やっほ〜飛び出すハート

愛と平和が大好物のなゆみで〜す指差し



前回は

私の生い立ちと

愛と平和を好むようになった背景、

楽しくなかった少女時代を

お話しさせていただきました。



自己紹介♡part1


↑見てない方は、こちらをどうぞ昇天



part2以降では、

苦しかった環境から脱出大作戦を経て

自由に羽ばたき始めた私の人生を

お届けさせていただきま〜すニコニコ




生まれた時から

毎日繰り返されていた

両親の喧嘩も

怒られることも

愚痴を聞かされることも

全てが嫌だったネガティブ




親と一緒に暮らしている事で

怒られないようにするために

無意識にいい子でいようとしてしまう

自分も感じていて

見えない檻の中で暮らす感覚に

息苦しさも覚えていましたネガティブ




それに加えて

我が家の両親は過保護でもありました。




だからこそ

私は私のために

ちゃんと自立したい!

もっと自分のために

色んな経験をさせてあげたい!

もっともっと自分らしく羽ばたきたい!

高校を卒業したら絶対に家を出る!

といつからか思うようになっていました。



もう実家から出られば、

何でも良かったけど泣き笑い

人と深く関わる仕事で

女性でもしっかり自立が出来て、

お金を貰いながら

医療の知識と技術が身につくのは

最高じゃんと思い

看護師を目指すことになりました。



やってみてダメなら

やめちゃおうとも思っていました。




最終的には県外の

国立短大に進学し晴れて

苦しかった実家での生活

から解放されました。


そして

東京の大学に通っていた親友の存在が

大きな影響を与えてくれて


『若いうちに

東京という地に身を置いてみたい!』

と思うようになって



短大卒業後は

『至誠と愛』を掲げていた

(ここでも心惹かれた愛のフレーズ。笑)

都内の大学病院に就職しました。




もともと

大した憧れもない状態で

看護師という道を選択していたので

看護師の勉強も好きでもないし、

興味もさほど持てなかったし、

入職当時は

仕事が全く出来ず、

怒られてばかり、泣いてばかりの新人で、

辞めたい辞めたいを同期に聞いてもらって

支えられながらの新人時代でした。



だけど

同期に恵まれていたんですよね、私。



徐々にお仕事の楽しさを

みいだしていきました。


看護師のお仕事について

過去にいくつか記事も書いてました。


過去の記事♡


過去の記事♡





振り返るとそれなりに

充実した看護師人生を送ってきました泣き笑い



んで、

しばらくは憧れの大都会東京で

普通の看護師として

仕事をしていたのだけど、


27歳頃に出会った

50代くらいの男性に言われた言葉。

『女は30歳から。君なんてまだまだ。』

すごくトキメキを覚えて

30歳になるのが楽しみで仕方なかった。



喧嘩が絶えない家庭環境で育った私は

30歳までに結婚!とか

世の中の女性が

一般的に抱いている憧れを抱くことは

全くなく生きてきたので

(なんなら、結婚で、窮屈な生活になるんだろうから青春を謳歌して、結婚は、30歳すぎたくらいかなと思っていました昇天


いざ30歳になった時は、

本当に本当に嬉しくて、

何か新しい事がやりたくて

通っていたお料理教室で

『読者モデル募集!』をみて、

これだー!!って雷が落ちて

すぐに応募して、

人生で初めて

オーディションというものに参加して。

きっと死ぬときに

この景色を回想するんだろうな

という気持ちで受けたオーディションが

めちゃくちゃ楽しかったんですよニコニコ



それで、

見事合格して

看護師&モデルという

2足のわらじをはきながらの生活を

楽しんでいく訳なのですが、

それは、また、

次回の記事で書かせていただきますねー昇天



まだまだ

お付き合い下さいなニコニコ飛び出すハート