先週のとある天気の安定しない日、
平城京跡資料館で開催中の企画展に行ってきました
↓企画展のチラシ
会期が長かったため油断していたら、ギリギリになってしまいました
興味ある方で、まだ行かれていない方はお急ぎください!
平城京跡資料館のある場所は、近鉄大和西大寺駅から徒歩15分程度、
平城京跡の一番西側です
西大寺駅から東に歩くと、こんな看板が見えてきます
↓奈良文化財研究所 平城京跡資料館
そこから平城京跡に入ると、こんな建物があります
↓平城京跡資料館の入り口
料金は、無料
まず常設展をみて、次に企画展へと進みます
常設展ー北浦定政の古地図と平城京で働くジオラマ
常設展の入り口の床には
平城京周辺の航空写真図が貼られています(細かく見ると結構面白い)
同じ場所に
北浦定政「平城京大内裏跡坪割之図」もかけられています
北浦定政は江戸時代後期の陵墓研究家で、
荒地であった奈良盆地を測量し、平城京を地図の上で復元した人です
私が平城京跡資料館に初めて来たのは、高校生の修学旅行の時でしたが、
水に浸ったままの木簡が多数展示されていました
あれからうん十年…
今はそんな展示はありませんでしたが、細かく見ると楽しいジオラマがありました
遷都のジオラマ
平城京から長岡京へ遷都することが決まり、平城京の建物を解体しているところを表現しています
解体した資材は長岡京で再利用されます
↓カメラの位置を下げて、拡大して撮ってみました
掘立柱を切る様子(再利用するのに、切っちゃってよいの?)
発掘
いきなり話が現代に飛んだようです
発掘現場を再現しています
↓奈文研では、一年中発掘をしているそうですが、自分たちの仕事をジオラマ化しているのはおもしろい
ジオラマはほかにもありました
ご興味ある方、現地に行ってみてください
別の展示では、大極殿の復元模型がありました
当時の衣装を着た等身大の人形が可愛かった
企画展
女帝のいのりー発掘された西大寺と西隆寺ー
常設展のあと、企画展に移りました
この企画展は、都城発掘調査部創設60周年を記念したもののようです
展示を見る前に、東大寺と法華寺、西大寺と西隆寺のパラレルともいえる関係性(目からうろこ)について、ひとこと!
これらの寺は、平城京の東西で次のような関係性にあります
・東大寺(僧寺)ー法華寺(尼寺)ー手向山八幡(鎮守社)
発願者は、東大寺が聖武天皇、法華寺は光明皇后(聖武天皇の奥さん)・西大寺(僧寺)ー西隆寺(尼寺)ー八幡神社(鎮守社)
発願者は、西大寺が孝謙太上天皇、西隆寺が称徳天皇(孝謙天皇重祚=同一人物)
称徳天皇は、聖武と光明皇后の娘
おもしろい!
位置関係(東大寺は一番東、法華寺は地図中央、西大寺は一番西、西隆寺はその東隣)
地図にはありませんが、双方の鎮守社は、
手向山八幡神社が東大寺の東にあり、
八幡神社が西大寺の西にそれぞれ現存します
ここから、展示に沿って見てみたいと思います
まず、発掘調査の歴史や西大寺周辺の絵図などの展示から始まりました
↓西大寺 発掘調査の歴史
↓西大寺現存同舎絵図
東京大学文学部日本史学研究室所蔵 元禄11年(1698)
↓西大寺伽藍絵図
西大寺所蔵 元禄11年(1698) ←上の地図も元禄11年で、同じ年に二つの絵図が描かれているわけですが、この年に何かあったのでしょうか?
