Turtlewalk

Turtlewalk

亀の歩み。遅てもええやん。自分のペースで歩いたらええやん。

今年すでに3度目の訪問。だがおそらくこれが今年最後の逢瀬

初日は2人とも仕事。僕は午前の会議を終わらせ

午後から飛行機で東京へ向かった。

まずは1人でチェックイン。特にどこへ行くでもなく

相方の仕事が終わるのを待って

いそいそと上野駅へ向かった。

時刻は20時を回っていた。初めてのの待ち合わせ。

こういう気持ちは久しぶりだ。

「ハードロックカフェの前にいるよ」とLINEしておいたが

前から来るのか後から来るのか右から来るのか左から来るのか。

似たような背格好の人に目がいってしまったり、

ゲイカップルが通っていくのニタニタと見てしまったり。

そういえば待ち合わせの時ってよく人間観察するよなー

って思い出してた。

ちょうど柱の影から振り返ったとき

地下から上がってくるエスカレーターの彼と目があった。

「お疲れ様、久しぶり」

「晩御飯どうする?」

「何でもいいよ」

「じゃあ決めているところがあるんだけど」

「うん」

「ここの居酒屋に行ってみたいんだけどいいかな?」

長い時間会っていなかったことが一瞬で帳消しになるような

この距離感。ずっとニヤニヤしてしまう。

上野の歓楽街、ガールズバーが犇き合っていて

当然客引きもたくさんいる

『ガールズバーどうですか?ガールズバーどうですか?』

「僕はこういうの多いんだよね」

相方が僕に言う。そして僕に直接客引きの声がかかった

『ガールズバーどうですか?』

「興味ありません」

こういう事はバッサリ言っておかないとめんどくさいw

 

はじめて二人で居酒屋に来た。今時は携帯でQRコードを

読み込んで注文するみたい。

ずいぶん進んでるんだね。面倒がなくていいし、

すぐ品物が運ばれてきた。

相方はお酒が強いみたいだけど、僕は下戸で弱い。

シークワーサーサワーを頼んだけど、

ちょっとアルコールが強いかなぁと思った。

実は2人での飲酒も初めて。

焼き鳥の盛り合わせとか、どて煮とか居酒屋らしいものを

つまみながら、結局いつも僕がたくさん話してしまう。

居酒屋に行くのはちょっと敬遠していたが、

どの席も結構騒がしく話し込んでいるので、

喧騒の中で僕たちの会話もかき消されるようで、

僕たちマイノリティな会話も、あまり気にせずに話すことができた。少し遅めの夕食だったので、

贅沢にタクシーを使って旅館まで帰った。

たどり着いてからも、あーでもないこーでもないと

テレビもつけずに体をくっつけたままずっと話していた

そんな相方は翌日の仕事なので、明け方に実家に帰っていった。

 

さて、一人寝の僕の2日目はお昼少し前に始まった。

一人で身支度して今日は一人で過ごす。

東京で何をしようかずっと考えていたけど

結局絶対これがしたいなんてのは、何もなくて。

御朱印集めにでも出掛けようかなぁと、

ご近所を散策することにした。

鷲神社と言う酉の市で有名な神社。

その先の吉原遊廓にある吉原神社も行ってみた。

花街は昼間でも空いてる店もあるのか

お客さんが入って行くとこを見かけた。

でも住宅街の中に急に始まる感じ。

夜じゃないので、街の艶めきは分からなかったけど、

何かしら淫靡な空気は否めなかった。

吉原大門の麓にある蕎麦屋にふらっと入った。

ランチでカツ丼とお蕎麦がついて900円。

どんだけの女と男がここの蕎麦をすすったんだろうかと

しみじみしちゃった。

腹ごしらえも終わり、入谷の鬼子母神まで徒歩で戻る。

ここは2度目だが、やはりここは御朱印をやってないみたいだった。

真ん前のバスに乗って上野の寛永寺へ行く。

ちょっと乗り過ごしたけど歩いて戻る。

上野公園の中には御朱印を頂けるところが点在してる。

思いの外、上野公園が広くて、そして魅力的でびっくり。

博物館や科学館にも行ってみたい、美術館もあるし。

芸術の秋でしたわ。暑かったけど。

不忍池を通って、今度はすぐそばの湯島天神へと。

そのまま徒歩で神田明神まで。ここは先日まで放送してたドラマVIVANTで阿部寛達が何度か訪れてたところ。

知らなかったんだが、ここからすぐのところに

以前来たエニタイムの秋葉原店があった。

それを横目に秋葉原の駅へ向かう。

今回徒歩なので途中ずっとモンスターハンターNowで

遊んでいたけど、秋葉原に着いた時は

たくさんのプレイヤーがいてとても驚いた。

僕がまだ会ったことないモンスターもたくさんいたので

レベル上げもできたし、とても良かった。

上野駅へ電車で一駅。そこからまた旅館まで歩いて帰った。

帰ったはいいが、30分もすると相方との待ち合わせの時間だ。

すぐさままた出かける。

今日は何を食べようと考えながら。

上野着で「ここにいます」と改札の写真を送った。

それだけで相方は特定して僕の場所へ来てくれた。

「パスタがいい」ということで特に店が浮かばなかったので、

カプリチョーザへ行くことに。

調べたら御徒町にあると言うので歩いて向かうことにした。

二月以来ののアメ横をちんたらとウィンドショッピング。

そしたらハンバーグ屋を発見。急遽変更。

まぁその辺が僕たちの成り行きで過ごすスタンスの良いところ。

簡単に変わっちゃう。

ハンバーグのセットでソースを選ぶ。

チーズのハンバーグがいいなぁと話す僕。店員さんを呼ぶ

「すみません。300グラムのガーリックで」と頼んだ。

相方は

「300グラムのジンジャーで」と頼んだ

僕がチーズと言っていたから相方はガーリックと思っていたみたいだが、僕がガーリックと急に言ってしまったため瞬時に相方はジンジャーに変更。なかなかの瞬発力。

少し交換しあった。厨房で黒人がハンバーグの種をパカパカパカパカ空気を抜きながら作ってくれていた。

見た目通りとてもおいしいハンバーグだった。

せっかく上野に来たんだからとビッグジムに行ってみることに。

ここのビッグジムは初めまして。通販では買い物したことはある。

とりあえず冷やかしというか全体を見て、

あーでもないこーでもないといい。何も買わず。

また外へ出て歩いた。

途中のミニストップに寄って

気になっていた、芋のソフトクリームを食べる。うまし。

今夜もスカイツリーが綺麗に見えるなあと、

なんやかんや歩いてたら、結局旅館まで全部徒歩で帰ってきた。

今日は本当によく歩いた。

明日は相方も有給なのでようやく2人で過ごせる。

でも明日は帰らなきゃいけないし短い短いと分かっていても

それでも会いたくてきてしまった。

今回来なければ、おそらく今年はもう来れないから、

どうしても会っておきたかった。

そしてやっぱり会いに来てよかった。

そうそう、今回の旅館は部屋風呂がなくて、

夜中じゅう空いてる共同風呂を

使いたいタイミングで施錠して使うんだけど、

そこが合宿所みたいに広めのステンレスの浴槽で、

二人で貸切風呂するのも初めてやから良かった。

のぼせるからすぐ体洗って出てきたけどね。

これでサウナ付いてたらもっと良かったわ。

 

最終日の朝。チェックアウトは10時なのであまりダラダラ出来ない。昨夜のうちに、東京タワーへ行こうと決めておいた。

インスタで神谷町ランチのハッシュタグで検索したら、

うまそうなトンカツを見つけた。

ところが、この投稿のイイネの数は6件だった

とりあえず神谷町に着いて、この店に向かう。

11時の開店を待って、看板メニュー、

ロース豚カツ定食750円を大盛りで2つ注文。

相方は本当に食べるのが早くて毎回僕より先に食べ終わる。

おそらく僕がたくさん喋ってるからだと思う。

さて、天気は上々、

青空に聳える懐かしの東京タワー🗼。

僕は25年ぶり。相方は30年以上ぶりらしい。

スカイツリーが出来て、こちらは閑散としてるかと思ったけど、

インバウンドなのか外国人がとても多い。

ここは奮発して最上階の展望室まで行くことに。3000円。

最初の展望室でも充分高さを感じたが、

その先、WIOゾーンはやはり東京を一望するに相応しいと思った。

ただ隣におよそ同じくらいの高さの森ビルがあって、

それがとても目障りだった。

あそこにあんなの建てるなんて虚栄以外の何者でもない。

本当やめてほしい。おかげで新宿を探すのに苦労した。

森ビルの横にチョコっと、都庁が見えてて。

「どおりで分からんはずや」と話した。

お土産コーナーで僕が見つけたのは、

鉄で出来たカタカナのトーキョータワー🗼と

形どられたキーホルダー。

それが可愛いと思ってこっそり2つ購入。

相方にあげてその場でカバンにつけさせた。

相方の感想は

「いかにも関西人が買いそうだね」でしたw

僕がご満悦だから、それで良いのです(^^)

