久米寺に行こうと思ったのは、朝、壺阪寺行きのバスの中で、乗客のおじいさんが「久米寺の雪柳が綺麗だった」という話をしていたのを聞いたからです
そこで、壺阪寺12時発のバスに乗り、
近鉄壺阪山駅から橿原神宮前駅まで近鉄で移動、
橿原神宮前駅から久米寺までは徒歩で移動しました
久米寺まで歩く時間は10分前後です
久米御縣(あがた)神社
久米寺の手前にある神社です
桜が咲いていたので、久米寺の前に寄りました
この神社のとなりに、めざす久米寺があります
久米寺
この日の奈良は午後になるにつれ、風が強くなりますが、この時点ではまだポカポカの陽気でした
久米寺は、「桜は見たいが、人混みにはあまり行きたくない」という私の願望にピッタリの場所でした
久米寺はひとけがなく、落ち着いた佇まいでした
桜だけでなく、雪柳もとてもきれい
バスで久米寺の雪柳の話をしていたおじいさん、ありがとう😊
すこし風が吹いてきて、雪柳が揺れる…
なんか、メドゥーサの髪の毛みたいだわ
枝の一本一本に可憐な花が咲いてます
ここで久米寺はどんな寺なのか、
奈良観光公式HPから久米寺についての記述を一部引用してみます↓(いわゆる丸投げ)
7世紀後半、推古天皇の勅願により、聖徳太子の弟にあたる来目皇子が眼病全快を感謝して建立したと伝わる。一方で、飛行中に娘に見とれて墜落した久米仙人によって創建されたという伝説もある。 本尊薬師如来は眼病に効くとされる。京都仁和寺から移築された多宝塔(重要文化財)は、桃山様式を残している。かつては大寺院だったということが、残された礎石や瓦からも伺い知ることができる。アジサイ園は6月に見ごろをむかえる。
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/03east_area/kumedera/
上の説明によれば、ここの多宝塔は仁和寺から移設されたそうです
多宝塔
そして、こちらが、あの
久米仙人です↓
上の説明文を引用すれば
「飛行中に娘に見とれて墜落した」
というただのオヤジ仙人なわけです
これはお顔を大写しで見たくなりますね…
では、お顔をアップしてみましょう
この久米仙人像、
祠の屋根の背後に立ってます
祠の中には久米仙人像と彫られた石
久米仙人は、欽明(きんめい)天皇の御代、金剛山麓葛城の里に生まれたとされています。吉野山麓龍門ヶ獄(りゅうもんがたけ)で神通飛行術を取得し、空中を自由に飛べるようになりました。
その後、百数十年もの間、久米寺に住んでいたといわれています。聖武(しょうむ)天皇が東大寺に大仏殿を建立する際、勅命を受けた久米仙人は神変不思議の仙術を使い、国々にある大木大石の数々を三日三夜の内に大仏殿境内まで飛ばして集めて見せました。その甲斐あって大仏殿の建立は速やかに成就したと伝えられています。久米仙人の働きに深く感銘した聖武天皇は、免田30町歩を与えたということです。この伝説は、「今昔物語」にも見られます。
久米仙人のユーモラスな伝説では、神通力を得て空中を飛びまわっていた仙人は、ある日、川で美しい女性が洗濯しているところに遭遇し、その女性のふくらはぎに目がくらみ神通力を失い墜落したという話も残っています。
https://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/kumedera.html
…うーむ、久米仙人は本来は、神通力を駆使し、聖武天皇の大仏殿(大仏そのものではないのね)建立にも尽力したなかなか立派な方だったんですね
それが残念なことに
たった一回の女性問題で、
空から落ちて、
そっちの話が後世まで引き継がれた
っていう可哀想な方だったんですね
そして、このようなことは現代でもありそうどころか、SNSの普及でもっと恐ろしいことにもなりかねないので、気をつけてね⁉︎
その他、久米仙人のこんな浮世絵(絶賛落下中)も見つけました(あーあ)
女難の証拠の絵まで残されてているとは(?)、これでは久米仙人の名誉回復は私には難しそうなので諦めることにして、
久米寺の他の風景をご紹介します
こちらは、青空にキラキラ輝く金剛界大日如来像
自ら光を発しているように、光り輝いていました
その隣には、古くはなさそうですが大日如来像などの石仏
この石仏たちの背後(写真左端)をみてください
日向ぼっこするネコたちが写ってます
近寄ってみました
液状化して立ち上がる気配もなく、
前足の先をわずかにピクピクさせていたのでした
なんとも羨ましいのでした
おまけ
またまたかわいかったので買ってしまった
ほんと、こーいうの、好きなんだわ…
記事中のメデューサの画像はこちらから使わせていただきました↓
http://mementmori-art.com/archives/18469093.html