第1章 にしのおおでらー西大寺の発掘調査ー
西隆寺の展示に先立って、西大寺関連の展示から始まりました
・創建当時の西大寺の伽藍配置
上の説明によれば、西大寺伽藍は「西大寺資材流記帳」や絵図、発掘調査成果などの研究の成果により、「院」として区画されていたことが分かったそうです
その区画とは、中央北に金堂院、南に塔院、東北隅から左回り(と書いてありますがこれはおそらく間違い)右回りに食堂院、小塔院、四王院、東南角院、西南角院、十一面堂院、正倉院、政所院を擁するもので、大規模な寺であったことがわかります
このうち、当初の姿を伝えるのは、四王堂と東西の基壇だけです
↓創建時の「院」を簡単な図にすると、こんな感じ
これを発掘調査の地図と対応させてみると、少しわかりやすいかな
↓創建当初の西大寺の伽藍配置と発掘調査位置
拡大して見ていただくと、区画を示す「食堂院」などの赤い文字が確認できます
金堂院
中央北側の区画にある金堂院では、
薬師金堂・弥勒金堂が回廊でつながっています
↓拡大
塔院
中央南側にある塔院では、東西に塔が配置されています(現在の西大寺の伽藍はこのあたり)
四王院
四王院には、現在でも四王堂が現存
↓こちらは現在の西大寺伽藍(HP)(東塔跡、四王堂が現存しています)
西大寺HP
・創建当初の薬師金堂、弥勒金堂の様子
「西大寺資材流記帳」には、創建当初の薬師金堂と弥勒金堂の様子が記されています
説明板から抜き出すと、
薬師金堂は「屋根の鴟尾の上には風鐸をたくわえた鳳凰が立ち、大棟の中央では雲形を踏む2頭の獅子が、蓮華上に据えられた火炎付きの宝珠を支えていました」
弥勒金堂の内部には、「77体もの仏像を安置して弥勒浄土の様子をあらわしていた」
弥勒金堂の内部にあったという 77体の仏像、見てみたかったですね
・発掘の説明
金堂院の発掘
発掘により、資材帳に書かれていた薬師金堂と弥勒金堂の様相があきらかになってきたようです
金堂院発掘の様子
薬師金堂と弥勒金堂は回廊に囲まれ、回廊の規模は東西97.4m、南北173.5m
薬師金堂西側から出土した、二彩軒丸瓦
東塔と西塔の発掘
平面八角形の掘込地業が検出されたことで、創建期当初の塔は八角形とする計画だったことがわかりました
しかしその計画が方形に変更されたことも発掘により判明(この経緯が日本霊異記の記載と符合する←すごい!)
↓方形の基壇を囲むように八角形の掘込地業の跡(芝生のところ)
(この話、八角形の芝生の辺あたりで東日本大震災の直後に聞きました…奈良大のスクーリングの二日目でした)
塔の屋根の垂木の先端を飾ったの三彩の瓦も発掘されました
食堂院
食堂院では立派な井戸の跡がみつかったそうです
↓井戸から出てきたモノ
木簡も出土
にゃら三彩(平城宮公認キャラクター)
こちらも初対面でした(モモちゃんかと誤解して写真を撮ってます)
第2章 かつて存在した尼寺ー西隆寺の発掘調査ー
ようやく西隆寺のコーナーです
・伽藍配置
長らく不明であった西隆寺の伽藍配置ですが、発掘調査により、金堂院・食堂院などの様子があきらかになったそうです
この古地図では、下の黄色い〇に囲まれた部分あたりが西隆寺(黄色い〇は、私が囲みました)
地図の中の四角は、条坊制の区画なんでしょうか
↓上の図を拡大すると、「西隆寺」「南大門」などの文字が確認できます
↓拡大
「西隆尼寺」「南大門」「金堂」「講堂」などの字が見える
このように、西大寺に付随して描かれる西隆寺ですが、
その存在は、発掘調査により確認されています
↓「西隆寺の伽藍配置と発掘調査位置」
金堂院
昭和40年代まで残っていた「ひとつだけ楕円形の水田」の場所が金堂のあったところ
(下の説明板の画像でも楕円の形状がわかります)
田んぼに形がそのまま伝わるというのは、ものすごいタイムカプセルですが、
そもそもなぜ「楕円形」なのか?
お堂が楕円形だったわけではなさそうですが、なぜか楕円として残った…なんで?
