やっと学校が始まった・・・。

娘が家にいるのは、楽しい反面、イマイチ生活のメリハリに欠けるんだよね。

あまりにダラダラしている娘に、猫トイレの洗浄をするよう言ってみた。

トイレシートは、必ず外して捨ててから洗ってね・・・と伝えたのに!!

何だ?この・・・見たことないほどパンパンに膨らんだシートは。

外さないで水かけおったな!!

めっちゃ重いし、放置しててもそんなにしぼんでいく感じもないし・・・。

面倒な作業を頼んだら、いらぬ作業がリターンされてきた、残念な結末でした。

1週間臭わない複数猫用シートの、素晴らしい吸水力を目の当たりにしたよね〜。

 

~1月の読書日記~

 

「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ)

表紙はこういうカセットテープの写真なんですね。

「Nevere Let Me Not」(わたしを離さないで)という曲が収録されたカセットテープ・・・これは語り手キャシーの思い出でもあるし、読み終えた私にとってもキャシーとの共通のキーアイテムに感じられる。

12年“介護人”をつとめたというキャシーの、随想のような形で読者は、ヘールシャムの寄宿学校にいざなわれる。

寄宿学校・・・というか、

臓器提供のためのクローンたちが、幼少期から18歳まで育てられる施設の一つなわけです。

語り手であるキャシーや、同じ年代の仲間トミーやルースといった主要登場人物、他の大勢の子供達もいずれはそういう運命をたどるのだ。

それでも子供らしい人間関係や駆け引き、嫉妬心なども描かれている。

見た目も中身もごく普通の人間なのに、何度か臓器をとられて、中年までも生きられるかどうか分からない、消耗品なのだ…そう考えると、寄宿学校的な場で、穏やかに、いかにも子供らしく過ごしている存在が、悲しく切なく感じられます。

 

キャシーは子どもの頃から、内心ではトミーが気になって仕方無かったんだと思う。

トミーは運動が得意な男の子。感情がコントロールできずに、キレやすい面があるけれども、無邪気で子供っぽい感じが女の子の母性本能をくすぐるんじゃないか?

一方、ちょっと威張りん坊で思わせぶりながら、優しいところもあるルースとは親友関係であり、ルースとトミーがカップルになっても指をくわえて見ている感じ・・・。

トミーもルースに気圧されて付き合っているけど、傍目にもキャシーに信頼と親しみを寄せているのは明らか。この三角関係は、結構大人になっても続くので、やきもきする。

 

さて、ヘールシャムでは普通の授業の他に注目の催しがいくつかあるんだ。

・交換会・・・春夏秋冬にそれぞれ1回ずつ、自分の絵や詩や、手作り作品を出品し、出来栄えに応じて交換切符が貰える。他の子の作品を買えたりもする

・販売会・・・月1回、衣料やおもちゃなどが車で運ばれて来る。交換切符で買えるが、たくさんは買えないし、よく考えると良い品もそんなに無い。外の世界と少しでも繋がれる感が、子ども達を高揚させる。

 

この狭い世界の中で、お金をかけずに所有欲や名誉欲をかきたてるシステムだなぁと思いました。

中でも、交換会の時に、“マダム”と呼ばれている婦人がやってきて、良い作品を選んで持っていくのが、象徴的でね。

マダムに選ばれることは、作品が認められた嬉しさの反面、冷ややかな彼女が何のために作品を持ち帰り、それがどんな影響をもつのか、子どもたちはそこはかとなく疑問なんです。

 

ヘールシャムでの教育(“洗脳”?)の賜物なのか、いずれ提供者になるということを甘んじて受け入れている子ども達ですが、トミーだけは例外のようで、それがうまく言葉にできず癇癪にもつながっている様子。

やがてヘールシャムを出て、コテージと呼ばれる場所で、保護官のいない生活を過ごす中で、“提供の猶予”があるかも知れないとか、自分の本体“ポシブル”に会う可能性と向き合っていく。

どこか、前向きな希望すら溢れる描写だったけど、ルースもトミーも、無慈悲な臓器提供システムに呑み込まれて・・・。

 

子ども達の方を中心に読んだ後に、ヘールシャムの保護官たちの戦いの物語として読むこともできる。

クローンという存在が、人と変わらない姿と心を持っていることに、見て見ぬふりをしてよいのか?

劣悪な環境で育てられる彼らを、もっと人道的に扱えないものか?

