上野にある東京都美術館で開催中の
「ハマスホイとデンマーク絵画」展に行ってきました
日毎に新型コロナウイルスの影響が出てきて、ついにこの日は、トーハクで開催されていた『出雲と大和』展が中止となった日でした
(見そびれてしまいました)
26日昼の安倍総理の会見を受けて全国の国立博物館が直ちに一時閉館になったのをみて、「1日でも早く開いている展覧会に行かなければ」と思い、予定を1日早めて27日にハマスホイ展に滑り込みました
現在はもう都美術館は閉館中です↓
必死に行った「ハマスホイ」展ですが、
実はこの画家について知識があったわけではないのです
一番上に載せた↑展覧会の予告のポスターやチラシに惹きつけられてしまい、どうしても観てみたい!という気持ちが強くなったのです
だから
「ハマスホイってどんな人?」
と聞かれても
「はて?」
とか言って、十分な答えを言うこともできません
何しろ、最近知った画家なんですからね
そこで、この展覧会のHPから、ハマスホイという人についての説明を引用してみます
(リンクも貼っておきます)
ここから引用↓
「身近な人物の肖像、風景、そして静まりかえった室内――限られた主題を黙々と描いたデンマークを代表する画家ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864-1916)。17世紀オランダ風俗画の影響が認められることから “北欧のフェルメール” とも呼ばれるハマスホイの作品は、西洋美術の古典を想起させる空気を纏いつつ、近代の都市生活者特有の、ある種の郷愁を感じさせます。
欧米の主要な美術館が続々と作品をコレクションに加えるなど、近年、ハマスホイの評価は世界的に高まり続けています。日本でも2008年にはじめての展覧会が開催され、それまでほぼ無名の画家だったにもかかわらず、多くの美術ファンを魅了しました。(以下略)」
なーるほど!
ハマスホイなる画家は、それほど知られた画家ではなかったものの、最近評価が高まってきたんですね
ハマスホイは、19世紀のデンマークの画家で、「北欧のフェルメール」とも呼ばれるそうですが、絵の中で室内へ差し込む光の入り方は、素人目に見ても似ていると思いました
しかし、何かちがうのです
北欧はオランダより緯度が高いからでしょうか、
ハマスホイの絵の中で差し込む光はより淡く、まるでレースのカーテン越しの間接照明の光のように思いました
それよりも私が印象的だと思ったのは、絵の静けさです
「静謐」ということばが絶えず頭の中に浮かびました
こちらに語りかけてこない気がしました
何も聞こえない、温かな静けさ
でも、その静けさにはどこかなつかしさがある、そんな印象をうけました
というわけで、ここからは、展覧会の展示に沿って、気になった作品を取り上げてみようかと思います
展覧会では、1章から4章にわけて、ハマスホイ以前のデンマーク画家の作品からハマスホイへと順を追って展示されていましたので、それに沿う形にしたいと思います
それから、適宜、「シロウト目線の個人的な勝手な感想」も書いちゃおうかな?と思いますので、どうぞ生温かくお許しください
1 日常礼讃ーデンマーク絵画の黄金期
18世紀に、デンマークでは王立美術アカデミーが創立されました
初めは外国から招聘された芸術家による指導が行われていたそうですが、次第にデンマーク絵画自体も発展し、1800年から1864年までは「黄金期」と呼ばれています
そのなかでも、1820年から1850年には多くの芸術家による完成度の高い絵が多数描かれました
面白いのは、注文主がそれまでは貴族だったのが、1814年にナポレオン戦争で敗北してからは市民が台頭し注文主となったというところ
では、作品を見ていきます
・グレスデン・クプゲ 「パン屋の傍らの中庭、カステレズ」 1832頃
なつかしい感じがしますが、これはカステレズという城塞にあったパン工房の近くの風景です
画家クプゲの父親がパン職人で、城塞内部でパンを焼いていたそうです
旅情あふれる絵で、郷愁をそそります
画家ドライアのふるさとの夏の夕暮れの光景だそうです
ドライアはコペンハーゲンの王立アカデミーに移住するまで、この町に住んでいたそうです
ブランスー島では考古学的史料が多数発見されているそうですが、画中にある大きな石は「ドルメン(巨石記念物)」で、島の中に二つ存在するそうです
ドルメンは、19世紀初頭には宗教画・神話画に描かれ、1830年代以降ではデンマークの過去・歴史を象徴するモチーフとして風景画に登場するようになったそうです
・ヨハン・トマス・ロンビュー 「シェラン島、ロズスコウの小作地」 1847
この絵を実際に見た印象を写真でどこまで伝えられるのかわかりませんが、「稲穂」のように生い茂る草(麦?何?)が、夕日に照る様子がとてもきれいで……(その部分の拡大↓)
この絵の遠景に五重塔でも描いてくれたら、なおさらよかったのにと思いました(なんのこっちゃ)
2 スケ―イン派と北欧の光
そもそも、デンマークという国についてよく知らないのですが、スケ―インというのは地名だそうです↓
画家たちは国境を越えてこの町に集まり、「スケ―イン派」と呼ばれるようになったそうです
展示には漁師町の漁師や荒涼とした海辺、素朴な女性の絵などが多く、ちょっと趣が違う感じがしましたが、その中から一枚を敢えてとりあげるなら…
・ピーザ・スィヴェリーン・クロイア 「スケ―イン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア」 1893
