どうにもこうにも、嫌なことはもちろん起きるし、嬉しいことだってたっくさん人生には起きるよね。

そんなの、言われなくとも、わざわざ私がブログに書かなくとも、みんなが知ってること。

笑ってようが!怒ってようが!時間は過ぎるし、

歳はとるし笑笑

じゃあ、どんなふうに生きていきたいのか

しっかりと肝に命じていた方がよくはないか???

そう思います。

漠然と現実に振り回されているより、

おっと!そうきたか、でも私はこのスタンスでいくよ〜〜

って、現実を乗り切っていく方が

楽しい時間が増え、納得のいく選択ができて

(つまり、自分の意思で生きてるからね)

振り返ってみると

あぁ、いい人生だったな…   と、

思えるのではないか?

そんなふうに思います。




気難しい父が7年前にガンで亡くなった時

彼の人生は楽しかったんだろうか…

そう思わずにはいられませんでした。

彼はとても真面目に生きていた。

そして自分に厳しい人だった。

毎日の日課とかをサボれるような人ではなく、ズルくもなく、損得で物事を捉えるのでもなく

そんな様々ことをきちんと…本当にきちんと行いながら、

そして、他人にも厳しい人だった。

「なんだあれは、こうすべきじゃないか」

「このようにするのが当たり前だ」

いつも彼の批判は、止まることなく、、、

そばにいる私たち家族はヒヤヒヤしてました。

それがもっともであればあるほど、

周りの人間は彼を疎んじて、、、

きっと、寂しかったと思います。


私は、父の葬儀の間、思いました。


まわりに注文の多い人ほど

不満の多い人生になる

まわりに求めることが多いと

まわりは遠ざかる

孤独な、不平不満ばかりの人生…




こうしてほしい…ああしてほしい…だってそれは正当なことなのだから。

そう考えていると、頭の中は周りへの監視カメラが内蔵され、

ちっとも今を楽しめない。




私はそうはなりたくないな、そう思いました。

父は、怒ってばかりだったけど、寂しかったと思います。

実際に、なぜ怒ったのか?と、思うときほど、期待が裏切られたとき。

勝手に期待したのは誰なんだよ!と、

つっこみたいです笑。


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アホになれ!


今の私なら、そう思います。

求める必要ない。

求めるのはむしろ、迷惑。

いつまでたっても、「幸せかどうかのチェックリスト」を手放せずに

いったい  いつ

しあわせを噛み締めるのでしょうか。

現実に、苦労やしんどさを感じていても、

ありえないでしょ、というくらいの出来事にぶつかっていても、

間違いなく

ほんとに間違いなく

それは、あなたの宝石になる。

というか、

宝石にするのは、本人。


アホになれ!


小難しく考えたところで

嫌なオーラを撒き散らすだけ。

アホになると

まわりはみんなすごい人だらけだし

出来事は笑うだけのことばかりだし

なんかすごく

とにかく、楽しくはなる!

そして、

それが何よりなのでは?

そう思います。

今苦しみの渦中にいる人には、雑音にしかならないかもしれない。

でもね、

アホになると、今苦しいと感じていることさえ

その苦しみが減るのです。

どうなったって、すべて、どうにかなんとかなるように

世の中の仕組みはできている。

そこに抗うことは

苦痛が大きすぎる。

抗わずに、そうなんだね!へぇ〜!ぐらいで

そこでおしまい。

だって、アホなんだもん笑

笑うことが、いちばんなんです。