次に向かったのは、新宿御苑。

ここは二人とも行ったことない未体験スポット。

「あっちが2丁目だねー」と言いながら御苑の入り口へ

そういや、まだ二人で2丁目も行ったことない

入場券を買ってすぐに入り口横にあるお店でアイスを買う。

アイス屋の客は僕たち二人と、

ベビーカーをあやしながら談笑する外国人男性二人だけ。

片方の色白髭ペアは僕と目が合ってにっこり微笑んでくれた

ベビーカーには人形でも入れてるかと思いきや、

本物の赤ん坊が乗っている。

どういうことなのか二人で想像を巡らせるが、

この二人が養子をもらって育てるってことかねと

多様性を噛み締めた。

その後、御苑を散策した。

こんな都会の真ん中にこんなに広くて緑があるんだね。

上野公園でも思ったけど、

案外東京には緑が多いんじゃないかと感じた

日本庭園とか芝生とか広ーい園内。

毎年オカマがここで花見をやりたがるの分かるわあと思いつつ。

僕らは芝生に寝そべったりしながら写真撮ったりして過ごした。

さーて、3時を回ってきて、

そろそろ帰ることを考えなくちゃいけない。

新宿駅に寄り道してドンキーとオッシュマンズに行って、

電車で成田を目指した。

成田では昨日食べそびれたパスタを食べた。

ここのレストランフロアがめちゃくちゃ分かりにくかった

あれよあれよと時間が迫り、チェックインしなくちゃならなくて。

楽しい時間は早いって毎回思うよね。

結局、ここから僕が関西に着くのと

相方が家に着くのがだいたい同じっていう。

8時過ぎのフライトで、僕が家にたどり着いたらもう12時だった。

次の日も朝から仕事なんで即寝して、

今年の僕の東京は幕を降ろしてしまった。

空港で最後に交わした言葉は

「良いお年を」でした

ゴールデンウィークが過ぎた平日の深夜なんとなく、ほんとになんとなく東京行きの飛行機をチェックして、そのまんまホテルを調べて7月のデートを画策した。

それから早1ヵ月半。とても待ち望んだような一瞬のような、もどかしい梅雨を過ごして、ようやくこの日を迎えた

シンデレラエクスプレスのようにシンデレラフライトなる言葉があるのだろうか

今年2回目の深夜の成田に到着した。乗客以外は閑散としたターミナル。僕はアライバルのゲートを目指して走っていた。まっすぐな廊下を抜けてバゲージの広場を横目に自動ドアをくぐる短躯なのにやたら胸囲の大きい人がちょこんと腰掛けて待っていた。どういうわけかとても笑顔で僕を迎えてくれたので聞いてみると、僕の走ってきた姿を見てすぐわかったからだそうだ。

空港まで来てくれてもとんぼ返りするのがわかっているのに、またまた迎えに来てくれた。やっぱり嬉しい。都内に戻る切符も既に購入済みだと言う。前回とは違って普通の電車で帰ると言うことで汽車賃もさほどかからず、遠慮なく今回初のおもてなしを受けた。車内は同じタイミングで到着したいくつかの飛行機の乗客で、夜の深い時間でも混雑していた。5ヶ月ぶりではあるものの、普段からやりとりをしているので、取り立てて大きなニュースはなく、今日ここへ来るまでの1日の事や電車の路線図を見て他愛もない話をして過ごした。金曜の夜、お互い仕事を終えてから会うということなので少し疲れていたが、蔵前のホテルに荷物を置いてすぐさま夕飯を探して近所を散策した。11時を過ぎて街は時折すれ違う、スーツケースを持った外国人と、煌々と照らされた工事現場のおっちゃん達しかいないように見えた。少し歩くと僕の街でも見かける黄色い看板の牛丼屋があった。ホテルから歩いて来て初めての飲食店だった。2人とも酒を飲まないので、居酒屋と言う選択肢はまずない。せっかく来たのにいつでも食べられる牛丼はとりあえず保留にされた。ややあって明かりが消えた雷門を横切り浅草ロックスの方へ足を向けた。相方が気になっていたが、入ったことがないと言う中華屋のような飲食店へ入ることになった。実は関西空港でマクドナルドを食べてきたのだが、そんな事は全くなかったかのように、ラーメンとチャーハンを一杯ずつそれぞれに頼んだ。ようやく腹を満たした僕たちは何も買うつもりはないのに、ドンキホーテに吸い込まれた。そして手ぶらで出てきた。こういうとても無駄なような時間が普段できないこともあってかなんだか愛しい。夜も更けて僕らは昼間の熱で蒸せ返る大きな横断歩道をホテルへと戻った。

想像していただくような5ヶ月ぶりの濃厚な粘膜接触はさほどなく、2人はダブルベットの天井に大音声のいびきを轟かせて眠った。

齢50にもなると朝は得意と言うのだろうか。自然に目が覚めるのかはたまたたくさん寝る体力がもうないのか、いつも通り6時過ぎには目が覚めてしまった。隣のマッチョのいびきはとてもすごかった。ダラダラダラダラと惰眠をむさぼる。この時間は至極至上だった。

8時。そろそろ起きないかいと揺さぶるように起こしてみたが、岩の塊のようなその体はまだ遠いどこかで夢を見ていた。

10時。さすがにもういいんじゃない早く出かけようよ。そう思いまた揺さぶってみた。今度は上に乗って耳元で話しかけてみた。起きたような起きないような。結局起きなかった。

11時を過ぎていつの間にか覚醒していたけれど、微睡むこの時間がまた心地よくて、シーツの海から上がれずにいた

たっぷりと時間があったので僕はいびきを録画してみたり、足の裏が扁平足気味だなぁって観測したりしていたので、なんだかんだで起こさなかった。それは僕のせいということになり、2人はようやく着替えて出かけることとなった。

文月の東京はもう正午過ぎていた。昨日の夜、お寿司を食べたいねと言うことになり、本日の昼食は検索した結果、目的地の手前の駅でスシローに行こうと。青砥という駅。この辺にあるはずだがと歩いてみたが、最初わからなくてようやく見つけて看板に走り寄ってみたらテイクアウト専門店だった。仕方なく駅周辺を散策したが、これといってめぼしいものが見つからず、駅ビル2階の定食屋に入った。相方は、唐揚げのみぞれあんかけ定食を食べようと決めていたが、注文を取りに来たボーイがみぞれ南蛮ですねと隣にあったチキン南蛮を指差した。僕は一瞬「おや?」と思ったがみぞれと言っていたので、どういうことなのかよくわからずボーイが去った後にオーダー間違ったんじゃないの?と相方に言ってみたが、それでもいいよ。そっちも食べたかったからとあっさり答えた。そんなところはとても好きだ。

結局運ばれてきたのはチキン南蛮定食だった。「これもうまいよ」と美味しそうに相方が食べるのが僕も嬉しかった。腹ごしらえも終わり、初めての柴又。僕は去年から「男はつらいよ」の映画を順番に少しずつ見ている。毎回出てくる。柴又帝釈天の門前町を実際に見てみたかった。そこには寅さん記念館もあると言う。

到着した柴又の駅舎は、あちこちに寅さんの思い出が蘇るような仕掛けがあった。ホームの柱には名場面のパネル。駅入り口の広場には寅さんと妹のさくらの銅像が立っていた。参道をゆっくりと帝釈天へ進む。さほど道幅も広くない。参道は今でも賑わいを見せていた。右へゆるやかに曲がって信号を渡った。その先に寅さんの実家のモデルになった「とらや」という団子屋があった。映画の雰囲気よりも、店内は少し広めに見えた。まずはお参りが先と言うことで、買い食いもせずにそのまま店先を通り過ぎた。見えてきたのは古い立派な門。何度も映画で見たあの門だった。左手には鐘楼も見える。門を潜って手水を使い、お堂に上がらせていただく。今日は年に4回しかない庚申祭の日。それはたまたまでしたが、ありがたい御朱印も頂戴して2人でその懐かしい雰囲気を味わった。この寺の事は知らないのにこの景色の事は知ってるような。なんだか不思議な感覚だった。

