6月中頃に訪れた、ポーランドの旅の続きです。

旅の始まりの時は、ワルシャワアウシュビッツ以外、ほとんど何も思い浮かばず、


アウシュビッツといえば、
「シンドラーのリスト」や、
「戦場のピアニスト」や、
「ソフィーの選択」や、
ドラマ「ホロコースト」や、
「アンネの日記」等で、
何がおこったか、ということはよくわかっていました。


この時代におこった、ヨーロッパの暗黒の日々を象徴する、アウシュビッツ博物館に、ついにやってきました。


とても暑い日でした。まだ6月だというのに、40度にせまる気温が連日続きまして、、


博物館を見終わって、バスに戻ってきたのは夕方6時頃で、この気温です。この時期ね、ヨーロッパは異常気象、どこも暑かったみたいです。

でもね、広い館内を歩き回っている時には、そんなに暑さを感じなかったです。




おびただしいバスの数です。世界各国から、毎日大勢の人々が訪れています。


博物館になっている、このアウシュビッツ第1強制収容所は、最初、ポーランドの政治犯や、ソ連兵の捕虜等が収容される、刑務所として建設されました。


その後、ナチスがユダヤ人の血の1滴をも、この地球上には残さないと決定してから、ユダヤ人の強制収容が増え始め、


ここから約2キロのところに、第2アウシュビッツ(ビルケナウ)、さらに規模が大きな強制収容所が建設されました。ユダヤ人を絶滅させるための殺人工場となったのです。



入場は基本無料ですが、必ずグループでイヤホンをつけ、ガイドの説明つきで見学しなければならないので、そのツアー代金が1800円くらいなのかな?


必ず予約が必要、と聞きましたが、後から調べてみたら、個人で予約なしで入ることも不可能ではないようです。


でも入場券をゲットするのに、長時間並ぶことが多く、個人でまわっても詳しくわからないことも多いようです。


個人旅行の方は、アウシュビッツ拠点の街クラクフからツアーに参加するのが便利のようですね。




こんなスタイル!

入場するまでに1時間ほどかかったでしょうか。
こんな感じです。さあいよいよ入場です。



ここがアウシュビッツの入口です。1グループづつ順番に入っていきます。




煉瓦造りの建物が、整然と並んでいます。


同じく、整然と植えられている、木々の緑が青空に映えて、ああきれい! とさえ感じる風景です。




でも、この入口から中に入って、、、とても心が苦しくなりました。😢


ひとつ、ひとつの煉瓦造りの建物が、博物館になっているのです。
第1アウシュビッツの、この収容所では、1度に800人くらいの人が、ガス室で殺害されました。


でも、さらに増設されたビルケナウ、第2アウシュビッツでは、1度に2000人の人が、ガス室で殺害されたそうです。






ここに1本の、鉄道の線路が伸びています。あの門をくぐって、こちら側にやってくると、終着駅。2度と戻れない終着駅です。








ヨーロッパのあちこちから、ユダヤ狩りで集められた人々は、列車から降りてすぐに、


老人、子供、障害者のグループと、強制労働に耐えられる男性のグループに分けられました。


そして、老人や子供達は、シャワーを浴びるという名目で、言葉巧みにガス室へと誘導されました。


まるでほんもののシャワー室のように、裸になった人へは、ナンバーのついたハンガーが渡されました。
亡くなる直前まで、そこに死が待っているとは、想像もしてなかったのです。


だからなんですね、不安そうではあるものの、人々の顔が、それほど苦悩に満ちていなかったのは、そのためだったのですね。


列車に乗っている間中、兵隊達は、着いたらシャワーでさっぱりするからね、と何度も話をしたのだそう。それはそうでしょう、たくさんの人々が死を前にして騒ぎだしたら、大変だったことでしょう。


つづきます。



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今私は、夫が1ヶ月を過ごしている、ペナン島にきています。何だか今回は出かけることが多く、忙しくて、ゆっくりアメーバに向かうことができませんでした。


皆さんのところに伺えなくて、すみません。ガイドの方に聞いたいろんなことを、備忘録として残しておきたいと思います。


お付き合い頂いて、ありがとうございます。