・・・実は、子ども達に良い作品を作るよう、一生懸命働きかけていたのは、芸術を解する魂が彼らにもあるのだと、人権団体などに訴える手段でもあった。

一時期は功を奏したものの、キャシーの回想ではヘールシャムは閉鎖となっている。

クローンによって病気が治ることに味を占めてしまった世界では、ルーシー先生やエミリ先生、マダムなどの反旗はあえなく潰されてしまう。

そして、「あなた方はそれでも恵まれているのですよ。」といったセリフや、理性では可哀想にと思っていても、クローンが怖いことを隠せないマダムの振る舞いから、決定的な乖離を感じてしまう。

淡々と静かなキャシーの語り口調が、誰を恨むというわけでもなく、余計に心に沁みる。

私を離さないで、というタイトルは、マダムの涙を誘ったキャシーの無邪気な勘違いと、自分の原点に焦がれて止まない母体回帰をも含んでいるんではないかな~?と勝手に想像してみました。

 

イギリス映画として公開されたし、三浦春馬さん、綾瀬はるかさん、水川あさみさん主演でドラマにもなりましたね。

なので、話の内容は知っていたのですが、文章で読むとまた格別です。

翻訳の力!!

 

 

(著/池上彰)

タイトルへの答えは、端的に言えば「不条理な時代を生きていく上で常に必要な力だから」

世の中は正しく理解するべき文章に溢れている。

仕事でも、コミュニケーションでも・・・情報発信があまりにも爆増したために、何だか誤解が横行しているような印象がある今日この頃・・・自分の読解力にも、まるで自信が無くなって、手に取ってみた1冊です。

池上彰さんは記者や、ニュース解説、大学講師といった様々な“伝えるプロ”の顔を持つだけに、とても勉強になりました。

 

UNHCR国連難民高等弁務官事務所(長い!)の緒方貞子さんの例を挙げて「本質を読み解く力」の大切さを説いています。

お役所仕事的に、文面通りにやっていては、今困っている難民を救えないことから、UNHCRの定義そのものを変えたんですって。

人命にかかわることも、文章一つで切られてしまう怖さと、それを転換できる能力をもった人物が今後ますます必要だと感じました。

 

しかし!日本人の読解力が落ちている!?という衝撃の調査があるそうですよ。

PISA調査(国際的な学習到達度調査)で、日本の15歳の読解力の順位が過去最低になった!?と騒がれたことがありました。

でも、著者が言うには、全数調査でなく一部取り出しの調査で、誤差を考えると急落って騒ぐほどではないとか。

報道の仕方にすら、むしろ読解力の低さが表れているという皮肉・・・。

 

とはいえ、読解力の低下は心配なところ。

スマホやlineの多用は、短い文章でスピーディーに処理していく感じがする。

それに、興味深い所ではパソコンの有無に学力の差が出るという・・。

確かに、キーボードで大きな画面に打つのと、スマホの小さな画面に打つのと、頭で考えてからの処理スピードが、感覚的にも違う気がするんですよね。

また、これも危惧すべき点ですが、教育の場でも既に、出題者の意図を忖度させるように導いている??

受験塾での指導で、確かにそういうテクニックはあるよね。

自分も、本こそたくさん読んでいるものの、読解力に自信が無くて・・・でも、少なくとも小説、物語、随筆といったものに於いては、感じる心を大事にしていきたいし、難解で分からなければ、色んな人の解釈を読んで学ばせてもらっている。

著者曰く、そうした「情緒的読解力」と、「論理的読解力」とに分けて考えつつ、どちらも大切だということ。

私も娘も数学がまるでダメで、「でも、数学なんて大人になっても使わないし、いいか〜」と放ってきたのですが、大学生や社会人になってから「論理的な話し合いができない」という弊害になって表れてきてるんだって!

もう、人類が賢くなるのって選抜制なの!?

 

読解力を上げるには、どうしたら良いか、具体的ですぐにでも実践できる方法がたくさん載っています。

中でも意外だったのは、推理小説を読むこと。

無関係と思えた行動が伏線になるのは、読解力に繋がるんですって。

私は、こんないい人・普通の人が犯人なんてありえないと、最初から除外するクセがあるから(笑)、行動に注目して読んでみようと思いました。

読解力とアウトプットする力。それは、確実に自分に無い力だと、改めて分かってショックですが、何とか伸ばしていきたいと思うのです。

 

 

 

(著/池田清彦)

何という、挑戦的なタイトル!

あまりに面白いし、こんなこと言っていいの!?という過激な論でもあって、一気に読んでしまいました。

マスク警察とか、自粛警察?とか、良くも悪くも日本人らしさが浮き彫りになって・・・。

特に私は真夏のマスクなんて、馬鹿馬鹿しいと思っていましたが、とにかくそういうゼロリスクにこだわる無知さを一蹴していたり、すごい勇気があるな・・・って。

コロナのことだけじゃなく、長年の教育で、コントロールをコントロールとも思っていなかった私には耳の痛い話も、ズバリズバリ!

痛快なくらい覆されるので、やっぱり生涯、勉強していく!情報を鵜呑みにしないことを、肝に銘じました。