みなさん、今晩わ
ホリスティックスクールLavie木蓮です。

 


昨日は医療畑に育った木蓮が


今日は、「現代医療」に疑問を抱いたきっかけをお伝えしますウインク




 【現代医療に疑問を抱いたきっかけ】



戦時中は軍医で
戦後、開業した祖父。

急患がある度に夜間でも往診し、
たくさんの患者さんの命を助けてきたと聞かされて育ちました。



外科が専門だったにも関わらず、
町医者として、怪我、感染症、分娩と、
昼夜公私なくあらゆる患者への対応をしていた祖父。


当時はとても貧しかったので、
治療費の代わりに患者さんの育てた野菜や取ってきた魚を頂いていたこともあったそうです。





その祖父が亡くなったのが
私が小学5年生の時。

お葬式が執り行われた寺院には
生前祖父が助けた患者さん達が、祖父の最期の姿を見に訪れ、
参列者の列は寺院の外まで続き、式の終わりまで途絶えることはありませんでした。



その光景を親族席から始終眺めていた私。

「おじいちゃん、すごいなぁ。
こんなに多くの方に感謝され慕われる医師という職業は、なんて素晴らしいのだろう。」

と、幼心にその光景が刻み込まれました。



患者にも家族にも厳しい祖父でしたが、まだ幼い私はとても可愛がられ、
厳しさの中にも愛情を感じ、そして尊敬していました。


ですので、その祖父が従事していた「医療」というものにも絶大な信頼を寄せていたのです。




それが崩れるきっかけとなったのが、長女を出産した時。



不妊治療や流産を超え、授かった待望の我が子。

授かった時から
「母乳で育てる!」と決めていました。



妊娠中から開業した助産師さんが行っていらっしゃるマッサージを受けにいき、そこで、母乳で育てるのに大切なお食事や気をつけることなど、予めお聞きし


自分で色んな本も読んで、産後に気をつけることやカンガルーケアのことも学んでいました。




それなのに
「初めてのお産だから、何かあった時に近い方がいい」という周囲の勧めのままに選んでしまった産院。

妊娠中からの心がけの甲斐があったのか、陣痛に気づいてから出産まで2時間と、本人も周りも驚くほどの安産だったにも関わらず、


「赤ちゃんに必要な処置があるし、産後はゆっくり休んだ方がいいから、1日経ったら赤ちゃんを連れてきますね」

と、カンガルーケアもさせてもらえず、すぐに娘から引き離され

娘は新生児室、私は個室へ。。







娘と逢えた歓びよりも
分離された哀しみの方が大きすぎて


「娘がお腹の中にいた妊娠中の時の方が幸せだった」

と、ひとりで泣きました。







 

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(↖︎娘っち2歳の頃の写真。。汗
ふと気づけば、娘っちも早8歳。。
そろそろ写真を差し替えねば。。あせる)
と未だに言っている人。笑い泣き
 
 
 
でわでわ、みなさま
どうぞ良い夜を〜〜ラブラブラブラブ