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新発見の仰天した方位と相性の理論

河合は最近、驚かざるを得ない事態に直面した。
私が今まで習ってきたり、調べてきたりしていた方位術とは違う、すごい方位術の理論に直面したからである。
また、四柱推命の相性からして、今まで納得がいかなかった部分も納得がいき説明がつく理論があり、更に驚いた。
私が今まで習ってきた方位術には正しい部分もあったが、間違っている部分もあった。



私は、占星術の分野では、日本は中国・インド・西洋には全く歯が立たないと考えている。
だから、私は中国占星術・インド占星術・西洋占星術を学んでいる。
実際、日本独自の占星術と言うものを私は知らない。

また、風水術に関しても、日本は中華圏にはやはり歯が立たない。
八宅派風水なんてものがあるが、あれも元々は中国からのものである。

しかし、方位術に関しては、どうも日本が世界最強の精度を誇っているらしいのである。
方位術に関しては、気学と奇門遁甲が主流で、前者が日本、後者が中国で発展した。
しかし、気学は年盤・月盤重視であり、奇門遁甲は日盤・時盤重視である。

しかし、奇門遁甲は日盤・時盤重視だから、実際の実例解説・事例解説がどうしても少ない。
また、奇門遁甲は流派も多く、盤自体が異なることも多い。
その点が奇門遁甲の研究の難点である。

また、そもそもは奇門遁甲は元々は択日の占術であった。
つまり、良い日時を選ぶ為の占術であり、そこから変遷して、吉方位を選ぶ占術になった。

また、気学は奇門遁甲の簡略版だから、奇門遁甲が正しいと主張する遁甲家も多い。
確かに、九星しか見ない気学は間違いではないが、精度が薄い。
また、既存の九星気学では凶方位ばかりを煽り立て、結局は移動できる吉方位が限られてしまう。
しかし、奇門遁甲はやはり流派が多過ぎ、方位の日や時間単位の実例収集はかなり困難。

では、何が優れた方位術なのか?
陰陽道に通じた陰陽師安倍家が代々使用して来た、干支九星に基づいた方位術こそが世界最高の方位術の可能性がある。
何せ、皇室の行事でも参考にされるくらいなのだから、これが最高の術の一つかもしれないのだ。



相性の実例
解神理論の重要性
四柱推命で忌神なのに相性が良い実例

河合の父
命式
時日月年
庚甲丁己
午寅卯亥

喜神 火・土・金
忌神 木・水

河合の母
命式
時日月年
己丙乙癸
丑子卯卯

喜神 土・金・水
忌神 木・火

新しい方位術を知る過程で知った解神理論は、相性の観点から知らないといけない。
新しい方位術には、解神理論を理解しないとついていけない。

四柱推命での相性の見方は、一般的には喜神と忌神で見る。
しかし、その見方では、河合の両親の相性は良くないことになってしまう。
何故なら、河合の両親は互いに忌神の木が強いから良くない相性となってしまう。
この喜神・忌神のみでは、相性の実態と乖離している。

しかし、河合は幼い頃から河合の両親が喧嘩をしたところを見たことがない。
その相性の良さは、必ず何処かに現れているはずである。

そこで、解神理論なら説明がつく。

河合の父は、亥と寅と卯があるから、亥と寅の間に解神の子と丑が来ると良い。
河合の母は命式に子と丑がある。

一方の河合の母は、子と丑と卯があるから、丑と卯の間に解神の寅が来ると良い。
更には、亥もこれの前にくる十二支であり、亥子丑の北方合水局で解神である。
河合の父は命式に亥と寅がある。

亥子丑合水・卯亥合木・卯寅合木の解神効果が出て、互いに二つずつ解神を補った結果、亥子丑寅卯と十二支が5連続もし、相性が良いことを示している。
四柱推命で相性を見る際は、喜神・忌神や調候や通関のみで判断してはいけない。
それはまだ素人の見方である。
必ず、解神も見ないといけない。



徳川家康を天下人へと導いた、織田信長との解神同盟関係

天下泰平の江戸幕府270年を築いた大成功者、徳川家康も解神が開運をもたらしていた。
解神を知らずに、四柱推命や方位術を語るのは恐ろしい事例を示す。

織田信長
命式
時日月年
壬戊庚甲
子寅午午
喜神 木・金・水
忌神 火・土

徳川家康
命式
時日月年
壬壬甲癸
寅寅寅卯
喜神 金・水
忌神 木・火・土

織田信長は午年の生まれで、徳川家康にとっては、解神の午を持っていた。
午寅合であり、信長は午が2つ、家康は寅が3つなので、午寅合の効果は2倍化、3倍化する。
信長は火が強く、家康にとって火は忌神だ。
また、午寅合の火が生じるが、火は忌神だ。
つまり、この事例は、四柱推命での相性は、喜神や忌神等よりも解神を重視しろと言うことを示している。

