突然ですが

私の事をより知ってもらうために

自己紹介をしたいと思いまーす指差し飛び出すハート


わーぃ、パチパチ👏ニコニコ

(ずっと書こう書こうと思いながら、先延ばしにしていたので私の心の声が拍手しましたー昇天



生まれは石川県。

田んぼばかりの、のどかな田舎町。

常識人で気性が荒めな自営業を営む父と

マイペースでド天然な専業主婦の母、

祖母と

3個離れた姉がいて、

そんな家族のもと

私は爆誕いたしましたー立ち上がる飛び出すハート

(その6年後に弟も誕生します。)


生まれた時から

ミルク大好き女子で

よく飲み、よく寝る子で

身長、体重、共に

成長っぷりが、成長曲線をはみ出してました。






この成長の勢いは

小学生まで続き、

(小2で120cm、毎年順調に10cmずつ伸びて、小6で160cmを越えました。)

大きいと言われ続ける人生の始まりで、

小学校の時は、

小学生料金を何度疑われたか

分かりません。



同じ学年の男子よりも

頭一個分は大きかったので

女子らしくない自分=可愛くない

次第にコンプレックスとなっていきました。


のちにコンプレックスを克服していくのですが、

このコンプレックスが

私にとっての男性をみる視点の

重要ポイントになっていたのは、

また、いつか、機会があれば

お話ししたいと思いまーすにっこり



そして我がルーツでもある

父&母に話を戻すと、

常識人で気性が荒めな自営業を営む父と

マイペースでド天然な専業主婦の母との

夫婦生活は

ぶつかる事が多く、

『よく喧嘩している』

が日常のデフォルト。





毎日のように

小さな事で喧嘩してたネガティブ



よく父はイライラしていたし、

怒られる事も多かった。

母からは、いつも父や祖母への

不満ばかりきかされてた。




幼い心には、

そんな日常に

日々、逃げ出したい気持ちだったし

自分にとって大切な

自分のルーツでもある者同士が

仲良く出来ない事にも

怒られたり愚痴を聞かされることにも

かなり傷ついていました。




仲良くして欲しいのに喧嘩ばかりで

そんな現状に嫌な気持ちを言語化出来ず、

よく癇癪を起こしてました。


んで、

そんな癇癪をよく起こす私に

両親は心配して

かんの虫がついてるとか?で

お祓い的な?

ものに連れて行かれたりしましたよ昇天

いやいや、

この癇癪はあなたたちの

喧嘩のせいなんだけどな

という思いがあったのに、

それすらも

幼い私には、言語化出来なかった…魂が抜ける


これ(お祓い)、いる?爆笑って、

今なら間違いなくツッコミ入れるやつだけど。


いや、当時も

心のどこかでは思っていたのかも爆笑


親達には

私の気持ちなんて分かってもらえない

とも思ってた。



癇癪という方法でしか

表現出来なかった私も幼かったし

親も親なりに

真剣に私の事を心配してくれてたからこそ

藁にもすがる思いでの

『お祓い』だったのだと思うのだけど。

冷静に考えると笑えるし

愛のすれ違いってやつね。



そんなお祓い騒動も経験して

もちろん両親の状況は変わる事なく

毎日のように起こる親達の喧嘩に対して

悲しくて、怖くて、不安定になって…。


いつも、暗雲立ち込めた世界の住人…。






当事者以外でも

争い事が起こると周囲には

心痛めて傷つく人が出ているのだと

身をもって感じていたからこそ

愛と平和が大好物で

平和主義な私が

出来上がっていったのだと推察します指差し



小学校の頃から
争いの仲介的な立場を取りがちだったし、
少数派や弱い立場の意見を
支持したがりなタイプでした。
少数派や弱い立場の意見を支持して
その立場で声を上げる人がいれば
理解してもらえる人が増えて
平和な世界が生まれると思っていたから。



嫌な気持ちを抱きながら生活する苦痛を
日々感じていたから
嫌な気持ちで過ごす人が
一人でも減って欲しいと
いつも考えながら生きていました。


えっ、めちゃくちゃ
いい子やん悲しいって
我ながら感動泣き笑い


そんな私も
小学校2年で痴漢にあい
親にも誰にも相談出来ず
しばらく学校にも行けなくなり
さらに塞ぎこんだ少女時代を送り

祖父の他界やらで

『何故、人は死ぬのか』
を常に考えるようになりました。




振り返ってみると
少女時代が一番楽しくなったかも泣き笑い



気がついたら

なかなか

長くなってきたので

次の投稿に続きまーすニコニコ


今後も

長々と続きますが

我が人生のストーリーを

楽しみながら

お付き合い下さいませ飛び出すハート