最上 キョーコ、二十歳。

芸能プロダクションLMEのラブミー部所属のタレントで、ありがたいことに女優として役者のお仕事もさせてもらっている。


そんな、私は現在、とあるドラマの打ち上げに参加中。
ちくちくとしくしくと、自分勝手なすっきりしない胸の内を抱えながら。
目の前のグラスに注がれるアルコールをただ摂取している。


視界の端に、人の視線を絡めとってやまないあの人を収めながら。


このドラマの主演男優である彼。
柔らかくあたたかな眼差しで形の良い唇に小さく笑みを浮かべながら、ウィスキーなのかブランデーなのか、アルコールを覚えはじめたばかりの私にはよくわからない琥珀色を片手のグラスに満たして傾けている。
そんな彼の広い肩から完璧な比率で形作られた腕に寄り添うような女優。
彼の、ドラマの主演男優の相手役。
ヒロインの綺麗にセットされた長い髪、豊かな胸元、女性らしい腰までのライン、彼の膝の上に置かれた白くて華奢な手とそれを飾る淡い色合いのネイル。
そんなすべてが、私の思考と胸の奥をぐるぐるとさせる。


気が付いた時には、目の前に置かれているのは最初にオーダーした甘くて軽いカクテルから、未だに美味しさのよくわからない苦い麦の味に変わっていた。


あまり飲みなれない強い炭酸の刺激と苦味が、のどに痛い。そして、ますます深く重くなるこの薄い胸を苛む不快感に、じわっと視界に滲む幕が張られる。



「京子ちゃん、顔赤くなってきたね。酔ってる?大丈夫?お水もらってこようか?」
隣に座るドラマの共演者である男が、私の顔を覗き込む。
「大丈夫ですよ!まだ、ちょっと飲みたいんです。」
と、カラ元気に答えれば、その男が残り少なくなったグラスに麦色を注いで満たしてくれた。
「じゃ、俺とこのあと抜けてもう一軒行く?」
そんな誘いをかけてくる。
この場から連れ出してくれる。そんな誘いに、酩酊した頭が考える。
あぁ、ここからいなくなれば、もうこれ以上彼を、彼と横の彼女を見ないですむのか………と。


私は、限界が近いんじゃないかと恐怖している。
外された鍵、殺してしまいこんだはずが湧き出でるあの感情、いつもいつも向かう目線。
彼には、彼だけには気付かれてはいけない。
この想いは、自覚したその瞬間には終着が決まってしまっているだから。
彼の隣にいれるただひとつの私のポジション、『後輩』から外れてしまう。
それだけは、だめ。
なのに、カインとセツカとして過ごした濃密な時間の後遺症でより一層に私を庇護し守護しようとする。
その一方で、前々からお子様扱いでからかわれてきたあのまわりくどい言い回しと時折覗かせる夜の気配、それがひどくなった。
執着されているかのように。
そんなことはありえもしないのに。
そんな勘違いが、より一層と私を懊悩とさせる。


きっと、彼も限界が近いのかもしれない。
大切な人は作れない。と、辛そうな顔をして、それでもその胸の内にただただひとりのひとを想っている彼。きっと彼女に伝えられない想いのひとはしを無意識に私に向けているのだろう。
私と、同じ年頃で同じキョーコの響きの名前を持つ彼女と重ねて。
そう、彼が本当に大切にしたいと想っている彼女は私では、ない。



「じゃ、行こう?俺、いい店知ってるんだ。」
ひとりうつうつと思考を巡らせている私の腕を男が掴む。
はっきりと承諾していない私を少し強引に連れだそうとする。
これ以上、彼を、隣の女に笑いかける彼を見ていたくない私は、いつものように事務所の大先輩の教えの通りにきっぱりと拒絶できないまま。少し、ぼぅっとしている。
視界にかかっていた幕が分厚くなる。酔いで油断して緩んだ涙腺からボロっと一雫零れ落ちる。
掴まれた腕に込められた力が強まる。



その時、肩にあたたかな手が置かれるのを感じた。
「大丈夫?最上さん。ちょっと飲み過ぎじゃない?」
うっとりするようなテノール。
屈められて近づく彼の胸。
私は、顔をあげることが出来ないまま。
「彼女、同じ事務所の後輩でね。まだ、お酒に慣れてないから様子を見てるように頼まれてるんだ。だから、彼女は俺が送って行くね。」
私の腕を掴んだままの男にかける、柔らかだが否を言わせない響きの、いつもより低い声。
その気配にひょっこり嬉しそうに飛び出す怨キョを感じる。
彼が怒っている。



優雅に私の腰に腕をまわす。いつものように自然な彼のエスコート。
ふわりと香る匂いに、さらに視界がぼやける。涙声を知られたくなくて声も出せずうつむいたままで店を連れ出される。


彼が向かったのはエレベーターではなく、非常階段。
ドアを開けビルの外に引っ張り出される。背中でドアが閉まると同時にそのドアに押し付けるように彼が私の顔の横に手をつく。
もう片手で私の顎を捉えて顔を上げさせる。
「なんで、泣いてるの………」
彼の目を見てしまいたくなくて目を伏せる。
はやく、はやく、いつもの彼の後輩の顔に戻って距離を取らないと、彼を誤魔化さないとと、そう思うのにはらはらととまらずに、頬を濡らす涙が忌々しい。
「泣かないで………」
つぶやいたかと思うと強く抱きしめられていた。
肩に彼の顔を、背中に腰に彼の両腕を、からだに押し付けられた彼の胸を、彼の香りを強く感じて………






あぁ、限界だ。
と、私は絶望する。




あなたが、好き。



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