先ほど、再掲載した 『模索』 (⇒リンク)ですが、

感覚的には、いつも、こんな感じの時、多いです。(その詩に書かれているような)

特に、何かの変わり目、一つを終えて、次に移るような時には、

とりわけ、こんな感覚の時が多い気がします。



6行目
【ちょっとした変化が・・・】
とありますが、

これは、いわゆる 「ゆらぎ」 現象。



生物界、自然界で、大きな変化が生じる時には、それ以前の状況の中で、ちょっと変わったことが生じて、その「芽(変化)」から、次第に次の変化や大きな変革に進展していく、、、その前に起こっているような小さな変化、いわゆる「ゆらぎ」とも言われるような現象があるわけですが、



これ、実は凄く大事なことで、
この世の中でも、新たな画期的な商品を生み出したり、新たな潮流を生み出したりって、

そのはじめは、
みんなと違う行動を取るような異端な人や異端な考えや発想、行動から生まれたりするわけです。


先日の記事でちょっとだけ触れた、明治維新につながる立役者たる 松下村塾の吉田松蔭も、はっきり言ったら 異端児。


海外留学しようとして、小舟で来航した船に向かっていったり、、、で、捕まってしまったり(苦笑)、



そういう内側から生じる強い衝動や確信の元に、自分から起こす変化もそうだけど、


勝手に起こってくる変化、、、

自然に気が付くと、起こっている、いつもとは違う出来事、現象、事象、展開、、、



これらは、常に私たちに、何かの ヒント、サインを与えていると言えます。


わかりやすいのは、どこか身体を痛めた時には、通常であれば、「痛み」が生じるので、それで、身体の故障に気付けて、悪化を防げることが可能になるわけです。



身体に限らず、実は私たちには、常に、いつもと違うことが起こったり、とか、あるいは普通に起こることではあるんだけど、それが偶然にも2つ以上重なったり、、、いわゆるシンクロ現象的なことが起こったりと、


そういった現象が起こって、それによって、わからないように、ヒントが与えられているのです。



なので、そのあたりを意識して探っていったならば、次、どうすればいいのか、、、どういう方向に向かえばいいのか、、、どの選択肢を選べばよいのか、、、乗るべきか今は留まるべきなのか、、、などのより然るべき答えも見えてくるのです。



しかしながら、そういうサインが送られているにも関わらず、、、意識してないために、平然と見落としてしまったり、、、あるいは、その判断の指針となる基準が、自分本位となってしまい、、、本来のその意味合いを理解できずに、頑張っても全く報われないだけの方向に進みだしてしまったりするわけなのです。



そして、
終わりから8~10行目あたりに
【得るためには与えることが不可欠なのだ
そして、得ようということすら忘れるほどの極致を超えさせられた、その直後に奇跡は起こる】


とありますが、


ここ、実はこれもポイントで、


自分が【得よう】という動機がそこにあると、【与える】に対する結果は、本来の循環の結果には及ばないものになってしまうのです。

でも、普通一般には、普通のことが生じるので、気づかないかもしれないですが、


本来は、私たちが普通に予期することよりもずっと、驚くぐらいに、丁度いいこと、これ以上ないような巡り合わせが起こったりするのです。ただ普通起こってないから、起ったときに【奇跡】と感じてしまうだけでね。


で、最後の
【そして、内なる声に、耳を傾けながら】


これ、この【内なる声】って、私たちが持っている、これ以上ないぐらいの、凄い最高のパートナーだと言えますね。

どの人も、深ーーく探っていくと、そこにある。


そんな凄いパートナーを、皆、既に得ているのです。。