金堂院の東面回廊の発掘の様子
柱穴ごとに人が立っているので、人で建物の柱を表現しているのでしょうかね
↓隅木蓋瓦 軒平瓦をV字に打ち欠いて、屋根の四隅の隅木先端に被せて使用した
↓オニガワラピー(また初対面のキャラクター登場)
キャラクターが多すぎて、区別がつかない
正倉院に似たもの(写真にうつる立派な三彩の塔)があるそうで、
さすが聖武天皇の娘さんのお寺ですね
塔
西隆寺の塔は、下の写真をみると、ならファミリーの南隣にあったんですねー
↓塔の掘込地業
食堂院
食堂院の井戸の跡
食堂のあった場所は、講堂の東のようです
その他の出土品
鎮壇具
金堂院回廊の鬼門に位置する礎石の据付穴に埋納された土器から見つかったそうです
墨書土器 東門地区から出土 「厨」「大」などの墨書
…というわけで、
西隆寺という尼寺はあまり馴染みのない寺でしたが、面白い展示でした
繰り返しになりますが
平城京の東側では僧寺東大寺と尼寺法華寺
平城京の西側では僧寺西大寺と尼寺西隆寺
がまるでパラレルな関係性で存在したこと
そして、
東側の発願者は聖武天皇夫妻
西側の発願者がその娘
と、
まるで平城宮を挟んで、東西で親子が向かい合って勅願寺を創建したように見えたことが、とても面白いと思いました
これ以上詳しいことはわかりませんが、
今後も気を付けて情報を得たいと思いました
西隆寺の展示はこれでおしまい
資料館の展示のおまけ
高御座
どなたか存ぜぬが高貴なお方が座っていました
平城京 朝集殿
中に、お役人さん(奈良一刀彫ですかね)
↓屋根の高さが左右で違いますが、
左が創建当初の唐招提寺講堂(平城宮朝集殿から移築)、右が鎌倉時代大修理後の講堂
↓創建当初の唐招提寺講堂の中、お坊さんたちが歩いています
ひょっとして、鑑真?
↓鎌倉大修理後の唐招提寺講堂の中にも人
平城京資料館を出て、目の前に広がる平城京跡を少しだけ(のつもりで)散策しました
平城京跡散策
久しぶりに平城京跡を歩いてみると、顔に当たる冷たい風が心地よかった
↓朱雀門が見えます
遠くの雲の下で雨が降っているのが見えました
手前の朱雀門の鴟尾は日の光が輝いています
雨がこちらに来ないように祈る(傘持ってない)
朱雀門と近鉄電車
平城京を横切る近鉄電車の風景
この風景になつかしさを覚えます
線路の移設は不要なんじゃないかと(外野ながら)思いますが、
移設の話、今どうなっているんでしょう?
朱雀門を北から見たところ
くぐって、振り返った
朱雀門の南には、「朱雀門ひろば」が広がっていました
初めて来ました
朱雀門ひろばは、「平城宮いざない館」「天平つどい館」「天平うまし館」「天平みつき館」「天平みはらし館」から構成されていました
ここだけの話ですが、
とても広い場所に、立派な建物が立っているにもかかわらず、ものすごく閑散としていて寒さが身に沁みました(平日で、冬の寒い日だったからかしら)
なんだか、山の辺の道にある「なら歴史芸術文化村」と雰囲気が似ているようでした
↓平城宮いざない館 チューリップがきれい
平城京の保存運動を行った棚田嘉十郎の銅像
いざない館の内部は、平城京を説明した展示がたくさんありましたが、
奈文研の資料館と展示内容が似ている気がしました
平城宮内のお役所の復原のジオラマ
いろいろな展示がもりだくさん(電池残量危機で画像少なめです)
↓お昼は、「天平うまし館」で奈良漬のトッピングのピザをいただきました
「うまし」でした
うまし館とみつき館との間には
遣唐使船と せんとくん(半裸で寒そう)
平城京1300年祭の目玉だった遣唐使船
しばらくの間、近鉄電車の車内から見える場所に設置されていましたが
現在は、こんなところに置かれていたんですね…
近鉄から見えないので、忘れていました
↓天平つどい館
従業員の女性の服装が素敵だったので写真を撮らせていただきました!
朱雀門ひろばから、再度平城宮に戻り、
第一次大極殿を経由して帰ることにしました
↓建設中の東楼
工事現場外の階段を上って内部を見せていただきました
↓木の柱が見えます
工事現場外の階段の踊り場から南方向を見ると
↓二上山あたりが見えました
大極門 門の向こうに大極殿の建物が見えています
大極門をくぐって、北側から南を見ると、遠くに朱雀門が見えます
中心を結んだ一直線感と、建物の左右対称感が心地よいです
大極殿
久しぶりに来ました
立派です
大極殿の風鐸の金色の輝きと、手すりにつけられた擬宝珠の色とりどりの色彩にセンスの良さを感じました
高御座
(さっきもどこかで見たぞ…というか、以前はここに二つ設置されていた気がしますが資料館に一つ移動したのかな??)
高御座の上の鳳凰
平城京跡資料館だけを見るつもりが、
とても大回りをした一日となってしまいました
やっぱり、奈良はいいな