多様性を受け入れる


とは


わかりやすく考えると


文化の違いを受け入れる


みたいな事


あの人の国の常識は


こちらの国では違った



それをこちらの国では違うんだよと


伝えつつも


あちらの国の常識も受け入れる、理解する


その背景も理解する





こちらの国の人口が多ければ多いほど


あちらの国の人は 


こちらの国の人の文化やルールに合わせて


いく必要があるのかもしれないけれど


(左車線通行を


右側車線で走るのはできないって事)


大きなルールは合わせていったとしても



あの国で育ったその人の持ってる


個性とか


培われて来た考え方とか行動は




あの国で育ったから


あのご両親で育ったから


持っているもので


その個性自体は大きくは変わらなく


合わせる必要もないのかもしれないけど


その違いから苦しみが生まれた時や


違いがわからない、理解できない時は


お互いが理解し合おうとし


どちらもが同じバランスで歩み寄るのを


諦めなければ


同じ場所に暮らす事が


できていくのかもしれない


皆同じでもつまらない


皆が違ってもいい






同じ考えのもの同士で違う人を否定するのは


その人を孤独に追い込む


例えば


日本というお家に来た よその国の1人の


人と暮らし


日本人同士が その人の違いを


よってたかってコソコソし続けたら


日本ってなんて嫌な国なんだろうって


思って寂しく孤独に帰っていく事だろう



相手を受け入れた上で


その日本の人のおうちの


思いをちゃんと伝えていけば


きっと信頼につながる



そこをべつに相手が求めてなければ

(違いを話してもらった上で)


そっか 


その相手の人はそう思ってたんだ と思って


その人が日本という人のお家の


ルールみたいな事を


お互いを理解した上で


そこにいたいか


いたくないかを決めていける


そういう考え方なんだなと思い


自分はでは合わせるか 


合わせられないかは 


信頼が築かれた上でその人が決めていくことで


またその人も自分の考えを伝え


理解をして貰えば 日本という家の人たちも


新しく考えの新しい文化をとりいれることが


できるのかもしれない





合わせられず離れたとしても


そこには


日本という人のおうちはコソコソしてて


何を考えてるのかわからないし


すごく孤独で嫌だったと


孤独な思いにはならないんだろうと思う






私がアメリカにいた時


日本人のお友達と


仲良くしてたアメリカ人のご家族のお家に


一週間くらい遊びに行った時がある


その時に 日本人らしく


色々出してもらったものに


遠慮みたいな ノーサンキューを


たくさん言ってたみたいで


(または言葉を発しない曖昧な態度をしていた)


そこのお母さんはハッキリと


『日本の人はノーノーばっかりいって


だから嫌なのよね!欲しい時は欲しいっていっ


ていいのよ』


とハッキリ愛を持って伝えてくれた


そう 本当は欲しかったです 笑


だからそこでは欲しいものはありがたく


欲しいと言えるようになった し


わたしも日本人はそういう所があることを


伝えて 互いに理解を深めていった






また


アメリカにいた時


学校がやすみで寮もご飯が出なく


山の方に暮らしてたお友達が


ショートホームステイをすすめてくれて


日本の人の大歓迎で喜んで優しくしてくれたが


山の暮らしもあって


ナツコ シャワーの水使いすぎ


我が家ではおうちの1日に使える


水の量が決まってるから


シャワーあまり使わないでねと言われて


そうだったのかと気がつく


言われなければわからない事も理解する


理解した上で


私はお水をたくさん使ってしまうだろう


少ないのはちと辛いなぁと正直に思って


長くここにはいられないかもと思って


予定より早くその家を出ることを決めた

(これは国の違いとかじゃなくて、そのご家族の暮らし方)



合わせる必要のない事もあって




例えば


マレーシアの人たちと一緒にご飯を食べた時


彼女達は手でご飯をフォークとスプーン


の代わりに混ぜて食べてた


その場にいた日本人はわたしだけだったけど


合わせる必要はなく


スプーンとフォークで食べることができたし


それは何も問題なく


違和感なくすごく事ができた



どれも強制的なものはなく


私たちの文化や考え方や暮らし方は


こうなんですよと提示したあとに


で 貴方はどうするみたいな事


そこに嘘があると


嘘のつきあいになりどちらかに


心の負荷がかかる けれど


正直であれば 


負荷は減っていくのではないのだろうか


私はこうする で


貴方はどうする


をお互いにちゃんと伝えていけばよく


無理な時


違う場所で暮らす事になってしまったと


しても


理解が深まらず


孤独で苦しみの中で暮らすより


その人の幸せにつながるのかもしれない


その違いは対立ではなく


お互いの理解であり


お互いを深く受け入れたという事に


繋がるのではないだろうか