クロイアという画家も、スケ―インで初めのころは漁師の姿を描いたそうですが、次第に景観、光に関心が移り、叙情的な「青の絵画」はこの地のイメージとなり、多くの人々を惹きつけたそうです
ですが、この絵を見た時、白砂についた足跡の「ねっとり感」から、私は昨年11月に訪れた南紀白浜の海岸(ブログに書いてないんだけど)を思い出したのでした
鎌倉の由比ガ浜海岸ではありえない砂の白さです(南紀白浜でもないが)
3 19世紀末のデンマーク絵画ー国際化と室内画の隆盛
1870年代はパリで印象派がセンセーションを巻き起こしていたそうですが(日本人は印象派大好きだよねー)、コペンハーゲンの王立美術アカデミーは旧態依然としていたそう
反発した学生は「芸術家たちの自由研究学校」を設立し、官立の展覧会に落選した画家たちは「落選展」を開催、彼らを中心に1891年「独立展」が組織されたそうです
1893年には、ゴッホ、ゴーギャンの作品を展示し大きな反響を呼び、外国芸術家との交流を通じ創作活動を行いました
その一方で、1880年以降のコペンハーゲンでは、自宅室内を主題とする絵画が人気となり、幸福な家庭の絵がデンマーク絵画の特徴の一つとなったそうです
・ヴィゴ・ピータスン 「居間に射す陽光、画家の妻と子」 (の中心部)1888
この絵は、当時のコペンハーゲンの人々が求めたイメージである「絵に描いたような家庭の幸福」を描いたもの
ゴッホ、ゴーギャンの影響と説明されていましたが、この絵の中で室内に射す光の暖かさと、それが若い母親と幼い子どもに反射する様子を見て、
私は個人的にはルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の絵の中に差し込む明るい光を連想しました
ルノワール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」1876
もちろん、モデルは奥様
彼女は20歳も年下だそうですよ
次の二枚は、どちらもハマスホイの義兄によって描かれた少女の絵です
私にはこの二枚の少女が可愛らしくてたまらず
一番のお気に入りになりました
・ピーダ・イルステズ 「ピアノに向かう少女」 1897
髪の毛を後ろでまとめておさげにして、椅子にチョコンとすわって足をぶらぶらさせながら、ピアノを弾いている可愛い少女の後ろ姿は、女の子を持つ母親である私に育児に奮闘していた頃の記憶を呼び覚ましました
・ピーダ・イルステズ 「縫物をする少女」 1898~1902
こちらの絵の少女もピアノを弾いていたのと同じ少女なんでしょうか
図録の解説には、画家の娘さんがモデルをつとめたと書いてあります
チョコンと結んだ髪の毛や、左腕のぷにぷにして柔らかい感じ、足をぶらぶらさせているところ、夢中で縫物をするほっぺのふくらみ、みんな可愛らしい
きっとこの子は、口をとんがらせて縫物をしているに違いないと思います
とても感情移入できる二枚です
このような家庭的な室内画の流行から、次は人物の描かれない、生活空間ではなく美的なモチーフとして室内を捉えた室内画が描かれるようになりました(後ろの方で出てきます)
4 ヴィルヘルム・ハマスホイー首都の静寂の中で
展覧会の展示は、ハマスホイの作品に至るまでがとても長く、そのことについてちょとした文句を言っている友人もいました
私はそもそも、ハマスホイについてもデンマーク絵画についてもよく知らないので、ハマスホイ以前の絵画とハマスホイの絵画ともに新鮮に感じ、面白く観ることができました
そして、とりわけハマスホイの描く世界の静謐さと叙情性に心を打たれました
ハマスホイは、中産階級の出身で経済的には恵まれており、15歳で王立アカデミーに入学、それと並行して「芸術家たちの自由研究学校」にも通いましたが、彼の独特な作風は画壇に論争を引き起こしたそうです
肖像画や風景画も描いたそうですが、室内画の評価が高く、クリムトと並んで受賞したり、フィレンツェのウフィツィ美術館から制作依頼を受けたこともあったそうです
しかし、没後はデンマークでも忘れられた存在となってしまいました
ここからは全部、ハマスホイの作品です
・「夏の夜」 1885
この絵は、コペンハーゲンのあるシェラン島北部の町を描いたそうです
なんだか不思議な印象です
静かで音がない感じです
どこかで見たような気もします
・「ゲントフテの風景」 1892
この絵も、なんとも不思議な感じがしますこの絵も、どこかで見たような…
これは、思い当たりました
これを、こんな風に見てみると↓、構図がそっくりになる
これはハマスホイのパレットだそうです
グレーのグラデーションのパレットで、赤や青がないのね…
そんなパレットから描き出される絵が
・「寝室」 1896
色彩に統一感があって、現代ならばミニマリストの部屋のようです
そして、やはり音のない世界
(図録から撮ったため、両端やや切れています)
・「農場の家屋、レスネス」 1900
レスネスは地名です(どこだか知らんが)
夏空を描いた絵で、屋根は黒い茅葺き、壁は白の漆喰、煙突からは「白い煙」が立ち上ることで、空のわずかな青さと風のない様子がわかります
この絵も、音がなく、とても不思議な印象を受けました
思い出したのが、阿部公房『砂の女』
絵は砂地の家ではなさそうだけど、静けさや不気味さが似ているような気がしました
(『砂の女』、久しぶりに読んでみようかしら)
静謐な絵です
黒い衣の女性はこの後の絵にも出てきますが、同じ女性なのでしょうか?奥様なんでしょうか?