寅さん記念館は江戸川の土手のすぐそばだった。題経寺からは歩いてしばらく。入場料500円土曜日のわりに人もなく、僕らはゆっくりゆっくりと寅さんの生涯を堪能した。相方の父親は寅さんが好きで一緒に映画館にも行ったことがあるらしい。2人とも、ちょっとした寅さんフリークということで懐かしい映像も片っ端から見ては「あーこれこれ知ってる知ってる」と、とても盛り上がった。団子屋よ「とらや」のセットも組まれているのでこんな狭いんだなぁと思いながら、記念写真を撮った。とてもゆっくりと見て回ったので、あっという間に閉館時間の5時がやってきた。外に出たら僕は江戸川を見てみたくて土手を登った。本当に映画のオープニングのようにジョギングをしている人や自転車で通る人、それに河原でスポーツしている人。それぞれがそれぞれの週末を楽しんでいた。雨の予報だったのに、この日は大して降られる事はなく、大して汗をかいているわけでもなかったが、ここから少しばかりの新小岩のレインボーと言うサウナに向かった。今やサウナハットは常識なのだろうか僕の地元じゃサウナハット使用率は2人位。ところがここにはサウナハットをかけておく壁掛けが湯船の側に用意されているほど、猫も杓子もカラフルなサウナハットを被っている。もちろん僕は持っていないし、頭皮をそのまま晒してサウナに入った。3回ほど出たり入ったりを繰り返してほどほどにレインボーを後にする。レインボーは2階。その1階には、かっぱ寿司。ようやくお寿司を味わうことができた。今回は京成線に大変お世話になっている。それで浅草橋まで戻り、乗り換えて浅草へ。ホテルで1時間仮眠する。次の目的はジムで合同トレーニングだった。今度はちゃんとアラームをセットして1時間後に起床。もう夜の11時。外は微妙に傘が要る程度の雨が降っていたが、ジムが近いので傘もささず徒歩でエニタイムフィットネス蔵前店を目指した。都会のジムは僕の行きつけとは全く違った様相を呈していた。蔵前店は4階建て。一つ一つのフロアはとても狭い。そしてエレベーターがない。それでも土曜の夜と言うのに利用客がまあまあいた。僕は肩と胸をすることにしてベンチを使って、ダンベルでトレーニングをした。2時間ほどすると雨は上がるどころかきつくなっていた。シャワーも浴びていないので、濡れる事は気にせず、帰路についた後、それぞれにシャワーを浴びて。明日は10時チェックアウトなので、しっかりと冷房をかけて早々に寝入った

結局チェックアウトはギリギリだった。外は梅雨の晴れ間。ご機嫌なスカイツリーが抜けるような青空に刺さっていた。

飛行機の背もたれにあった小冊子そこに紹介されていた根津神社へと向かった。相方も地元だと言うのに、幼い頃は全然知らなかったようで、僕はとても気にいった。空気もいいし、国宝である門も良かったし、ちょうど夏越しの払いで茅の輪潜りもできた、そしてまたここには千本鳥居もあるので素敵な撮影ができた。そうそう、参道の店店の中にストーンのお店があった。実は昨日サウナで水晶の数珠を落としてしまい、糸がはじけて切れて困っていた。店先には修理も承ると書いてあったので帰り道寄ってみたら500円で見事復活させてもらった。これもやっぱり縁なのかなぁとほっこりした。根津には小さなカフェやお店がたくさんあった、込み入った路地を抜けて結局、降りたバス停のところに戻った。夏メンチと書かれた幟に僕は惹かれて2つ購入した。その間に相方はランチの見当をつけた店の前で待機していた。ところがそこのパスタ屋は少し混雑していた。もう少し坂を上ったところに「ご飯がすすむ食堂」と言う名の食堂があって、僕らはここでハンバーグのランチをいただいた。いい雰囲気の美味しいお店だった。そして次なるは谷中銀座の「ひみつ堂」。何度かインスタのフォロワーさんが行ってるのを見かけたのできっとおいしいのかなと単純に行ってみたいと思った、かき氷の店である。まぁメニューは見ていないのでどんなものがあるか全く知らなかったが、前回も来た谷中銀座に到着。通りを抜けて有名な階段下を右へ曲がるや否や何やら行列が見えた。嫌な気がした。行列は3度折れてひみつ堂へと続いていた。とたんに帰ろうと思った。結局僕らはあっさりとかき氷を諦めて、またまたまた雷門近く吾妻橋へと向かった。およそ20年ぶり位に浜離宮へ行きたかったからだ。そしたら相方が水上バスで行ったらどう?と教えてくれたのでそれに乗ることになった。水上バス乗り場まで歩く間に相方お気に入りのお芋のきんつばを売っているお店がちょうどあったので、1つずつ購入して食べ歩いた。水上バスは小さな国連会議のように様々な国の人で溢れていた。大盛況でソールドアウトも出ていたが、僕たちが乗りたい浜離宮行きにはまだ空きがあった。時間が来て、船は隅田川を降り始めた。いくつもの橋をくぐる。相方は一つ一つ橋の名前を説明してくれる。風が心地よい。別のルートの水上バス、屋形船、岸辺で涼む人。みんな手を振ってくれる。なんだか嬉しくて、僕は目も合っていないのに手を振り返していた。30分少々で水上バスは浜離宮に到着した。そこには何があると言うわけではない。昔の将軍のお庭があって、客をもてなすために海を見ながらお茶を立てる場所や、深い緑、池の亀、水鳥。ここは東京ということを忘れていたが、後に聳える、近代的なビルが僕をそうさせてくれなかった、それにしても穏やかな空間でこの空間や間をを楽しめる2人が僕は好きだった。陽も傾き始めて、そこから歩いて新橋へ。最後の予定はカラオケを歌うこと。歌いたい曲を僕は何曲もメモしてあった。でも1番歌わないといけないのは、東京デートのテーマ曲「斉藤和義のメトロに乗って」だった。それを動画に収めて、3時間はあっという間に過ぎた。帰りは羽田からのフライト。羽田空港はもう何年ぶりだろうか。チェックインを済ませて浅草で有名だと言う洋食屋のハヤシライスをパクついた。

暮れてしまった夏を惜しむように僕は人目は気にせず、相方を強くハグした。

ありがとう。またねと言う気持ちを込めて。

1時間と少しのフライトで僕の体は関西へと運ばれた。

肌に残った今日の日差しがこの夏の僕の思い出となった。

50年生きて、2月の建国記念の日をこれほど待ち望んだことは無かった

時期外れの陽気の中、週末の仕事を終えた

職場近くの最寄駅、カーパーキングに車を停めて

持ってきてあった服に着替えて、大きいリュックを背負い

秋以来の関空へと向かった

行き先はNRT。成田空港

初めて行く空港だ。でも今回は迎えてくれる人がいるので

不安よりもワクワクが止まらないと胸を踊らせた

1時間ちょっとのフライトはウトウトするかしないかの内に

関東平野へランディングした

 

暖房の効いた空港の到着ロビー

着膨れたMA-1で待つ大好きな人

歩み寄って一瞬の軽いハグ

もっとギュッとしたいのをグッと堪えた

 

上野行きのチケットを買ってくれてるというので

夜中の閑散とした空港を駅へ歩く

売店も自販機でさえも営業を終了していた

 

乗り込んだスカイライナー。斜め前の外国人の若い女性が

座席から振り返って「エクスキューズミー」と話しかけてくる

手を握りたいと思う気持ちを抑えて

彼女に返答する。どうやらwi-fiを使いたいようだった

電車のフリーwi-fiを教える、その後も何度か話しかけられる

そんな彼女は僕らと一緒に上野で降りた

ホームに立つ駅員にまで「アリガトゴザイマス」と挨拶していた

 

1年とちょっとぶりの東京、日付はもう12日になろうとしていた

真夜中の上野公園を二人でテクテクと歩いた

子供の頃の話、冬のマラソンの話を聞いた

若者が屯して楽しそうにお酒片手に話してる声が聞こえていたが

遠目だったので、夜空の下で短くキスをした

 

夕飯難民だった。街はこんなにも明るいけど

チェーン店の牛丼屋くらいしか開いていなかった

僕らは飲まないので居酒屋の選択肢も無かった

地下鉄で旅館の最寄りに移動。すぐそこだというので一旦荷物を置きに行く

部屋には既に布団が敷かれている。

ふかふかの布団の上でたくさんの想いの詰まったハグをしてた

取り止めもないので、すぐ近所の24時間やってる弁当屋で焼肉弁当を買い

部屋で平らげた。温めが弱くなってしまい、量も少し足りなかったが

そんなことは何の問題でも無かった

 

