母の衝撃の一言 | 別居・DV・浮気に悩む妻たちへ☆~愛ある家族になりましょう~

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こんにちは。芙蓉です。


昨日の、母の老人ホーム入居の話の続きを

させてください🍀



退院した病院から

入居する老人ホームへ移る介護タクシーの中で

母と話した内容が、衝撃的過ぎました。



母「私、もう二度とお姉ちゃんとは会いたくないの。

だから、施設にも連れて来ないでね」



私の目を真っ直ぐに射抜くように見て


真顔で、


しっかりとした口調で

キッパリと言われました。


私「え?…😮」


それ以上、言葉が出ない。


母「電話で声を聞いている分には、いいの。

ただ、もうお姉ちゃんの姿を見たくないのよ。

お願いね」



母が入院していた約4ヶ月間。

姉はずっと母に会いたかったのです。


そして、姉は、母がいなくてもよく一人でやれた、と

母に褒めてもらいたくて、仕方ないのです。

今すぐにでも。



自分が場にそぐわないような

大きな声を出してしまったり


人に迷惑をかけるところがあるとは

自覚している部分があります。


「病院へ私が行くと、迷惑かけちゃうから

お見舞いには行けない」


と、自分をさとすように言っていたんですね。




姉が母に電話をかけると、

母は「ここは病院だから、あまり電話をかけていると

周りの迷惑になる」と言われたようで

そのことも気にしていました。


母が老人ホームに入ったら、

やっと、会いに行ける。電話も自由にできる。


もう家に戻って来られない。

一緒には住めない。

老人ホーム入居という事実を受け入れることさえ


これだけの大きな葛藤をして来たのに、


これで、「二度と会いたくない」と言われてしまったら、

姉はどうなってしまうのでしょう?



母「あ、でも、お姉ちゃんにはこのことは

言わないでね。

あなたが連れて来なければいいだけだから」



私は、母の表情を見ながら、話を聞いていて、

母の気持ちが何となく伝わって来るような……


いや、でも、やっぱり


よくわからないという気持ちの方が

大きかったです。



表面的なところだけ見れば、


もう、姉のことでは気持ちを乱されたくない。

老人ホームで、穏やかに余生を過ごしたい…


そういうことだとは思うのです。



だけど、たまに

例えば3ヶ月に一回くらいのペースで

ちょっと会うだけのことで、

そんなに穏やかでいられなくなるのか?


…と言えば、そんなことはないはず。



それを、


「私はこの入院期間、ずっと考えてました。

もう二度と、お姉ちゃんの顔は見ませんから、

絶対に連れて来ないでください」


という決定的な拒絶の意思を示すというのは、

どういうことなのか?


そんな?


何で、そんな風になれるの?


と、悲しいというか

胸が痛いというか


私的には、ちょっと

「はい、わかりました」とはすぐには

返事ができない案件でした。



家に帰ってから、夫にそのことを話したら


「お母さん、骨折して動けなくなって

一晩中床に転がっていたでしょ。

お姉ちゃんそれに、気づかなくて


まったく助けにならなかったのが

原因してるんじゃないの?


お母さんもさすがに、命の危機を感じて

怖かったんだと思うよ。


それでお姉ちゃんのこと、受け付けなくなっちゃったんじゃない?」


と言いました。



そういう気持ちも、もしかしたら、ゼロではないかも知れません。



私的には、そんなこと、

お姉ちゃんに求めても無理なことくらい

頭からわかっていることだし


そこで、どうこう思う???



何と言ったらいいのか


もうあの子に関しての、私の役目は終わりました。

一線引来ましたので、

あとは近づかないでください。



というような冷たいオーラを感じたのが、

私の実際の感覚だったんですよね。



クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー



今日も姉は屈託なく

私の家に夕ご飯を食べに来て


「ママ、老人ホーム入った?

病院を退院できたんだから、退院祝いをしたい」


と言ってました。


「お姉ちゃん、退院祝いしたいの?

でも、いつどこでしたらいいだろうね?」


と私が言うと、


「もう、うちには帰って来られないんでしょう?

だったら、わからない」


と姉は言いました。



違う話をして、しばらく経ったら

また姉は


「退院祝いしたいね」

と同じことを言いました。


「退院祝いはできるかどうかわからないけれど、

来週、ハナミチくんやラムちゃんやぽっぽや

ぽっぽの彼女が来るから

バーベキューするよ。

その時、一緒にバーベキュー食べようね」


と言って、話をはぐらかしました。



母は、ずっとずっと

姉の障がいということを、受容できない人生だった。

それは、間違いないことだと

私は思っています。


葛藤があって

母は母のやり方で精一杯やったことはわかります。



でも、私は生意気ながら、


母が姉を本当の意味で受容しないところが

本当に本当に、嫌だった。

そばで見ていて、そこに腹を立て続けて


私は私の人生を模索したと言っても

過言ではなかったのです。



「優秀な男の子が欲しかった。

あなたが男の子じゃなくて、本当にがっかりした」


私はそう言われて育ちましたが


私が男でないことをがっかりすることは

正直どうでもよかった。


それより、


障がい者である姉の存在を、

受容しない母のかたくなさに

絶望するのがつらかったなー



母は、優秀で、出来が良いのが好きな人で


バカにされたり

見下されたりするのが大嫌いな人で


障がい者や弱者と言われる存在が

そもそもなところ、全然無理な人。


それは変わることはなかったのだと思います。

そういう人は、いる。

いるのは、わかる。



昨日、そんな私をそばで見ていた夫が言いました。


「もう、いいじゃん。

幸い、うちの子たちはみんな

おばちゃんのことを自然に受け入れているし。


おばちゃんがいても、誰も何も思ってなくて

ぽっぽの彼女もさ、

最初はびっくりしていたけれど

今はもう何もなく受け入れて

一緒にいても全然大丈夫なわけだし。」



確かに。


こういう風に夫に言ってもらえることが

感謝なことで


これから何とかなって行くのだろうけれど…



母の発言は、まだ飲み込めずに、

私の胸の真ん中に

魚の骨のように刺さったままです。