私、ずっと昔から、、、

この話題になると、ついついボルテージが上がってきてしまう話題があって、、、

何かというと、、、



それは、

教育問題。



なんかね、抑えられなくなってしまうのさ、気持ちが・・・

なんとかしなきゃいけないじゃん、って。

もう30年も前からずっと、半ば憤りにも似たような気持ちが溢れてくる。



当時、まだ学生だったからさ、、、

間違いなく、被害者 的立場だったのよ、、、

「被害者意識」なんてダメダメよーって言われそうだけどね、

まだ十代の私は、社会の決められた流れに乗っていく以外に道を知らなくって、

でも、そしたら、その道に問題ありって、TVの報道番組でやってて、




偏差値教育、、、丸暗記学習、、、画一化、、、学校の序列化、、、受験、競争、、、
そして、落ちこぼれや、校内暴力を生み出している、、、と。




なんだよー、今、自分、その真っ只中の被害者じゃんー、ちょっとー、早く何とかしてくれよー、、、



おかしいとわかっていながら、そういう選択肢しか用意されておらず、ただ従うしかない、立場弱き自分。。。



う~~ん~~絶対に、なんとかしてほしいわー、、、なんとかしなきゃー、、、なんとかしてやるーーー



その頃、密かに強く心に思ったのでした。



私、中3の時に、ギターを覚えて、面白くなってやり始めたら、勉強しないから、って隠されてしまったんだよね。レスポール


あと覚えてるのが、中学卒業の頃に、なんだか学校に何かそのあたりの問題点を訴えたくて、長文の手紙を書いて出そうと思って、実際に書いた記憶がある。(でも、結局出さなかった。なんでだ?怖気づいた?(苦笑))


父は、いつも、あの人は~~大学、この人は~~大学って、チェックしまくってて、名のある大学出た人ほど凄いんだという感じ、、、、うーーーーん、そんなのどうだっていいじゃん!!! そんなのと人の価値は関係ないよ!!! って、ずーーーっと、そこ反発してた。




30年来の夢だよ、真の教育改革を成し遂げたいってのが!(密かにね(笑)) (なんで私が(笑))



で、今年の春に、そのビジョンとプロセスが固まってきたんです。

いつものごとく、その直前にはとてつもない心の試練、自己否定がありました。

 政治主導のトップダウン方式の教育改革は様々な理由から(例えば、既存の団体の利害・圧力で玉虫色の政策、対応にならざるを得ないなどの理由で)無理といえます。

 なので、市民レベル地域レベルのボトムアップからのそれが具体的な成果に結びつけられるチャンスを有していると考えます・・・IT革命やNPOなど第三セクターの台頭がその可能性をより高めています。

 簡単には説明しにくいですが、要は、偏りない学びの核(精神的なもの)を、最終的に国単位の教育改革にまで結びつけるので、公教育の採用にまで至らしめるために、(道徳教育にも関連してくる)宗教心的なものをしっかりと組み込みつつも、とはいえ特定の宗教に加担、偏らせないために、超宗教、超組織・団体での構築プロジェクトを通じて、最大公約数にシンプルにまとめて(普遍的真理により近づけて)、その土台の上に、様々なことに興味、意欲を湧き立てさせていくことにより、自発的に学び、個性、創造性を引き出す、発揮させていく教育を促す。

 無理な組織化をせず、超組織で、現存する有益な力を緩やかに必要に応じ結集させ、資格、過去経歴だけにとらわれずに優れた講師(人材)と教材、空間(校舎にこだわらず、スペースがあれば、どこでも学びの場となるとの考えで運営)を結びつけていくなどしてカリキュラムをつくり、進め、そこに自己組織化をもたらす手法を用いて、無理ない自然な構築、あらゆる世代、人材の無駄なき一体化を測りながら、社会との関わりも教育の一プロセスから自然に関与していき無理のあるいわゆる昨今のような就活も是正されていき、小さい範囲で過去にない成果を出すことから、広がっていく流れを取る(中小企業の人材教育などの一部にも応用展開する(外部委託的に複数の業者の人材を同時に集めて行うなどによる横連携も促す))。
 
 生物などの自己組織化(最小の関係性のルールだけで自然に理想的な形に進化していくようなこと)が人間にあっても、ある条件(エゴなどの克服)さえ整えば可能だと・・・)(私の周囲で起こった2011.9月~2013.11/3 ある心の状態への進化から進展し、コミュニティ化が起こる流れとなり、その果てに、無駄なく表現者が自然に必要な人数、集結し一体化して一つの大きな芸術作品ができていった出来事の、実社会化版といえる)