先ほどから何度か鼻歌程度に口ずさんでいる斉藤和義の話をしてくれた

「メトロに乗って」という歌があって。東京をデートで回る歌だと教わった

それが何だかとても僕らにハマっているという

僕もすぐに聞かせてもらい、とてもほっこりとして気に入った曲だった

僕らは暖房も入れないまま明け方ようやく眠りについた

 

短い睡眠時間で目が覚めてしまい、幸せな朝を迎えた。

東京滞在のタイムリミットはまだあるのにカウントダウンを気にしてしまっていた

布団の中、相手の体温を感じながらウトウトダラダラ時間を貪る行為は至福だった

今朝の予定は決まっているので身支度を整えて、まずは腹ごしらえ

日曜日の新宿南口。昼前だけどやはり人は多い

少し放浪したがルミネでオムライスの店に入った

結構早食いを自負していたが熱々のハンバーグオムドリアに苦戦して

ゆっくり食べましたという相方に負けていた

 

小田急で登戸駅へ向かう。知らない初めての街並み

所狭しとひしめく住宅街

隣は寝不足にさせたせいで船を漕いでいた

多摩川を越える。河原の少年野球が

日曜日のお手本のように行われている

それはもう連綿と何十年も続く景色の一部で

春みたいな今日の陽気なら散歩にピッタリのコースだと思った

 

登戸駅はどこもかしこもドラえもんで溢れていた

ホームの駅名の表示も、電車の到着のチャイムもドラえもん

コインロッカーに荷物を預けて

直通のバスに乗る。ここにはエスパー魔美やキテレツ大百科も散りばめられている

程なくして到着したのは藤子不二雄ミュージアム

二十日ほど前にネットでチケット予約してずっとウキウキしていた

 

1階は藤子不二雄Fのドラえもんへの取り組みとその資料が展示されていた

思い入れとか、奮闘がたくさんあって、なんだか涙が滲んだ

読み込むのにほぼ1時間を要した

ようやく2階に上がると先生のSF作品のコーナーがあった

マイナーでよく知らない作品がたくさん並ぶ

その奥に噂で聞いていた「綺麗なジャイアン」が待っていた

外のテラスのようなところ行列に並んで順番を待つ

持ってきていた自撮り棒のリモコンの調子が悪くて

結局普通の自撮りになってしまったがジャイアンを挟んだツーショットは

なかなかよく撮れていた

展示が終わりミニシアターで映画を見た後は裏庭でピースケやどこでもドアと撮影

頼まれていた限定のどら焼きも買うことができた

 

ほっこりとした気持ちのまま都内へ戻り秋葉原へ向かう

小腹が空いて、喧騒から外れた場所にあるココスで腹を満たす

次は2つ目の目的。ジムで合同トレーニング

どこにでもあるジムで、実は登戸の駅前にもあったのだが

よく行く店舗で設備のことも割っているこの店舗を選んだそうな。

1階と地下の2フロア。日曜のせいか人は多い

まだ僕一人ではやっていない、ペンチプレスのやり方を教わった

それ以外にはいつものマシンやアブローラーにも挑戦した

ジムに来てた人の中でも相方は一際大きく素敵な存在感を醸していた

 

ジムの汗を流すのは両国と決めていた。国技館のすぐそばの「江戸遊」

ちょっと値段は張るけど綺麗だしいいサウナだった

外気浴の場所もたくさん椅子が用意され結構混んでいたように思う

相方のいつもの場所に僕がいることが不思議なんだと言っていた

 

少し歩こうと、夜の東京を二人で。

蔵前橋を渡る時、ちょうど綺麗にスカイツリーが見えていた

春の心地の陽気が続いていて湯冷めしない程度に暖かい夜だった

勢いに任せて雷門まで行き、夜中でもやってる浅草寺のおみくじを引いた

「凶」だった。だけど何だか今は最強な気がして全く嫌な気にならなかった

 

最終日、10時のチェックアウトギリギリまで居た

人目を忍んで接触できるのはこれが最後とばかりに

僕は動物園のパンダがタイヤで遊ぶように

相方にしがみついて腕の中いっぱいの彼を抱擁した

 

天気予報で言ってた通りの雨の月曜日だった

昨日よりやはり気温も低い

駅前の100均の店で揃いのビニール傘を買う

 

すぐそばの鬼子母神へ参拝。まだ朝早いので

御朱印はいただけなかった。でも僕は

「恐れ入谷の鬼子母神」という言葉を知っていたが

実在するとは知らなかったので、とても嬉しかった

 

谷中。テレビではよくロケをしているのを見かける

谷中銀座。みんなが記念撮影している

商店街の入り口でパチリ。でもこちらも早い時間のせいで

開いてる店はまだ少なくて、通り抜けて終わってしまった

団子坂下から谷中霊園、上野桜木まで散歩

途中「愛玉子」という中華のデザートが食べられる店の

話になり、谷中霊園を下ったがコロナで持ち帰りしかやってないと

張り紙されていて断念した

少し戻ったところのケーキ屋でお茶をした

店先に二つ並んだビニール傘も愛しく寄り添って見えた

 

乗り込んだバスは不忍池に到着した

僕の背中の荷物が重そうだと相方がコインロッカーを提案してくれた

上野駅なら帰りに寄るからとロッカーに預けようとしたら

コインロッカーの手前にポツンと置かれたストリートピアノが目に入った

ロッカーにリュックを入れてピアノのところに戻ると

彼がおもむろに「メトロに乗って」を弾こうかと言って腰掛けた

ウォーミングアップのつもりで彼が奏でた曲は

駅構内に響いて、動画を撮っている僕にもよく響いた

そしたらなんだか涙が出てきた

もう一度きちんと取り直して上野を後にした

こんな経験初めてだった

 

押上を目指す。地上634メートルのスカイツリーへ。

今日の唯一の目的は財布の購入。

春の財布は縁起がいいので。僕らが新しく始まったこともあり

それを記念に財布を買いたかったので

ソラマチなら良いのが見つかるもかもと思いやってきた

まずは腹ごしらえと思ってレストランフロアを探すと

話題にしてた、もんじゃがあった

1も2もなくもんじゃ焼きの店に並んだ

値段は少々高いと思った、高いのに腹が膨れない

でも、慣れた手つきで彼に焼いてもらって食べたもんじゃはやはり美味かった

そうそうソラマチに財布はなかったのだった

 

浅草仲見世にはたくさん店があるしそこならばと

色々巡ってみた伝法院通りや和風の小物店など

どうも女性向きの財布が多く見られた

結局のところ、アメ横なら確実にあるということで

再びの上野駅

 

アメ横に向かう前に昭和が色濃く残る上野地下街も少しだけのぞいた

僕の若い頃の天王寺を思い出す感覚だった

彼が多慶屋を思い出したと言ってアメ横を通り過ぎて

案内してくれた。幼い頃、ファミコンのカセットはいつもここで買っていたと

エピソードも話してくれた

紳士服のフロアに全く高くはない合皮のお財布が少しだけ並んでいた

自分の希望に近い感じの財布を見つけた

でもまだ本命のアメ横を見てないからそっちも見てみようと提案してくれて

僕らは今きた道を戻った

 

何十年ぶりかに来たアメ横は時間が止まっていた

三宮のガード下に似て、店がいくつも連なっている

皮の店が多くて見応えがあるのだが、如何せんお値段が張る

それで結局大して財布も見ないうちにアメ横を1周して終わってしまった

いよいよ、多慶屋かと思ったその時

彼が閃いたように「あと1軒だけ付き合って」と

メイン通りを外れた路地に案内してくれた

「WOOD CRAFT GOODS」というお店

入り口のショーケースにはいかついパイソンの財布やら

クロコの頭の部分が使われているカバンが飾ってある

。。。入りずらい。でもそのショーケースの裏に店内の陳列で財布らしきものが

チラッと見えていて「あれ財布かもよ」と相方に言って

僕らは足を踏み入れた。おかみさんらしき女性が声をかけて来てくれた

僕は見えていたものはキーケースだったので少し小さかった

残念と振り返り、店内の奥を見たらガラスケースにびっしりと革製品が並んでいた

歩みを進めると「どんな感じかわかれば」と女性がまた声をかける

なんだかやはり高そうと思い気の無い返事をしていたら

ショーケースの隅にちょっと変わった色味の財布を見つけた

それはダメージ加工が既に施された財布だと言っていた

19000円の2割引でこれくらいよと女性が電卓を弾いた

え、2割引?女性はこっちの加工してないやつはもう少し安いと

勝手に隣の財布を取って袋から出して僕に見せてくれた

これは16000円の2割引。なるほど

「でも小銭入れを別で持ってるので小銭入れの部分が入らないんですよね」

じゃあと女性がまた探してくれた

こっちは小銭入れのないタイプ。とのこと13000円の2割引

やはり革製品だし1万以上は当たり前ですよねえと

ダメ元で喉につっかえていた言葉を発してみた

「あのー、ちなみに1万円切るのとかあるんですか?」

あるよ!と女性はショーケースの奥をまさぐってくれたが

在庫管理があまり分かってなくて、僕の肩越しに

真後ろに座っていた店主に声をかけて聞いた

僕は店主の存在に気づいてなくてギョッとしたが

デニムのエプロンにニット帽が似合ういい店主だった

この辺かなと教えに来てくれた店主。

それはさっき見せたわよ、嗜める女将。

これそうやろ、と別のを取り出した店主

女将が受け取ると。そうそうこれこれ

これ7000円。それの2割引!

