「私はこうなりたいんです」

「目標はこうです」

「これが理想の姿です」

そう言い切れる人を、ちょっと羨ましいなと、思ってしまいます。

明確であることは、

なんであれ素敵だなと、素朴に思います。

そこに目標。設定することで

行動や言動が変化していく、、というのは、

願望達成の王道ですから。



だからこそ、揺らいでしまうことを、

責めがちにもなります。




ただ、そんなになんでもを、

明確にして生きるのは、私には息苦しいなとも感じています。

それは、私がそうできないから、というのもありますが、



おそらく、

揺るがない感情、目標なんてのは、

持とうと思って持つものでなく、

そもそもあるものに気がついていて、

わかって、そして


言語化しているだけなのでは?と思います。

揺るがないものは、揺るぐことを、そもそも心配しないもの。

これだから、そもそも。という安定感。



やる気を出さなきゃやれないものが

本当にその人の望みなの?

頑張らなくちゃと、

理由を並べて自分を鼓舞しなくちゃやれないことが

ほんとうにやりたいことなの?




もちろん、やりたいことの中にも、たいへんなこと、困難なことは、ある。

でもそれをやるのは、努力でも苦労でもなく、やりたいことのうちのひとつ、なんだと思います。

たいへんとか、周りからはそう映っていても、

本人からすれば、それは通過点に過ぎない。

通り過ぎる、ひとつの点。

見ているところはそこじゃない。

手にすることになんの疑いもなく、

ただ、やるべきことを淡々とやり続け、重ねていくだけの、ワクワクとした行為。



だとしたら、揺るがないものが素敵とかではなく、

揺るぐことを楽しんでも

いいのでは?

みぎに  ひだりに

そしてまた、真ん中に。

揺るがないものは、持とうと思って持つものではなく、

そもそも揺るぎようがないのだから。

感情や思考は、

揺らぐものであって、

だからこそ面白いし、

旨味というか、なんか楽しさがあるものなのではないのかな。

ぶれない、、、という表現があります。

それは、ぶれるからこそ、ぶれないための何かしらに気がつける。

ぶれない自分のために

ぶれることを楽しむ。

楽しむって、、、、?

それは、そこには溺れずに、少し離れたところから味わうことなんだと思います。

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楽しむ イコール 、溺れずに味わうこと。

そうなれたら、

いろんな出来事も、

翻弄される前に、俯瞰できるかもしれません。


簡単ではないからこそ

揺るがないことより

揺らぐことを楽しんで

生きていきたいです。