特定の強烈なパーソナリティ(指導者)の力に依存したり、特定の地域にしかないような場合、広くは普及しにくく、当然、通うにはハードルも高く、親の立場からは、二の足を踏んでしまいます。なので、どの地域にあっても普及可能な仕組みや骨となるカリキュラムを構築・普遍化することで(全国化までにはステップがあり、数年かかりはするでしょうが)、二の足を踏むのを軽減させ、推進していく方向性でもあります。見方を変えると、私学の「私」の部分を取り除き、「公」展開化させていくことで、全体の教育改革につなげていくという流れと言えます。


これまでの、プロジェクトのいくつかが土台にもなっているわけです、、、(去年8月7日からの、みらいすくーる莟みらいすてーじ花 とかも含めて・・・)




それでね、

今年の5月1日に、山口県萩の 松下村塾 に行ってきたんです。


明治維新を生み出したと言ってもいいほどに、そこから志高い有能な人材を育て、わずか6畳か8畳かの部屋が二つぐらいの、こじんまりした塾。しかも2、3年ほどの期間だったよね、確か。






そこから、その後、伊藤博文はじめ、総理大臣2名、他にも数名の大臣を生んだというのです。


吉田松陰は、知識教育ではなく、生き方、心構えを重要視して指導していったのです。そこがしっかりすれば、あとはなんだってできる、ぐらいの考えです。(ここを更に次の時代に向けたものに進化させるわけです)


この取り組み方は、私も激しく同意する内容です。(あっ、別に総理大臣や大臣を生み出せばよいということではないです。それぞれの個性に応じて、最大限に発揮できるサポートができれば、開花の形はそれぞれでよしなのです)

この松下村塾の歴史的事実を考えたならば、次の時代を変えていくのに必要な教育というのも、決して現存する名門学校や、設備の立派な学校や大きな学校であると言い切れません。むしろ、そうでなかったのです。




そんな松下村塾に、この春、5月1日に行って、その翌日に、広島、原爆ドームと平和公園に足を運んだのでした。ハト








で、その翌日3日に、大阪で、コーヒーセミナー開催を意識しての軽い雑談の場を持ち、、、

そこで、昨年夏、8月の生死を超える奇跡的な復活劇の出来事のお話をお聞きしたのでした。


これも、今回の企画した コーヒー 奇跡のしずく~華~ につながっています。








注ぐと花開く魔法のマグカップも登場!







でも、実はそれだけではなくって、

その4日後、5月7日に、お会いした方も、、、しかも同じ昨年夏、8月に!やはり生死を超える奇跡的な復活劇の出来事のお話をお聞きすることになったのでした!(ビックリしました!)






そして、その4日後に、その謎が一部解けて、さらに4日後、5月15日に、今回8月23、24に行ったイベントにつながる最初の切っ掛けのご縁が生じたのでした。


4月1日にお会いした、例の宮城の311被災地で活躍されている、古着(Tシャツ)リサイクルの布ぞうり作成チームを率いておられる方も、当時、やはり生死のギリギリを超えられてました。サランラ











吉田松蔭も命と引換えに、国の改革(明治維新)を成す礎を築いた立役者なわけで、




これは、本当に生死を超えてきた人たちになぜか、立て続けに触れさせられた春だったのでした。 

4/1 宮城
5/1 松下村塾
5/1&2 原爆ドーム、平和公園
5/3 大阪で・・・ 
5/7 静岡で・・・



そして、
5/15 黄色い家 イベント の話が来た
5/17 ある出来事(ある心の気付き(大ニュースとのシンクロあり))
5/18 扉の鍵~次の世界へ という内容(セミナー的なもの)の骨格が急激にまとまる(これもシンクロ起こる)⇒これも、その教育の問題を克服する展開につながるもの
5/19 物が循環する(帰ってくる)複数の現象が重なる(シンクロ)(今後の予兆現象)



などと、、、流れてきてました。




そうだ、そういえば、6月には、とってもPureな心の持ち主の、以前プロジェクトでお手伝いいただいたある方に会ったんだけど、、、




その方、その時、話聞いたら、学生時代に、松下村塾に行く旅行を企画して回ったほど、吉田松陰を尊敬していたと言われて、さらにビックリしたのでした。。。




げ・ん・き・で・や・っ・て・ま・す・か