え!と驚く僕ら。でも在庫は最後の1個だという出来れば

二人でお揃いがいいなと思っていたのでちょっと落胆してたら

まだ棚を漁っていた店主がこっちの方が安いと

別の財布を見せてくれた、これなら6000円。そしてまたまた2割引

以前に作ったものだから安いんだと言ってた

そしてこれが3個の在庫。おお!喜んだら

店主が、これちょっとここの色がハゲてると言い出した

あら、それも味ってことかなと思おうとしてた

というかこの時点で値段、在庫数、小銭入れ無しの二つ折りと

条件が揃ったので買うと決めてたのに

店主がすぐ塗るからと後ろの店主の作業場へ移動。

と言っても1歩だけ進んだところ。そこで何か始めた

どうやら何か靴墨のようなものを塗って綺麗に元通り仕上げてくれた

もう完落ちでしたね。これ買います

 

二人それぞれお支払い。糸も手縫いしてて

もし切れたら無料で直してあげると言ってくれて

「足元悪いのにありがとうね」と労いまでくれて

今日の財布探す放浪の旅が全て報われた瞬間でした

店を出て、相方の持つ店主が塗り直した財布を取り上げる

そして僕のもう一つを渡す。そして僕は言う

「これをあげるから、それをちょうだい」

財布は人に買ってもらう方が良いのだと聞いたので

お互いのを買ってあげたと言うことで交換しました

戦利品を手にスタバでお茶して

 

とても良いことがあったので二人は饒舌に話しました

成田へ向かう時間が迫り、再びスカイライナーへ

帰りは、行きの時に出来なかったので脱いだダウンを抱えて

その下でずっと手を握っていました

帰らなくて良いのなら。

同じ空は繋がっているけど、スカイツリーの見えるこの空の下で

この人と過ごせていけたら良いのになあと

そんなことを考えながら空港へ向かいました

成田の国内線は人が極端に少ないので

通路やエスカレータでも大胆にキスをせがんで別れを惜しみました

 

次の約束はまだないけど、離れた時からもう会いたい

そう思える恋がまた始まりました

やんごとなき日

 

すばらしい1年のスタート

 

まさに春が来た

 

さあ50代も息災でよろしく

 

4年半越しの無二の友が

 

ピになってくれた(ふいに僕から告白)

 

七福神の宝船を手に入れた心地

 

これからよろしくお願いします

 

このご縁に感謝

友達カップルと忘年会を兼ねて会おうということになりました

そんで僕の提案で香川うどん屋ハシゴツアーをすることになりました

 

当日待ち合わせの駅に到着

車で迎えにきてもらい高速で淡路島を縦断して

四国へ上陸。ほぼ4時間の道程

車中はしばらく会っていなかった

僕の最近のあれやこれや。

もう最初からトップギアで話題を独占しておりました

 

とまあ今回の話題はそこじゃなくて。

 

 

やってきました、香川県!(シュタッ!)

なんか二人がリサーチしてくれたのと

以前にも

同じことをしたことがある二人で

そんでもって最初の店に選んだのは

「なかむら』というお店

イメージ通りの製麺所って感じでしたね

こういう場合は、かけうどん(小)ばかりを食べて

出汁やうどんを食べ比べるのがセオリーでしょ

なのに、平日限定だからと肉うどん(小)を注文

そして人生で初めてみた、高野豆腐の天ぷら

これは!と思いついつい皿に取ってしまいました

まあ最初ですからね、余裕で完食

感想は稚拙ですが美味かったw

 

高野豆腐の天ぷらは帰宅して後日また自炊しました^^

外はさっくり、中はジューシーで初めての経験w

 

2軒目はそこから徒歩でも行けるとこにあります

「セルフうどん、おかだ」

ここではぶっかけうどん(小)を注文

さっきより出汁が濃いねえなんて

グルメぶって講釈垂れてたら、友達から同じものを食べないと比べられないでしょ

そう突っ込まれました。その通りだと思いますw

 

んで3軒目ここも近い

「よしや」ここは情熱大陸で紹介されたとか

僕は全く知らないけど。カレーしっぽくうどんに後髪引かれながらも

ここはちゃんとかけうどん、温玉のせ。

こういうシンプルな月見うどん的なの食べるの久しぶりだったかも

ただ印象としては一番薄いものになった

 

それは4軒目に行った「うどんバカ一代」のせい

調べてみると香川県のランキングで1位を獲得とか。

この店の「釜バターうどん」なるものが大人気だという

先ほどまでは丸亀市。ここからは高松市

到着したのは2時過ぎにもかかわらず店の中は満席状態

うどん屋は回転が早いのでそんなに待ちませんでしたが

御多分に洩れず、ここは3人のおかまが「釜バターうどん(小)」を頼んだ

でも来る人来る人、釜バターって言ってた

店内には至る所に芸能人のサインがあってよほど有名なんだろうと思わせてくれる

茹でたうどんに、バター、粗挽き胡椒、生卵、だし醤油。

シンプルだけど食べやすく、味もカルボナーラのようで食べやすい

目から鱗の料理だった。これは家でも真似できる

本当それくらい簡単。でも店は大繁盛。みんななんで家でやらないのか不思議

 

さて、流石に4杯もうどんを食べたのでちょっと休憩

夕飯のうどん屋へ行く前にスパ銭で一息

少し雨も降ってきて、露天でじっくり話し込んだ

 

 

お腹もこなれた所で、最後の5軒目は

僕のおすすめの「うどん山田家」さんへ

ここは以前にも2回も来てるところ。友達にぜひ紹介したくて連れてきました

なんと言っても、店構え、そしてお庭を眺めながら食事ができて

それでいてリーズナブル♪言うことなしです

少し前には出川さんの充電バイクでも訪れていました

たっぷりうどん県を堪能して帰路に着いた

そんな年の暮れでした。

二人とも少し早めの誕生日プレゼントも用意してくれてて

ノースフェイスの可愛いアウターをもらいました

本当ありがとう

今年もお世話になりました

いい忘年会だったね^^来年もどうぞよろしくお願いします

令和4年の11月は僕にとって変化の月

何やらターニングポイントだったんじゃ無いかと

そう思えた1ヶ月でした

あんなことやらこんなこと

そんな言えないようなことまで

色んな初体験をすることが出来ました

今更ですが、「変わる」ためには動かないとダメなんですね

それがこの頃よくわかります

 

変わりたいと切に願ってたわけじゃ無いんですが

ちょっと動き出してみたら

あっちもこっちも連動して動き出して

結果、今は楽しいっていうことで

なんだか良い日々を送れている気がします

 

抽象的すぎますね。

まずずっとやってきたゲーム。FF14。

相方と毎晩してたんですが、まあ疎遠になり

辞めていませんがログインが減りました

そしてバイト君が勧めてくれたバイオハザード7と8

今は7をクリアして8をやっています

今流行りのポケモンも薦められましたが

何せSwitchを持ってないので出来ませんと返答

Switch買うならフィットネスのやつ買って痩せたいよ

なんて冗談で話していました

 

さてここんところ毎年、誕生日に健康診断を受けてきました

12月16日はもうすぐそこまで来ています

あまり白米を食べずに豆腐に変えてきた食生活ですが

休みの日に暴食するのであまり効果は上がってませんでした

 

そして。。。

一念発起。

なんとこの僕がジムに入会してしまいました

続くかわかりません。トレの方法も友達に聞きながらも

ほぼ自己流。それでも運動ゼロだったことを思えば良いのかなと

励むことにしました

 

相方にはあんなにジム行けジム行けと言われてたのに

別れてから行くというなんと天邪鬼な。。

 

ちなみに叶う叶わないは置いといて

目指すはプロレスラーみたいな感じ

 

