成人の日おめでとうございます。
成人(大人)ってなんだろう、と、思う今年の成人の日であります。
大人の中で育ったわたしは、
子どもらしくない子どもだったと思います。
物心ついてからは、周りの大人の顔色を見て、そこでのベストな行動を取ろうとし、親の言うことを聞く、いい子をずっとやろうとして来ました。
反抗したことも、「これ買って〜。」と、道でバタバタしたことも一度もありません。
大人から見たらそれはいい子、素直な子なのかもしれません。
でも、親の言う事を聞くことが本当の「素直」なのでしょうか?
その子がしたい事をすることが、(自分に)素直なのではないかと思います。
それは、バタバタしないからと言って、
バタバタしたい子がいないわけではないからです。
わたしの中にその子を閉じ込めて、その子が動かないようにしていただけです。
そして、そんな子がいることすら、見ないようにして、いつしか忘れて生きて来ました。
色々なトラブルが起きた時、自分を見ていたら、そんな子がいた事を思い出しました。
「わたしいるよ〜」と、叫んでいました。
トラブルはその子の叫びでした。
子どもの時は、大人の思う「いい子」になるのに精一杯で、それがベストと思い込んで、
その子を閉じ込めてしまいましたが、
バタバタしたい子はずっとわたしの中にいて、
でも、「ダメだよ‼️」と、
自分で押さえつけ、押さえつけ…
わたしは子どもの頃からずっと大人をやっていたと思います。
今の子どもはとっても大人で、子どもらしい子どもが少ない気がします。
それをいい子、聞き分けのある子と、大人は判断しますは、
それは大人が子どもだから(本当の意味での大人をちゃんとやってないから)子どもが頑張って大人をしなければならなくなってしまうのではないかと思います。
子どもを精一杯やった人が
本当の大人になれるように思います。
ほんとは甘えたいのに、本当はわがまま言いたいのに、
それを押さえつけて大人になった子どもが、
威張ったり、怒ったり、いう事を聞かせたりと、違う方法で、それをアピールしているように思います。
今からでもいい、思い切り"子ども"をやろう❣️
あの日、閉じ込めた子を笑顔にしてあげよう。
それが自分の、そして、周りのしあわせ…と思う成人の日でした。
懐かしい写真が出て来ました。
わたしが20歳の頃。
大河ドラマ「秀吉」に出演した時のものです。