一緒に盛り上がった相手の会社さんに上司と二人で頭を下げに行った。

「辛かったです。」

暗さはない。
否決の理由は納得できた。
今でもその会社の交渉相手の方とはときどき飲んでいる仲とのこと。

その後エンジニアになることを志望し、3年目で2年下の新卒とともに研修を受ける。合格した者から順に「卒業」となり、現場に配属される。もちろん誰にも訊かれてないのにT川は宣言した。「1番で卒業してみせます」

しかし約40人中7~8番目という煮え切らない結果。まあオレ、プログラミング経験ないし。。と思いたいが、1位は経験ゼロの1年生O野くん(法学部卒)。
「結構地アタマの良さがわかる研修なんですよ。もしかしてオレ、地アタマ悪いんじゃねーかって疑惑が出ました。O野、あいつ賢いですね」

ゲームが作りたくなったと社内で吹聴していたら、ゲーム事業担当取締役のコバケンに呼ばれた。

「やるか」
「やります。」

こうしてコバケンのもとでゲーム企画担当に。

「もっぱらコバケンさんウォッチングでしたね。
コロスゾって言われたんですよ、コバケンさんに。競合ゲームのヘルプ画面のこまかーいところを読んでなかったら、”オレよりゲームに詳しくならなかったらコロス”と。
初めてですよ。コロスって。
愛❤を感じました。」

前向きだ。

その後他社から転職して来たばかりの大物ゲームプロデューサーW(現ゲーム事業担当執行役員)に指示を出しまくって社内でも話題になる。歳も役職も上のWは毎夜毎夜T川からの宿題で夜なべ。
「Wさんっ!!キャラクターのセリフ変えれば数字あがるかな、とか言ってる場合じゃないですよ(怒)」とWに迫る。この頃、ツメキャラが形成される。

同時に、「オレすげんじゃねーか」と思い込み始める。まあ、前からだけど。営業、エンジニア、新規事業、ゲーム開発、ひととおりやって自信がついた。

会社もその自己認識に応えるようにとうとう1つの新規ゲーム開発プロジェクトをT川にぼこっとまるごと任せた。伝説の大コケ「Urban Surviver」だ。

「自分のエゴを押し付けた。」
そう振り返る。
出来ないなら出来るまでやれ。完璧以外は受け付けない。そういう考え方を押しつけるとチームの士気が下がって行った。それを見るとさらに怒りがこみ上げる。オレの考え方が分からないなら、いいよ。オレが全部やるから。だってオレ、スーパーだから。

チームが誰もいなくなった。

全部自分でやる、と踏ん張った。しかし遅延。1週間や2週間の遅延では収まらなかった。1ヶ月の遅れ。
ユーザーの審判も残酷だった。鳴かず飛ばずの大失敗。大コケだ。となりのチームからは「分かってない人が作るべきでない」とまで言われた。

失意のT川を救ってくれたのは、執行役員のKと、T川がさんざんツメたWだった。

文字通り二人の間に席をおかれ、「しばらく現場に入るな」と指示され、KとWの二人が状況を整理し立て直して行く様を横で見ることになった。

最初は素直になれなかった。
来年オレは取締役になってみせる、上の立場になって喧嘩するぞ、くらいの無駄な鼻息で二人にくってかかったこともあった。

悔しくて、家の前の電柱を思い切り蹴ったら骨折した。松葉杖出勤も悲しさに拍車をかけた。

ところがKとWを見てだんだん分かってくる。うまいな。人の力を引き出すことが、すごくうまい、、と。

成果を出すのが究極のゴールだ。自分のエゴやスタンスを押し通すことより、成果だ。。そのためには人の力を引き出さないと。。。

その後、DeNAが出資させていただいているゲーム開発会社C社に出向になる。

よし、半年の苦悩と学びの成果発表の場としよう。「次は絶対成功します」とKとWに約束して出て行った。

リーダー格の肩書きに関係なく、小さいイベントの仕様書きなど、細かいところを手伝うことから始めた。ツメモードもいったん忘れた(事実註:後に少し復活)。とにかく皆が求めているところ、手が回ってないところを率先して拾うように心がけた。

はじめは、こいつ誰?という雰囲気だったC社の皆さんも少しずつT川を認めて行ったようだ。
皆で成果も出した。既存ゲームの規模が7倍近くに拡大したり。

「それで南場さん、オレの人生で初めてのことが起こったんですよ。”社員旅行に来て下さい”って言われたんです。皆に好かれたみたいです。なんて言うか…」

私から目をそらし、遠くを見てポツリ。

「いいもんだなーって…思いました。」

も、戻って来い、T川!
さらに続ける。

「C社の渡邊社長が”T川さんのマネージメントスタイルは認めている”と皆の前で言ってくれたんですよ。でもその後飲み会でどうやったらもっと良くなれるか助言もしてくれました。」

認めてもらった上で聞くアドバイスには素直になれる。それは自分のマネジメントスタイルの鏡ともなるはずだ。このC社渡邊社長との出会いはT川を更に成長させた。

——

T川の話をあらためて聞いてわかったこと。
こいつは意外と失敗が多い。
水泳でも破れ、営業でも伝説をつくれず、システム開発研修でも1番になれず、EC新規事業も結実せず、ゲーム「urban surviver」で大コケした。

失敗と上司やパートナーとの出会いから学び、成長こそ順調だが、普段のビッグマウスはそのままだ。

「そう、オリンピックでメダルとるんだよね。
カヌーの調子はどう?」

「今、日本で3~4位です。他の選手は皆カヌーしかやってない。ぼくは仕事優先でこれですから、やる気になればいつでもとれます。」

ちなみに、今やっている種目はオリンピックにはない。