あっという間に2023年1月も中旬を過ぎようとしている。
目白教会のゴールデンハーベストという、
青年会向けの機関紙に寄稿させて頂いた。
(下記に↓↓↓記載)
実際には年末に書いたものだが、
新年の抱負を思い、記した。……つもりだった。
……しかし、
改めて読み返してみると、
迷いの中にある自分を認め、
神様に丸投げしていることが分かる。
( *´艸`)
抱負など、記されていない。
でも、
こういう自分がないと、
次に進めないのだな。
2023年半月が過ぎようとしている中、
今年の具体的な目標も
ようやく、見えつつある。
今は、
「自分らしく生きる」
「自分の感性を大切にする」
それらを強く思い、生きていきたい。
2020年からのコロナ禍による行動制限がなくなったとはいえ、感染者も依然多く、「ウィズコロナ」といっても何をどう気を付けたらいいのかわからず、まだ不安な日々が続く。
自分自身のことを振り返っても、2022年はパッとしない年だった。
なにより長いこと続けてきたことが次々とん挫してしまい、と言ってはっきりとした理由もなく、自分を戒めるわけでもなく、『どうしちゃったの自分??』と、へらへらとしてしまうこの頃なのだ。
寄る年波というヤツだろうか。2023年、新年早々私は還暦を迎える。
そういえば、先輩方から年を取るとできなくなってしまう辛さを聞いていた。私もそういう年になったのだ、仕方がないことだし、覚悟していたはずだった。が、悶々としてしまうのは、きちんと向き合っておらず、受け入れていなかったからかもしれない。
10年前、2013年11月、目白教会が創立100周年を向かえた時、教会を遠く離れていた私を温かく迎え入れてくれた。毎週の主日礼拝がまもれるようになると、教会の多くの兄弟姉妹が私のために祈り、支えて下さっていることを知った。いつもイエス様が寄り添って下さり、神様の恵みにあずかり、導きによって歩むことができた。その中でどれだけの賜物を受けたか、計り知れない。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。
マタイによる福音書 6章34節
この先、どんなことが待ち受けているかなどわからない。そのことで心を惑わし時間を取られるより、今あるこの時を大切に、感謝して過ごす。
~~そう、誓ったはずなのに、いつの間にか自分の思いに捉われて、多くを望み、神様の思いより、自分の欲を優先させていたかもしれない。
祈る時、神様、イエス様の言葉を聞くよりも先に、自分の気持ちでいっぱいになり、自分のことばかりを願っていた。そして、叶えて下さることにあぐらをかいていたかもしれない。
クリスマスになると必ず読まれる聖母マリアの言葉。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」
ルカによる福音書 1章38節
その言葉を我が身に置き換えて、新年にあたり祈ろう。
「2023年もイエス様と共にあって、神様の導きに従い歩んでいけますように」