エゴの危険回避信号 | ~ 合歓の花の開く刻 ~

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心の琴線に触れた日常への返しうた

すっかり、ご無沙汰していました。
愛猫みかんの診察の待ち時間に、書いています。
 
みかんの耳ダニも、だいぶ回復し、毎週通っていたものが、今では月一回になりました。
 
素人の目(および飼い主のひいき目)から診ると、どの猫よりも、薄いピンクの綺麗な耳をしているように感じるのですが、
 
 
 
 
2017年7月.8日(土) みかん
 
 
毎回獣医さんに、耳の奥を掃除してもらうと、綿棒に汚れが付着してたりします。
 
気長に、通院を続けていくしかないですね(^‐^ ;
 
 
 
 
 
 
 
さて、私の近況ですが、
職場は、長く勤めた先輩や上司が、軒並み辞めたり育休に入ったりで、
 
バイトとは思えないほど、一つの事務所の切り盛りを、任されている状況です。
 
そのおかげで、色々と気づかされる、大変得難い「今」を、生きています。
 
 
どこの会社でも、同じ現象が起きるかと思いますが、
 
担当者が変わるということは、
 
「今まで、やってもらってなかったけど、新しい人になったんだし、今後はこれも、やってもらおう。」
 
と、言う気持ちに、誰もがなるらしく、
各部署につき、+1~2
業務が追加され、新たに依頼されます。
 
よって、
 
今までの事務所全般の仕事の引き継ぎ、
 
プラス
 
1~2新業務×各部署
 
が、今の私の仕事になり、
まるで闘うように、仕事をやっつけています。
 
 
ここ3年くらい、「怒り」という感情が希薄になっていた私の心が、動きます。
 
新しい仕事が、追加になるたびに、
 
『イラッ』
 
反射的に、胸に衝撃を憶えます。
 
 
それは、私自身のキャパシティを、低く見積もっているエゴの、
防衛本能からくるものだと、気づきました。
 
「仕事だから、やらなくてはいけない。」
 
という、固定観念も大いに影響しています。
 
 
やらなくていいし、
なんなら、辞めてもいい。
 
「やらない」選択
「放棄する」選択
自己責任で選択するなら、
どんな選択をしたっていいんです。
 
私は、自由です。
 
 
「やる」場合の、キャパシティの限界
「やらない」「放棄する」場合のその後の未来
 
どちらの責任にも、「恐怖」「不安」を感じるから、
それを回避したいから、
 
エゴが、
 
『イラッ』
 
という、信号を送り、
「恐怖」「不安」を回避しようとする。
 
そんな思考パターンに、気がつきました。
 
「恐怖」も「不安」も、
「今」でない「未来」に、フォーカスしている時に、発生する感情です。
 
 
それに気づいてから、
 
『イラッ』
 
は、なくなりました。
 
 
他部署の依頼
取締役の依頼
 
今は、一歩引いて「受け容れて」います。
 
「受け容れる」
 
というのは、無条件に仕事を抱えるということではなく、
 
どちらかというと、
 
「そうですか~^^」
 
と、「聴いてあげる」というスタイルになります。
 
 
「やる」か、
「やらない」かは、
 
私の選択であって、別問題。
 
今のところ、
 
「やる」
 
の選択をして、
仕事の結果も、
私のキャパシティにも問題はないので、
 
未だ、この会社に勤めています。
 
 
ただ、無意識にストレスを蓄積しないように、
 
リアルタイムの内観と、
日々の瞑想は、
 
欠かさないようにしています。