何度かブログに書いたことがある友人のお母さんが亡くなった。
半年の闘病生活、余命宣告どおりだった。
警報がでるほどの大雨の中、黒に身を包んで向かった。

結婚式の時とほぼ同じメンバー。
親戚2家族と私を含む友人3人での小さな家族葬。


もともと細くて小柄なママだったけど、さらに小さく薄い身体になっていた。
死後3日目。時折コバエがたかる。
旅支度を手伝う。
腕のように細くなった脚を持ち上げると、わずかに残っていたふくらはぎの筋肉はまだ柔らかかった。

気丈に振る舞っていた友人の顔が次第に涙で崩れていく。
火葬炉の扉が閉まった後、友人がぽつりと言った。


自分の親って・・・・・・
キツイね・・・・・・



私は間違っていたなぁ。
私が母を亡くしたのは15歳の時だった。当時ずっと思っていた事がある。


大人になって家庭も持ってから親が亡くなるのと、
子供の時に親が亡くなるのでは悲しみの大きさが違う って。


いつその日が訪れようと、悲しみは同じだ。
大きいも小さいもきっとない。
みんな、同じだけ悲しくて、
哀しい。



でも、
やっぱりこれは思ってしまう。
結婚してからでよかったね
独りになることは、ないんだもの。
そして、
介護を経験しなくてよかったね
そのほうがきっと幸せに終われる。
子も親も、きっと。

寄り添い、寄り添われる姿、
純粋に悲しめる姿を見ていたら、心がぎゅっと苦しくなった。


私がばあちゃんを見送るときは独りだ。
一人で看取り、
一人で葬儀社に連絡し、
一人で棺桶に花を入れ、
一人で火葬が終わるまでの時間を待ち、
誰も居ない家に帰るんだ。

骨上げはどうするの?
箸渡しは誰と?
斎場のスタッフと・・・かなぁ・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・。


そして、
ばあちゃんにその日が訪れたら、
それは悲しい。
悲しいけれど、それよりもきっと、


安堵するんだと思う





nyankohime
いつもありがとうございます