裏切りが日常茶飯事の戦国時代だったが、織田・徳川の同盟関係は珍しく20年以上続き、信長の死後の織田信雄の代まで継続した。
織田・徳川(松平)は、祖父や父の代からずっと敵対し続けてきていた。
しかし、家康の母方の実家である水野家の仲介で何とか同盟を結ぶことができた。

豊臣秀吉
命式
時日月年
庚丙癸丁
寅辰卯酉
喜神 土・金・水
忌神 木・火

ちなみに豊臣秀吉も家康にとってみれば、解神の辰を命式に持っていた。
しかし、秀吉は酉年生まれ、家康は卯年生まれであったから、小牧・長久手の戦いで争うなど、当初は軍事対決をしていたのである。
卯と酉は冲であるから、秀吉と家康の関係は協力関係でもあるが、対立関係でもあった。

明智光秀
命式
時日月年
己壬乙戊
酉戌卯子

信長と明智光秀も午年生まれと子年生まれであり、やはり対立関係が生じやすい面があった。
子と午は冲の関係であり、二人は意見が対立することもあった。
しかし、信長にとって解神の戌を光秀は持ち、光秀にとって解神の寅と午を信長は持っている。
だから、本能寺の変が起きるまでは二人は協力関係にあった。
天王寺の戦いでは、信長自身が3千人の兵のみで、1万人を超える本願寺勢に対して突撃し、鉄砲弾により自身の脚を撃ち抜かれて負傷してまでも、光秀を助けたのである。



徳川家康を天下人へと導いた、解神大吉方位北東の江戸への転封

1590年の徳川家康の浜松→小田原→江戸の吉方位転封のケースでは、
天正18年2月10日 小田原征伐出陣
天正18年4月3日 小田原着陣
天正18年7月13日 関東への国替えと公表
天正18年8月1日 江戸入城
となっている。

上記は旧暦なので、現在の西暦に変換すると、
浜松発は、庚寅年 己卯月
小田原発は、庚寅年 甲申月
となる。

江戸は北東であり、庚寅年では癸巳が、己卯月では壬午が、甲申月では丁亥が廻座する。

家康の命式は、
時日月年
壬壬甲癸
寅寅寅卯
であるから、午寅合、卯亥合、寅亥合で吉運である。
寅は3つあるから、効果3倍である。

また、そもそも北東自体が丑や寅の定位であり、丑寅卯と連続する大吉方位である。

イチロー
命式
時日月年
癸辛壬癸
巳卯戌丑

大谷翔平
命式
時日月年
辛壬庚甲
亥辰午戌

イチローと大谷翔平はアメリカに行って大成功した。
方位術ではアメリカは北東であり、北東の定位は丑と寅である。
寅はイチローと大谷翔平にとって解神であり、イチローにとっては丑寅卯、大谷翔平にとっては寅午戌の三合火局である。

地球はフラットアースではない。
地球は球体であり、アメリカは北東である。
ガリレオ・ガリレイが述べた通り、それでも地球は回っている。






甲年・己年は福岡から東京への移動は大吉方位
乙年・庚年は東京から福岡への移動は大吉方位

方位術で最大吉神の恵方の法則では、福岡から東京は東の中の甲ノ方であり、甲年と己年には大吉方位と化す。
逆に東京から福岡は西の中の庚ノ方であり、乙年と庚年には大吉方位と化す。
では、2024年に福岡から東京へ上京する方位はどうなのか?
2024年は8方位では、東には暗剣殺が回っている。
この点は、確かに良くない。
暗剣殺は外から・他人からの災難を示す。
しかし、24方位で見ると、福岡から東京は東の中の甲ノ方であるから恵方の方位である。
2024年は、甲年だからである。

福岡から東京への移動では、
1994年の甲年に浜崎あゆみが、
2014年の甲年に橋本環奈が、
上京を果たして、後の開運に繋がっているようである。
方位の最大吉神は恵方である。
また、山本美月は2009年7月28日の東京でのオーディションで選出された。
また、蒼井優も1999年上京と書かれている。
つまり、山本や蒼井も己年が関係している可能性があり、恵方の方位が開運に繋がっているらしいのだ。

今年も福岡から東京に移動する人がいる。
8方位で見れば、暗剣殺があり、かなり悪い方位である。
しかし、24方位で見れば大吉神の恵方があり、良い方位である。
今年、福岡から東京に移動する方には、今後数年間〜十数年間は大吉の出来事と大凶の出来事が起こると考えられる。