台風被害の残る鎌倉六国見山ハイキングコース | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp


山桜か咲き、花粉が飛ぶ晴天の日、
人混みを避け、ハイキングコースを歩いてみました



鎌倉にある、六国見山(ろっこくけんざん)ハイキングコースです

入り口の一つ↓


「六国見山」なんて、地元の人でないと知らない地名かと思いますが、概要をwikiから抜粋してみましょう

六国見山(ろっこくけんざん)は、神奈川県鎌倉市高野にある。山域の6.9haは鎌倉市によって「六国見山森林公園」に設定され、ハイキングコースや展望台が整備されている。…円覚寺の奥山に当たり、山号「瑞鹿山(ずいろくさん)」でも呼ばれる。

六国見山の由来は、旧国名で相模武蔵安房上総下総伊豆の六国が見えたことに由来して六国見山と名づけられた。元亨3年(1323年)から建武2年(1335年)ぐらいの間に成立した「円覚寺境内絵図」に「六国見」と記載されているのが資料上の初見とされている。(引用終わり)


…というように、頼朝よりは少し後の時代の資料に初めて出てくる名前のようで、
果たして頼朝が六国を眺めて天下取った気になったかどうかはよくわかりません…

そんなに高い山ではなく、しかも住宅地が近くに迫りまくっているため、本格的なハイカーにはシラけるコースかもしれないとは思いますがその割に眺望は良いのです





その六国見山に行く前に、鎌倉のハイキングコースの昨年の台風15号による甚大な被害についてふれたいと思います

ハイキングコースは山の尾根を通るため、多大な被害を被ってしまいました

(山の木にとって)思わぬ方向から大風が吹いたため(北風だったかと思う)、多くの木が踏ん張ることができず倒れてしまったのです

そのため、「天園(てんえん)」、「祇園山」、「葛原が岡・大仏」のハイキングコースは現在も通行できません…一体いつになったら開通するのでしょうか??


その被害について、鎌倉観光公式ガイドをみてみると…




では、ハイキングコースは本来どんなコースなのか、同じページから「地図」を拝借してみます
・天園ハイキングコース

このコースは、鎌倉の尾根をぐるっと回るハイキングコースで、登り坂が不得意な私にはややキツイ(ので、滅多に行きません)



・葛原岡・大仏ハイキングコース

このコースは北鎌倉浄智寺から入り、葛原が岡を抜け、大仏にまで達するコース
葛原が岡から銭洗弁天を通り鎌倉駅まで抜けられるので、時々歩くことがあります
また、葛原が岡から化粧坂を降りて海蔵寺方向に行くこともでき、その様子は先日のブログにも書きました




・祇園山ハイキングコース
このハイキングコースは、段葛や小町通りに並行するのでわざわざ行きませんえー


これらのハイキングコースが通れなくなってしまっているのですが、六国見山ハイキングコースは通行可です(今気づいたんだけど、鎌倉市が認めるハイキングコースに六国見山コースは入っていないようです…まあ、いいか)





では、出発!

数カ所あるハイキングコースの入り口のうち、円覚寺の裏にあたるこちらから入りました



山桜がちらほら咲いていました

このコースはよく整備されていて、木で作られた階段をどんどん登ると、見晴台が見えてきます


この見晴台、実は山頂ではないんだそうです
実際の山頂は円覚寺の寺域にあるようなのですが、ややこしい話は置いておいて、眺望が良い!

南東方向を見ると…
ほら、海がみえます!




鎌倉旧市内、そのむこうに逗子マリーナが見えます





こちらは、南西側の海




江ノ島が見えます

伊豆方向や富士山は、霞んでいて見えませんでした




北側を見てみます…木が育ってあまり眺望がよくありませんが…

木の間からよーくみると…



横浜ランドマークタワーやインターコンチネンタルホテルが見えます


安房、上総、下総方向は、現在は木が生い茂っていて、眺望無しでした…





この「頂上」には、浅間神社の石碑があり↓
後ろの碑文には、明治時代の「講」の名前がずらりと書いてありましたが写真撮らなかったので、これ以上何も言えない…



ここから、建長寺方向に稜線を歩き始めると、
宝篋印塔の上側が残ったとでもいうようなものがあり「稚児の墓」とされていました


「稚児の墓」の由来について、検索で見つけた文章を引用させていただきます

「昔、前浜(由比ヶ浜)に染谷太郎太夫時忠という長者の大きな屋敷がありました。ある朝のこと、なにやら騒がしい。多勢の使用人が、神社の森や前浜まで出て右往左往し、ただごとではない様子です。走り回る使用人が「お姫様が・・・」と大騒ぎしています。

どうやら、この屋敷の娘の姿が見えなくなったらしい。昼近くになって、坂の下の漁師が「大鷲が何か大きなものを爪にかけて、大空へ飛ぶのを見た」と言いました。飛んだ先は材木座方面とか・・・。
時忠は、娘の仇を果たそうと、家来に「鷲を射止めよ」と命じ、里人総出で、大町、名越など鎌倉中を探し回りました。村人の話では、二階堂の岐れ道の辺りに血痕があり、粟船(大船)の岡野辺りに骨がおちていたということです。
 
時忠は、鷲の爪と嘴でつつかれた無残な娘を抱きしめ、きれいに洗い清め、鎌倉中でも高さ一、二といわれる「六国見山」に葬りました。そこに建立された五輪の供養塔は「稚児墓」といわれ、今も頂上南側八十メートルの場所にあります。」

引用元http://www.migokahouse.com/town/000065/


稚児の墓を過ぎて山道を歩いていくと、ここにも、台風被害の生々しい跡がありました

前方に倒木があります


近寄るとこんなふう




迂回路が作られていた


その迂回路から先程の倒木をみると、根っこから倒れてる…


↓こちらも根っこから倒れてましたが、どちらも根っこがあるために、葉は緑色なんだよね…生きてるのです…何とかならないのかなあ



こちらは頭上注意の印かしら




化粧坂の上もそうだったけど、風が吹き抜けて倒れたんだなというのがよくわかる
山奥のように見えますが、この下の手に届きそうなところにまで住宅地が広がっているので、住民も怖かったと思う(私はあの台風の時、京都にいたので体験していないのですが…)





X状に倒れていて、カオス



倒木エリアを抜けると普通のハイキングコースに戻る




おー、桃源郷!ウグイス啼き渡り、ほっこりとした山あいに出ました(実際は大きな住宅地の際に出た)




登ったぶんだけ、住宅地を下る


明月院脇に降りてきたら、桜が綻んでいました



馬酔木も咲いていました




カエルがゴキゲンなお店で


白ワインを飲みながら遅いランチをしました


新型コロナウイルスで、鎌倉もいつもの春より静かな春です

人混みに出なければ、罹患することはなさそうです

手軽な場所でハイキングなど、してみては如何でしょうか?


入ったお店