そんなこと言ってたら友達がSwitch貸してくれたw

でもジム入ったからもうフィットネスのソフトは買わないし

今はポケモン買うか、モンハンもやりたいなあと迷い中です

初めて東北を訪れた今回の旅、とうとう最後の日

皮肉なことに快晴でした

前日は日暮れてから宿に入ったので

辺りの景色が全く分かりませんでしたが

秋保温泉はすぐ間近に

磊々峡(らいらいきょう)という

見事な景観の渓谷が有ります

秋保グランドホテルはその渓谷を臨む立地のため

朝食バイキングを食べながら

渓谷に差し込む朝日に輝く景色を見ることができます

朝食はバイキングにしました

何でもありますね。至れり尽くせりです

シリアルまで置いてる

こんなところに泊まってても

「朝はシリアルなの」って人もいるんですね

僕はしっかり白いご飯を頂きました

あ、カレーも少々w

こういうのは食べすぎますよね

 

あ、もちろん朝食前に朝風呂も済ませました

露天風呂の目の前に渓谷の樹々が迫って

木漏れ日がキラキラとお湯に映えて

めっちゃ写真撮りかったw

森林浴してる気分になれた時間でした

 

ご飯を済ませ、支度してフロントに降りて

車に荷物を積んでから、磊々峡を少し散策しました

ホテルのすぐ横から遊歩道に繋がっているようです

母とあーだこーだ言いながら写真を撮りました

急峻な崖が切り立って自然の神秘に感心しました

途中にあった橋の欄干に赤蜻蛉が止まってて

気分の良い、秋の朝を堪能しました

 

次の目的地は一路、仙台。青葉城址

のはずでしたが・・・

 

ホテルを出てわずか5分。

交差点を右折して仙台市街へと行こうとしたその時

交差点の斜め前に見つけた看板

「秋保神社」の文字とその横に書かれた1200年という言葉に

僕は急ハンドルを切る

あ、かっこよく言いましたがハンドルは切っていませんね

むしろ、交差点を曲がらず真っ直ぐに進みました

道沿いには時々小さな看板もあるので迷うことなく到着

とんでもない行き当たりばったりでしたが

そこは勝負の神様で有名な神社のようでした

たくさんの祈願するための幟が靡いていました

どこかのスポーツの団体やクラブからの祈願が多いようでした

中でも特筆すべきは「羽生結弦」

羽生君を応援する幟旗がやたら有りました

確かに仙台なら地元やしなあと思ってたら

どうやら羽生君本人もコチラの神社に勝利の祈願に来られたことがあるみたいで

既にファンの聖地巡礼のような場所になっていたんですね

経済効果すごいですね

ここで僕は以前テレビの秘密のケンミンショーで見た

仙台特有の青いだるまさん「松川だるま」を売ってるのを発見しました

その可愛さに一目惚れして即買いしてしまいました

 

ようやく僕の気も済んで仙台市街へ向かいました

中心部、仙台駅も近づいてきて城址へ方向転換

どうやら右回りだと駐車場が近いみたいなのに

地震で壊れて道が通れないから左回りで向かうように

看板が出ていました

辿り着くまで知りませんでしたが

ここは東北大学のキャンパスでもあるんですね

たくさんの校舎や研究棟が並ぶ中を車道が通っていて

学生達を横目に僕は車を走らせる

ようやく見えた駐車場入り口

もぎりのおじさんが窓を開けた僕に声をかける

「今ですね、先日の地震で政宗公の銅像が壊れていまして

実物は東京に修理に持って行っててここには無いんですよ

代わりに等身大の写真が飾られてあるんですけど

それでも良いですか?」とのこと

おいおい、それなら回り道が始まるところにその旨も書いておくべきじゃ無いのか

そう思ったけど

「わかりました。良いです」と答えてしまう

だって外周をぐるりと回って結構な時間を割いたし

せっかくここまで来たのにって思いも強くて

それなのに母は僕が返答した後

「え、行くの?」と小さく呟いていた

当の僕は、もぎりのおじさんに

「500円です〜」と言われて小銭入れから500円玉を出してるところだった

駐車場横には土産物屋と護国神社があった

もう少し奥まで行くと高台から仙台市街の眺望が見えた

天気がいいのでとても清々しい

政宗公はと探し歩いたら。。有りました。

台座だけw

その前に大きな写真パネルが設てあって、そこで

政宗公の写真と一緒に写真を撮りました

滞在時間は10分少々でした

 

さ、お次は仙台駅の牛タンストリートなるところで

牛タンの有名店に行き舌鼓をと思っていたけど

母が15時すぎの飛行機を気にして

もう先に空港に向かおうということになりました

まあ、そこでも牛タンは食べられるでしょうとなりました

取り急ぎ空港側のレンタカー屋へ戻り

送迎バスに揺られて仙台空港へ

クーポンが残っていたので土産物売り場で使い切る

そして2階のレストラン街へ

街というほどたくさん店舗は無いけれど

それでも3軒あるうちのどこの店にも

牛タン定食は有りました

ちなみにどの店も有名店ではなく取り扱っているというだけのようでした

まあ、僕らもとりあえず仙台に来たからには食べておきたいというだけですから

需要と供給としては合致しているわけです

各店舗で値段は違ったので真ん中の価格帯で売ってる蕎麦屋に入りました

入り口のサンプルからすると値段が可愛く無い割に

ボリュームはかわいいじ感じだったので牛タン定食と共にカツ丼も頼んでしまいました

これはもう旅のせいだと思います、明らかに食べ過ぎなのに判断力が鈍っていたのでしょうね

それでも綺麗に全部完食でした。牛タンはなんとなく硬かったです

こういうものなら仕方ないですが僕には高いものは口に合わないのかもしれません

 

さ、あれよあれよと搭乗時刻がやってきて

帰りの飛行機は予定通り飛んでくれました

ちなみに今回のピーチのフライト

運賃だけで言えば行きは5190円、帰りは3190円でした!安っ

そんな母子二人の東北道中。良い旅になりました

初日に予約していた宿から電話が来た

5時到着と言ってたのを6時に変更してもらったのに

更に遅れてその時はもう7時を回っていた

今、向かっていますと返事をして

ナビ通り車で南下する

酒田市からまた鶴岡市に入る

「海辺のお宿 一久」という

日本海に面した眺望で。海に沈む夕日は絶景

ところが到着時刻は日もとっぷり暮れた7時半

山形に入ってからの雨はいまだに降り続いている

どうも夕景日和ではなかったようだ

 

駐車場に入ると案内のおじさんが飛んできた

「お待ちしておりました」

挨拶もそこそこに玄関に通される

別の中居さんが寄って来て

「このままお食事でもよろしいですか?」

「はい、もちろんです」と答え食事処に案内される

そそくさと運ばれる料理

本来なら食べすすめながら少しずつ提供されると言ってたが

こちらの都合で遅れてしまったため一度にテーブルに食事が並んだ

海鮮を中心とした料理

母も僕も飲食系で仕事してるので

洗い場さんの後片付けのことが気になりつつ舌鼓を打った

カレイの焼き物やお刺身が美味かった

接待係の中居さんが「明日はどちらへ?」

と聞いてきた

特に予定はないんですよと答えるとぜひにと近くの水族館を勧めてくれた

それもいいねと母に話しながら僕らは部屋に帰った

 

風呂場は1階と地下にあるという

男湯は夜間は1階ということでタオル1丁ぶら下げてエレベーターを降りた

風呂場に客はいなかった

元々客室も少なめなのでかちあうことも少ないのだと思うが

風呂を堪能する間、ついに誰一人として浴場に来ることはなかった

露天と称した板張りの少し広めの木製の湯船が

スポットライトの様な照明と轟々と聞こえる海鳴りとで

旅の空の下だと思わせてくれる旅情というやつを感じた

願わくば海鳴りの聞こえない情緒も感じてみたかったが

荒れていてなかなかおっかない音が鳴り響いていた

 

部屋は既に布団が敷かれていて

考えてみたら母と寝室を共にするのなんて

何十年ぶりだろうと思いながら

長距離運転のせいもあってすぐに寝ついてしまった

 

朝。窓の外は日本海の大海原

本当に海が近い

ホテルの駐車場から回れば海岸に行って散歩なども出来るようだ。行かなかったけど。

朝風呂は昨日と入れ替わり地下。と言っても薄暗い地下階ではなかった

玄関先は地上だけど、海岸から見ればホテルは少し登ったところにある

地下の風呂場は海岸線の高さに降りるということで

こちらの露天風呂は海が正面になる

ただしそれだと海岸を通る人から丸見えになるので

海は見えないようになっている

でもこちらの方が露天の浴槽は広いのでゆったりと楽しめた

こちらも風呂に入った時は一人だけ客がいたがその人が出てしまってからは

誰もやってこなかったのでゆったり湯野浜温泉を楽しんだ

 

