私は昭和35年生まれの純粋な日本人です。
私の祖母は私が子供の頃に現金で1億円以上持っていると祖母から聞いています。
祖母は箪笥預金もしていたので日本でも富豪の祖母に何かと言うと祖母の兄弟や親戚が金を無心に来ていたのを祖母の家に遊びに行った時に目撃していますし同じ虻田町に住んでいる母親も言っていました。
私は母親から祖母の兄弟や親戚三人に祖母は家まで建ててやったと聞いた時に本当に集りだと思って居たのも本当ですし一緒に住んでいた曾祖母に祖母の兄で曾祖母の中年になってる子供が来る度に曾祖母から箪笥に閉まっていた金を曾祖母から貰う姿を引き戸を少し開けて見ていた私は又叔父さん、お祖母ちゃんから金を貰ってる嫌ね内のお父さんとお母さんはお祖母ちゃんに婆さん好きな物を買え!とお父さんに言われて毎月お父さんにお小遣いを貰っていたお金なのに本当に集りにしか来ないんだから、あのオジサンとお祖母ちゃんを影に連れて行き何かを話した後に必ずお祖母ちゃんが箪笥の引き出しから昭和40年代に十万円単位のお金を自分の子供に渡していました。
それも曾祖母の所に遊びに来る度にです
曾祖母の子供で集っていたのは私の家に三人で来る度に金を無心してるのでそんな姿を見て育った私は金を無心しに来る親戚や他人を嫌いになりました。
しかも祖母や曾祖母が死んだ時にはお金が一円もなかったのです。
祖母の長男次男は福島県から出て来た私の曾祖父が買った広大な農地を貰い祖母から現金も貰っていたり三男も現金で生前に貰っていたのは知っていましたが曾祖母に自分が先に死ぬので曾祖母にお金をやっていたのを知っていたので曾祖母が死んだ時にお金が無いのが不思議でした。
しかも後から判りましたが貧乏な曾祖母の子供が土地を買えない筈なのに土地を買っていたので驚きました。
自分が先に死ぬので曾祖母を心配して祖母がやったお金は曾祖母の子供にお金が行っていたんだと判った時には私のお父さんとお母さんに世話になったのにどうして私のお父さんや孫のお母さんにやらなかったのかしら?酷いわお祖母ちゃん。と北海道虻田郡旧虻田町虻田中学校1年生になっていた私は当時そう思っていました。
結局一生懸命働いて億の金を持ち当時日本でも富豪だった私の実の祖母でしたが働いた金は自分の親兄弟親戚にまで集られ最後の金も本当は私の両親にやって貰いたかったのに不本意ながら自分の貧乏な兄弟に取られたんだなーと思いました。
祖母は曾祖母に渡して置けば同居してる私の両親に最後はお金が行くと思っていたと思った筈ですが祖母が一生懸命働いて残した最後の金は不本意ながら自分の貧乏な兄弟に行ったのですから草葉の陰から泣いているだろうと思っています。 
私の従兄弟はこんな事は離れていたので知らないと思いますが曾祖母と同居していた私は様々な事も見知っています。
私の両親は私の幼稚園時代に創業した塗装業も高度成長時代の時もあって順調に売り上げを伸ばし億の現金を稼ぎそんな両親の元私は何不自由ない生活をして現在の夫と平成元年に結婚して翌年待ち望んでいた大望の女の子を出産したのです。ホホホ
その後も頭が良くないと国家のエリートとは結婚できないわと思って頭に良いと言われる知育の玩具を買い与え2歳の時には公文で勉強させ女の子なのでがり勉はさせたくないので頭だけ良ければ良いと思って居たので勉強には煩く言わず海外旅行に毎年連れて行き視野を広げさせ北海道北広島高校に合格した時には全てが順調に行ったと思いました。
後は女の子なので何処の大学でも良いので四年生大学を卒業させて大学時代に英語を堪能にさせる為にアメリカに留学させようと思い大学時代にアメリカ留学をさせて英語が堪能になって帰国したので全てが順調に行ったと思いました。
娘が高校一年生までは事務次官になれる様な日本のエリート官僚と結婚させようと思っていましたが高校2年生からは気持ちが別な方に向かったので今では日本のエリート官僚と結婚して貰いたいとは思っていません。ホホホ
私の一人娘がアメリカ留学中に中華人民共和国胡錦濤国家主席がご自身のプライベートの時に一人で純粋な政治とも無関係な民間人のスパイでも無い美人の海外旅行好きで資産家の私の所に現れた時には大変に驚きましたが私の娘もこんな一国の国家元首になる人物と結婚して貰いたいと思って居たのでやはり私の願いは本当になると思っていますホホホ
これは私のエピソードです。



私の一人娘は自分の意見を相手が目上でもハッキリ言える高学歴でバイリンガルで英語が堪能な人物でモデルのクミッキーより美容整形しなくても美人な人物です。