・「背を向けた若い女性のいる室内」 1903~04
一番初めに取り上げたチラシの絵です
黒いワンピースを着た女性は、先ほどの絵と後ろ姿がそっくりす
と、妄想の翼を広げてわくわくしていると、
実は、
上の二枚にあげた女性たちと、同じ黒いワンピースを着た女性が
「こっちを向いている」絵があるのです
つまり、顔が見えるのです
それがこちら↓
この家でハマスホイは多くの室内画を描いたそうなのですが、
女性のお顔を拡大すると↓こんな感じにお疲れモードなのです
こんなこと言っちゃバチが当たりますけど、
私はこの絵を見た時、
少なからずガックリ_| ̄|○してしまいました
こっち向かないで、謎の女性でいて欲しかったな…
実は、奥様は1906年に手術をうけたそうで、その翌年に描かれた肖像↓には体調のすぐれない表情を見て取ることができそうです
「イーダ・ハマスホイの肖像」 1907
したがって、描かれた女性も別人かもしれません…(願望←不謹慎)
それにしてもハマスホイは黒服の女性が好きですねえ
この奥様と、先ほどの匂いたつようなうなじの女性が同一人物なのかどうか、なぞです
ハマスホイは、人気のない室内の絵もたくさん描いています
奥様が疲れて坐っていた家です
その室内はこんな風に白いドアが連なっています
人が通る部分とそうでない部分の床の色が違うところなど、まるで写真のようによく描かれていると思います
どの扉も開いた状態ですが、
人の気配がしない
音も感じない
ヒッチコックのホラー映画みたいに、なんだか不気味で怖い
・「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」 1910
ハマスホイは、コペンハーゲンの中で、何回も引越しをしていたようです
先ほどの絵では、すっかり疲れていた奥様が、また美しい「うなじ」をこちらにむけて(というかピアノに向かってあっちを向いて)坐っています
この絵からは、奥様の体調のすぐれない様子を感じることはありません
ハマスホイが「奥様の内面を描いた」などと言うとかっこよく響きますが、
「後ろ姿なら年齢がごまかせる」とも言えるんじゃないかな?と思いました(これからは、後ろ向きに歩こう!?)
以上、長々と書きましたが、デンマーク絵画っていいなと思いました
とりわけ、ハマスホイの絵画の静謐さと抒情性に強く惹きつけられた展覧会でした
コロナウイルスの影響で会期が短くなってしまいましたが、デンマーク絵画はきっと日本人の好む画風だと思いますので、一刻も早いウイルス退散と展覧会再開を願ってやみません
PS
コペンハーゲンといえば、やっぱりロイヤルコペンハーゲンだよね
昔、有楽町の阪急百貨店にロイコぺの喫茶店が入っていて、よく行きました(時代はバブル)
結婚後のニューヨーク駐在時代、食器を買うことがママ友界で流行していました
あるママ友が、ロイヤルコペンハーゲンの小皿を買いました(駐在員の奥さん同士は距離が短く、買い物まで透けて見える)
で、ポットラックパーティ(お料理持ち寄りパーティ)がどこかの日本人の家で開催された時、
彼女はその高価なロイコぺの小皿に「冷凍たこ焼き」を山ほど乗せて持ってきたのには驚いた!
↓こんな感じのお皿に、たこ焼きを乗せてました
あれ以来、ロイヤルコペンハーゲンの食器見ると、たこ焼きを思い出すこととなりました…
(私自身が何を持っていったのかは全く記憶にございません)