着替えて荷物を持って朝食へ向かう

ご飯泥棒なおかずがたくさん散りばめられていて

ついついご飯をおかわりしてしまった

朝から贅沢だと母は言っていた

昨日の中居さんが来たので教えてもらった水族館に言ってみようと思いますと告げた

嬉しそうにしていた

これはノープランの醍醐味かもしれない

基本、行きたいところの目星はつけるがご飯とか店まではそんなに調べないで

近くでようやく調べたりするのが僕のスタイルだ

 

丁重に丁重にお見送りを頂き、一路

「加茂水族館」へ

意外とあっさり到着よほど近かったのだろう

中居さんも言ってたんだがここは海月(クラゲ)に特化した水族館

これがまた良かった

そうそう、旅館でもらった山形旅割クーポンも使えたので

無料?で入館できたのも有り難かった

普通の魚やカニ、アシカやアザラシもいるんだけど

後半にやってくるクラゲゾーンは一見の価値あり

何種類ものクラゲが展示されているのは癒しのオンパレード

極め付けは最後に控えている大きな丸い水槽

母の背丈の倍以上もある水槽にクラゲが犇めいていて圧巻

ここで音楽の演奏会が開かれることもあるという

まさにヒーリングスポット。結婚式も挙げられるらしい

最後はクラゲ入りのお煎餅を出口で購入。

店へのお土産。これもクーポンで買えました

 

書いてて長いなと思ってきたw

 

さて、次に目指したのは。昨夜パンフなどで見つけていた

出羽三山神社というところ

もちろん旅のお供の御朱印帳も持って来ています

酒田の方へ戻る。途中見つけた看板に惹かれて急に漬物屋に寄る

母が欲しがっていた小茄子の辛子漬けを見つけた

道を戻り、車はどんどん山の方へ近づいていく

山に向かうまっすぐな道が出てきてその道路を跨ぐように大きな鳥居が鎮座していた

ここが参道で神社への入り口だと示していた

お山が御神体なのか修験道の修行の場所でもあるようだ

出羽三山とは。月山(がっさん)、湯殿山、羽黒山。この三つの山を言う

それぞれ登山すれば頂上付近にそれぞれを祀った神社があるようだが

こちらはその入り口で登山できない人にもご利益が頂ける場所になっているのだと思う

 

まずは入り口付近に駐車して。山門のようなところを潜ると

いきなり谷底へ向かう深い深い長い石段があった

那智大社を思わせるような苔むして湿気の多い

熊野古道のような石段。帰りに登ることを考えたくないほど深くて急だった

底に降り立つと小さなお社がいくつも並んでいる

奥からは滝があるのだろう爆音が反響している

木々の合間から見え隠れするように滝が現れた

小さめの石橋を渡ると滝壺の方へ行けるになっている

マイナスイオンがビンビン来ていた

さらに順路を進むと立ち並ぶ杉の奥に

聳える五重塔があった。木造でとても古い建築物

その時代にどうやってここに健在を運び建立したのか

とても大変だったろうということだけは想像できる

 

さあて行きは良い良い帰りは怖い

見上げても山門はギリ見えない高さ。そこをえっちら上りまして

まずは山門前の茶屋でお蕎麦を啜る。

僕が頼んだ羽黒蕎麦はお餅が入っていましたよ

そしてそこで終わりと思っていたんですが

どうやら回り込んで車で頂上に行けるんだと分かりました

そこにあったのが出羽三山神社本堂でした

大きなお社でこの地方での力の凄さが伝わりました

ご立派な見開きの御朱印も頂戴できました

そして忘れていたのですが、駐車場への道すがら

雨が降り出しました。そうです、僕らが滝を見に行った頃から

こちらで御朱印を頂く間だけ雨が止んでいたのです

車に戻ったら本降りになって来てしまって

本当に良かったよねと母と話して麓へ戻りました

あの鳥居が見える少し手前で雨が一瞬で止んで次は日が差し始めました

すると母が東側を指差し、「大きな虹」と言いました

本当に大きくて虹の端から端まで見えていたので急いで車を停めて

母に立たせて写真を撮りました。

母はおじいちゃんが、僕らが山形に来たことを喜んでくれてるんやろうと

感じ入ってました。僕もちょっぴりそうかもと思いました

 

さて夕方になる前に今夜の宿へ行かなくてはなりません

宮城県。秋保温泉。ナビだと2時間ちょっと

昨日来た道を今日は逆走。ひた走る

こちらもまた到着前に日が暮れて

仙台市内だというのにとても山奥のような車窓が出てきて

少し怖気付きました。これ合ってるの?と思ったほどです

ダム湖をぐるりと回って山を登り峠を下ったところに

秋保温泉郷は有りました。突然現れる感じは有馬温泉に似ていました

今日のお宿はわざと大きめの所を選びました

「秋保グランドホテル」修学旅行生たちもくるような大きい所です

夕飯はバイキングのところを敢えて部屋食にしてもらいました

それも食事処で畳なのにテーブルで食べるスタイル

広めの和室に母と二人。接待係のおばさんは他の部屋も受け持っているのか

あまりやってこないので、離れたところに置いてあるお櫃に歩いて行き

自分でご飯をよそいました。こちらはお肉の陶板焼きも付いて

豪華に満腹満足になりました

こちらでも宮城宿泊割キャンペーンのクーポンを二人分。計六千円分もらいました

こんなに使い切れるかなあ。いつもは買わない人にまでお土産を買いそうねと言っていた母

 

本館と新館。二つある浴場をどちらも堪能した僕

母と売店で合流。

風呂場に置いてあったお試し用のピーリングジェルが気に入ったらしい

ここに置いてるみたいなんよと、探してみたら有りました2700円w

僕もまたお土産を一つ買ったので、一気に4000円のクーポンが消えました

6000円なんて右から左ですねw

ここのお部屋は和室なんやけどお部屋の奥にベッドが二つ設られていて

硬めのベッドだったけどとても寝心地良く睡眠が取れました

これで2日目が更けましたとさ。

ここまで読んでくれた人、ありがとう

ことの始まりは、母がテレビを見ていて山形県が映るといつも口癖のように言ってた

「おじいちゃんが(母にとっては父親、以後 武則と呼ぶ)山形の朝日村出身でねえ

私はそこを見たことがないから一度で良いから行ってみたいんよ」

まあいつか叶えられたとは思ってたけどなかなか実行できずにいたんですが

今回思い切って行ってみることに。

調べてみたら、ピーチで仙台まで3000円とか5000円とかでいけそうで

レンタカーで東北を横断して山形に入ればさほどお金もかからずにいけそうだと分かりました

 

予約したのは8月でしたが運よく地域割とクーポンが始まって対象にしてもらえたので

予約した旅館も安く泊まれることになりました

 

さて、Xdayは10月17日

飛行機は9時過ぎの出発で母と二人、関空第2ターミナルへ到着

1時間と少しで初めての仙台空港に着いた

とりあえず一旦外に出て写真撮ってから空港併設のレンタカー屋さんへ

そこで渡されたのはVits。慣れないカーナビを触りつつ行き先を設定

「山形県あさひ」と検索すると、あさひ町というのが出て

そこの役場に行き、武則の戸籍にある住所(昔の住所)の今の住所を教えてもらおうという

企みです

 

東北道から山形道をひた走る。蔵王、月山、湯殿山と聞き馴染みのある山々が

車窓に映る(実際はどれが何山か全くわからない)

ナビ通り寒河江(さがえ)という町で降りてさらに走る

大江町という小さな町の小さな道の駅で名物らしきそばを啜った

焼いたお餅が入っていたのが特徴であろう

腹ごしらえが終わって目的の役場まではそう遠くなかった

役場直前には、あさひの道の駅があり、なんならこっちで食べた方が思い入れがあったのにと少し後悔もした

道路の左側、丘の上にはあさひ中学校、もしやここに通ったのではと母と興奮しながら話した

道を下り、右に大きくカーブして少し行った左に目指す役場はあった

 

「すみません」

「はい」近くにいた女の人が対応してくれる

「あのう、僕達、和歌山から来たんですけど、なんというか僕のお爺さんが山形出身で

ここの住所に昔住んでたみたいなんですけど。(僕は戸籍謄本のコピーを見せる)

ここの今の住所を教えてもらって、そこに行きたいと思ってるんです」

「はあ、少々お待ちください」

若目の女性は少し離れた席の男性に声をかけ連れてきた

目の前に座ったのはいかにも役所勤めという感じの色白の細身の男性

僕らが来た趣旨を再度説明すると

「こちら同じ山形県でも群が違うんですよと、僕らを宥めるように説明してくれた

今いるここは『なんとか群あさひ町』戸籍に載っている『朝日村』は今は鶴岡市というところになっています」

とのこと。要するにここではないよと教えてくれて

更に鶴岡市の役場の電話番号をメモして渡してくれた

”ここじゃなかった!!!”

ということで早速車に戻り、検索し直したら鶴岡市はそこからまだ40数キロ先でしたw

揚々とやってきた道をやれ急げと走る

途中感慨深くみていた中学校も道の駅もなんの縁もない場所っだったことに鼻白みながら。。

 

夕暮れが近い。月山を過ぎたあたりから降り出していた雨脚が次第に強くなってきた

鶴岡市は雨雲もせいもあって少し暗い陰鬱な色をしていた

市役所で同じことを尋ねた。

今度は年配の女性が教えてくれる。

この住所は今も健在ということ、「六針」とあるが何かの間違いで

「大針」であるいうこと。

大針仲屋敷。そこを目指して車は田園地帯を走った

両脇の山々が更に迫ってきて山間の谷間の集落なのだとわかった

役所からはそう遠くなく一本道で大針に到着した

 

冷たい雨がしのつく中、集落をゆっくり車で流す

道沿いに見えていた川に橋がかかり対岸へ行けるようになっていた

渡った先に見えたのは「ナンバ建設」の文字

母の旧姓は「難波」だった

「え!ナンバって書いてる」二人は興奮気味に周辺を見回す

人気のない民家がポツンポツンと立っている

少し戻って道端に停車していると乗用車がやってきて少し先の車庫に車を停めた

僕は降車してその車に近づいていった

車から降りてきたのは高齢の女性だった。第一町人発見の瞬間である

「こんにちは。少し道を尋ねて良いですか?」と僕

「道ぃ?」と言いながらおばあさんは歩み寄ってきてくれた

「昔。僕のお爺さんがこの辺りに住んでまして・・」と役場での説明を繰り返した

「仲屋敷ねえ、私のところは仲村だからもうちょっと戻ったあの青い屋根の家の辺りかなあ」

と親切にざっくり教えてくれた。

道を戻ってみるとその先にこれもまた「理容ナンバ」というのを見つけた

あいにくの月曜日で定休日のようだが、僕はその家の呼び鈴を押した

二度、三度押してみたが壊れているのか鳴っている気配はなく玄関に人影も現れなかった

その家の表札には住所があり「大針小松川」となっていた

少し進むだけで細かく集落が変わるようだった

更にその数件手前に小さなガソリンスタンドがあり

給油の車を送り出したお兄さんを見つけた

そこにも聞き込み。どうやら若過ぎて全くわからんという感じ

通りを挟んだお向かいの雑貨屋に僕を誘ってくれた

60代くらいの女性が出てきてくれて少し親身に話を聞いてくれたがやはり「武則」のことはわからなかった

「私はここの生まれじゃないからねえ。床屋の隣の家に聞いてみたらどう?」と言われ

また理容ナンバまで戻り右隣の家のベルを押した

70代くらいの元気なお爺さんが応対してくれた「難波武則」を探しているというと

「隣の床屋は聞いたかい?」と言われ

「ピンポンを押したけど誰も出てこなくて」返事すると

お爺さんは玄関のつっかけをサッと履いて隣の家に向かった

「いるかい?」声かけが先か玄関を開けるのが先か

その引き戸は難なく開いた。お爺さんはそのまま玄関を上がり

奥の襖を開け住人に僕のことを話してくれている

「どこどこの爺さんは90だけど耳が遠いから話が聞こえないべ」

などと言っているのが薄暗い玄関先まで漏れ聞こえてきていた

ややあってお爺さんは玄関を出てきた川の方をおもむろに指差すと

「この下によお、『難波』って家が2軒並んであるのよ。片方が本家なんだけど、そこで聞いてみいや」と言った

「そうですかありがとうございます。この辺は難波さんって多いんですか?」と頭を上げながら聞くと

「ここらは難波多いのよ」と笑って答えてくれた

その時点で僕はここは確かに僕のルーツの場所だと確信していた

 

県道を川に向かって少し降りたところに並んで立つ2軒の家

どちらが本家か分からなかったが僕は比較的玄関が開放的な右の家を選択して

声をかけた

玄関先の表札には7人ほどの名前が並びおそらく孫であろう今時の名前がしんがりに名を連ねていた

「御免ください」暗い土間で呼ぶと左からお爺さんが顔を出した

「道をお尋ねしたくて。少しいいですか」と聞くと

お爺さんは寄ってきてくれて

「どこの道かね」と僕の目の前に腰を下ろした

実は先ほどの表札。その住所は仲屋敷になっていた

少し雨に濡れてしまった武則の戸籍謄本のコピー。それを渡して説明した

「この辺に僕のお爺さんが住んでいたんですが、もう家は無いんです。でもここは仲屋敷ですよね?

この住所も仲屋敷なんです。この番地がどの辺りなのか分かりませんか?」

お爺さんは考えながら記憶を探ってるようだったがやはり分からないようだった

隣の家には90のお婆さんがいるというがコロナだし会わせられないという

ちなみにその難波さんは聞いたら昭和16年生まれ。僕の父が18年生まれなので

明治41年生まれの武則のことは知らなかった。生きていれば114歳。

幼馴染や同級生たちも死に絶えるほど歳月は経ってしまっている

僕は礼を述べて難波家を後にした

 

もしかしたら遠い親戚かもしれないその難波さんと話せてなんだか嬉しかった

山間の夕暮れは早い。どんどん暗くなって来て、雨もまだ続いている

母を車から下ろし、おそらくここだろうと話しながら、集落の何にもないところで記念の写真を撮った

母も僕も気が済んだという感じで大針集落を出た

 

次の目的地は酒田市。毎年さつまいもが取れたと送ってくれる佐藤さん家に向かった

その道すがら、母は母が知ってる武則の生い立ちを語ってくれた

実は武則は10歳の時に朝日村を飛び出していたのであった

武則の父、重次郎は後妻をもらう。そして先妻の子であった3人兄弟のうち

なぜか一番下の弟だけを夫婦は可愛がった。武則と真ん中の妹はほったらかしのようだった

それである日、武則は思い立って郷を出た。

大正時代。あんな農村では当時もさほど整備された道はついてなかったろうと思われる

そこを武則少年は50キロも歩いて酒田という町にある山形の1級河川、最上川に着いた。

当時は川に橋がかかっておらず、渡し船が主流だった

渡船に乗ろうとしたが、武則少年はお金を持っていなかった

そこにたまたま居合わせたのが佐藤家の大お婆さん。

事情を聞き、武則少年を自宅に連れ帰り、そのまま彼をその家で育ててくれたのでした

この人との出会いが無く、彼がどこかでのたれ死んでいたら

母も僕もこの世には存在していなかったというほどの恩人です

 

そんな佐藤家に向かいました。親戚では無いけど家族同然の佐藤家

今いるお婆さんは86歳。武則は10代をここで過ごし漁師の仕事を覚え

どういう経緯か知らないが北海道に渡り、オホーツクで漁師をして

僕のお婆ちゃんと知り合ったのだそうです

このお婆さんも平成6年に武則が亡くなった時には北海道まで駆けつけてくれて

うちの母ともその時以来の対面で大層喜んで二人は話していました

お婆さんのキツイ山形訛りが少し分からなかったのはご愛嬌

 

そんな東北の旅1日目。観光というよりルーツの旅がメインだったので

雨降りでしたが人生でとても有意義な時間を過ごせたと思いました

 

もう九月になってしまいました

今のところまだ暑いです

もちろんコロナも健在です

そういえば七月に安倍元総理が射殺されてしまいました

そんな殺伐とした令和4年

 

私事といえば11年ぶりのシングルになりました

元相方とは円満というか

今後も家族と思って

過ごしていくということになりました。チャンチャン♪

 

ストレスでよく食べるので一時期81キロまで

下がった体重が86キロまで猛リバウンド中

 

すきぴがいるのでその人と一緒になりたいと切に願いましたが

やはり僕が都合良すぎるなあとも思うし

前回と同じく遠距離なので

同じ境遇が続いてなんか

たくさん我慢したりさせたりがあると思うと

踏み出せない自分がいて

とてもとてもズルい僕は

今のまんまのゆるくて心地よい状態を

続けてもらうことにしたんだよね

 

だから恋人作らない!ってのも違うし

遊びまくる!ってのも違って

自然体で、すきぴともデート出来たらするし

でもフリーだからタイミング合えば他の人とも遊ぶし

ってそれくらいのスタンスでいようと

その感じで50代を過ごそうと思った九月です